舞い降りた救世主
「何食いたいよ」
越野がぽつりと言った。舟木は真っ先に頭に浮かんだものを答える。
「焼きイモ」
「色気ねえの」
「ぱっと浮かんだんだからしょうがないでしょ。そっちは何食べたいの」
「竹輪」
「貧乏くさっ」
「竹輪を馬鹿にすんなお前」
しばらく睨みあったが、バカバカしさに気付いて、二人とも握りしめた拳をほどく。危うく、竹輪と焼きイモで喧嘩をするところだった。
「やめよやめよ」
「そうだな」
しかし、空になった腹がたてる情けない音はちっとも止んでくれない。舟木はなすすべなくぼんやり天井を見上げ、人の顔のような茶色いシミを見つめていた。
「おい」
横からいきなり越野にセーラー服の袖をつかまれる。越野の声は、興奮でうわずっていた。無理もない、廊下から、香ばしく焼けた肉の匂いが漂ってきている。
戦争が始まってから生肉の値段が一気に上がってしまい、舟木は最近思いっきり肉を食べた経験がない。越野の家も同じ状態らしく、さっきまで見るのも嫌がっていた廊下にひっきりなしに目をやっている。
「肉だ」
「肉? マジで?」
教室内にいた、越野以外の男子も色めき立つ。がたがたと椅子を蹴飛ばして、全員窓際に近寄ってきた。
「あいつらが食うのかな」
「いいなあ」
「俺達にもくれねーかなあ」
「くれるわけないじゃん。それに、人間の肉だったらどうするのよ」
盛り上がるみんなを尻目に、教室の隅で座り込んでいた女子がぼそりと口を開く。水をかけられたように、浮足立った雰囲気が消え去った。
盛り上がっていた一同の中には、「余計なこと言いやがって」と言いたげに彼女を睨みつけているものもいる。
「お前なあ、暗いこと言うんじゃねーよ」
「やめなよ。春野のネガティブはいつものことじゃん」
「なんだよ舟木」
舟木が水をさした女子をかばうと、教室内に殺気がたちこめた。争いごとの嫌いな越野が、背後でうろうろしている気配を感じながら舟木は男子と相対する。自分だって喧嘩は怖いが、ここで言い負かされるのはまっぴらだった。
舟木が口を開こうとした時、教室の扉ががらりと開いた。最初に出て行ったきり戻ってこなかった担任が戻ってきたのかと、全員喧嘩も忘れて戸口を見つめる。しかし、入ってきたのは似ても似つかない美しい女性だった。
いつものくすんだ黒板を背景に、目の覚めるような美女がたたずんでいるのに気付いて、男子が歓声をあげた。あっという間に舟木の姿は彼らの視界から消え、むくれてみるが反応したのは越野だけだった。
入ってきた女は明るい金色の長髪を左右に分け、額が大きく出たヘアスタイルをしている。アーモンド形の外国人のような大きな瞳が、彼女があたりを見回すたびにきらりと輝いた。
「ひー、ふー、みー」
女はせわしなく指を動かして教室内の人数を数えると、一言もしゃべらずに教室を出ていった。男子から落胆の声があがったが、彼女はすぐに教室に戻ってきた。今度は両手で大きな段ボール箱を抱えている。
足元がふらつく美女を見かねて、一番行動力のある宮部が進み出て箱を支えた。女は最初はぽかんとしていたが、差し出された好意に気付くとにっこりとほほ笑んだ。
つんとしている顔がゆるむと妖艶さが薄れて可愛らしくなる。女の舟木でもふらっと来てしまいそうな甘い笑みだった。
宮部が段ボール箱を教卓の上に置くと、金髪美女はなにもせずににっこり笑って箱を指差す。
開けろ、ということだろうか。もちろん指示された宮部はスキップしながらハサミを取りに行った。教室の隅から「なによあれ、情けない」と春野の声が聞こえたが、耳を傾けるものは誰もいなかった。
ハサミが入り、ばりばりと音をたてて箱のふたが開く。我慢しきれずに中身を覗き込んだ宮部が、甲高い声をあげた。
「すげー、弁当だ」
「え、ほんと?」
お腹がからっぽになっていた学生たちが腰を浮かす。春野だけは根が生えたように教室の隅から動かず、いぶかしげに口を開いた。
「嘘じゃないでしょうね」
「疑うんなら見にくりゃいいだろ」
むっとした宮部が春野に言い返し、教卓の前で胸を張る。彼女は動かなかったが、わらわらと他の生徒たちが箱に群がった。たちまち人垣ができ、遅れをとった舟木は何が入っているかも見えなかった。




