動き始めた地獄への蓋
「コワイよ、今はどうなっています」
「ひどい状態だ……いえ、ひどい状態です」
コワイは全身を大きく震わせ、天逆毎に訴える。芝居くせえな、と九は鼻をならした。
「ほう、人質どもがなにか騒いでいるのですか」
「人間どものことなど、知りません。もっとひどいことです」
コワイがそう言い放った瞬間、天逆毎と佐門の眉毛がぴくりと動いた。しかし、コワイは大妖たちの細かい変化に気づいた様子もなくしゃべり続ける。
「ほかの妖怪どもが、私にだけ食料を少なく渡すのです」
九はじめ、多くの妖怪たちからおもわず、おう、とかなに、とか声が漏れた。イッポンダタラの若い衆が汗をたらして真っ先に食料を運んでやったのに礼すら言わず、コワイ一人でむさぼり食ったのはもうみんな知っていたのだ。
「ひどいでしょう。私は優秀な頭脳を持っているのですが、体はこんなに痩せてしまっています。誰よりもいたわりを必要としているのは明らかです」
あんまりな言い分に、木の上から見ていた小猿の一匹がコワイに向かって小石を投げつけた。石がコワイの方へ飛んだが、残念ながら当たらず足下ではねてどこかへ消えていった。
「見たでしょう。こういう連中ですよ」
コワイが勢いづいて前のめりになる。おもむろに木に向かって唾をはいてみたが、当然届くはずもない。苛立ったコワイが天逆毎と佐門にすり寄った。
「ほう。君は私たちに大事にしてもらいたいのですね」
「そうです。下々のものも私を尊重するようになるでしょう」
コワイが言い終わるやいなや、天逆毎は腕組みをして高笑いしだした。
「へええ。そう言われるとなんだか急激に、君を粗末に扱いたくてたまらなくなってきました。もう下がっていいですよ」
「え」
「面白そうだから佐門の言う通りお山の大将にしてやったのに、今のところ出来ることは餓鬼のように食うだけでしたね。みっともない格好でいつまでも私の前に立たないでください」
天逆毎のこの言いように、コワイは完全に虚をつかれて立ち尽くした。天逆毎の前から去ることすら忘れてしまったようだ。
見かねた佐門がち、と舌打ちをして、軽く指先でコワイの体を押した。指のたった一押しだったはずなのだが、コワイはまるで大砲にでも撃たれたかのように吹っ飛んでいく。そのまま減速することなく、煉瓦塀の一角にぶち当たってようやく止まった。
九はぬらりひょんが腹をよじって笑い転げているのを見た。コワイ以外の全ての妖怪たちの歓声を全身で浴びながら、天逆毎と佐門は悠々と荷物を壁の内部へ持ち込んだ。
「ああ、これは儂たちがやりますゆえな。座っていてくだされ」
ぬらりひょんに言われれば言われるほど、天逆毎の動きはますます俊敏になる。さすが長くは生きていないなあと九は素直に関心した。やるなと言われればやりたくなる、天逆毎の性格をあっという間に把握し利用している。
「ほほほ、らくちん」
ぬらりひょんが最後に小声でぼそっとこうつぶやいたのを、九は聞き逃さなかった。すてきな狸ジジイである。ここで、裏山の方に行っていたイッポンダタラたちがようやく帰ってきた。
「運搬部隊が到着したぞ……こ、これはようこそ」
皆、天逆毎と佐門に気がつくと九たちと同じように直立不動で敬礼する。
イッポンダタラたちの背後には、腕の長い狒狒たちがぞろりと並んでいた。
いずれの狒狒の腕もがっしりと丸太のように太く、箱の一つや二つ楽にもてそうだ。残りの箱は、彼らに任された。
「ご苦労」
天逆毎は邪魔をされたのが気に喰わないのか、狒狒たちに向かってぶっきらぼうに言った。佐門が背後で肩をすくめている。
「運搬の手はずはどうなっています」
「は、当初の予定通りに。この山を越えればまた新たな山猿たちが待っていますから、彼らが運びます」
「それでよろしい。しかし、山から出るのはことを起こしてからの方がいいでしょうねえ。そうでなければ人間どもに狙われますから」
九はもちろん、イッポンダタラやぬらりひょんも、はっと顔をあげた。どうも人間側につきつけた条件がぬるすぎると思ってはいたが、その思いががはずれてはいなかったことが明確になったのだ。
「ことを起こす! やっぱり、今回の計画はこれで終わりじゃないんだ!」
「その通りですが、君は言葉使いを少し改めなさい。次はああですよ」
九は興奮のあまり伸び上がったはいいが、すっかり大妖への注意がおろそかになっていた。一気に肝が冷え、おそるおそる天逆毎を見る。
佐門にはじかれてぴくりとも動かないコワイを指さした天逆毎の表情は、それはそれは晴れやかな笑顔だった。子供が無邪気にバッタの足を毟っているときと同じ笑顔である。




