嫌いな奴の不幸は楽しい
葵が不審な物音を上に報告した後も、隊は細い山道を進んでいく。登り口付近はまだ木々もまばらで、日の光が暑いくらいに降り注いでいた。
複数の人間が舗装されていない道を踏みしめる、じゃりじゃりという音が規則的に響く。それにまぎれこむように、大和が小声で話しかけてきた。
「あの羽音、なんやろ。気にならへんか」
「なる」
葵は即答する。
「鳥にしてはやたらに大きかったやんなあ」
「ああ。妖怪かもな」
本来ならば部隊に警戒を呼びかけ、増援を呼ぶべきだ。しかし、羽音が一回だけでは証拠としてはあまりに弱い。その上、加藤と佐久間は昔の話で盛り上がっていた。現場指揮官クラスのこの二人が「そんなの聞いてないよ」と言えばそれでおしまいだ。
今の状況では、葵がごり押ししても耳を傾けるものがいるとは思えなかった。仕方なく、仲間内で話を続ける。
「羽をもつ妖怪っていうと、一番有名なのは天狗かなあ」
怜香が葵に聞いてきた。
「ああ。ただ、鳥型の妖怪は多いぞ」
葵は以津真天、鴆、姑獲鳥など、鳥妖怪の有名どころの名前をあげてやる。大和が興味をひかれたようで、ほほーと声をあげた。
「さよか。どう気をつけとったらええ」
「とりあえず煙幕の用意をしとけ。頭上をとられたらこっちが一方的に不利だ。対空装備に特化した部隊は連れてきてないからな」
正確には『上層部が認めず連れてこられなかった』だが、葵は虚勢を張った。
「なんや、えらいヌルい対処法やな」
「ないものはないんだから仕方ない。あとはデバイス持ちがどれだけ素早く迎撃に入れるかだな。準備しておけよ」
葵がすごむと、大和が耳のところに手をやる。葵はため息をつきながら指摘した。
「お前、すぐスリにやられるタイプだろ。耳の中のデバイスなくすなよ」
「何故見抜いたんや」
大事な物の隠し場所にすぐ手を伸ばすからだ。そう思ったが、面白いので葵は黙っておくことにした。
その後も一行は山を歩き続けた。最初は妖怪を恐れていたが、足元に笹が茂っていて進路を阻まれたことと、夏の日差しがきつい方がつらい。熱中症で倒れるものがいなければいいが、と葵はぼやいた。
「一体も見ないな」
「もうこの山にはいないんじゃないのか」
前方の隊員たちから声が上がる。葵は時計を見た。
午後二時。行軍を始めてすでに九時間が経過しており、その間に見た妖怪が一体もいない。こんな状況では、プロといえどだんだん飽きがくる。
「奴ら、夜行性なんじゃないのか」
「確かに妖怪は夜に出るのが多いけど、狸族は昼に良く動くよ。化かす人間が出歩くのがそこだからね」
軍人の何気ない質問に、律儀に佐久間が答える。
「それなら一体も見かけないのはおかしいな」
「じゃあ、もう逃げたんだろ」
「最初の報告がガセだったりしてな」
ははは、と森に男たちの笑い声がこだまする。最後尾を歩く葵は、それを苦々しい思いで見ていた。
「目立つな。まずい」
「止める?」
怜香が言うが、葵は諦めて彼女に手を振った。
「いや、もう遅いだろう」
「そんなことないんちゃうか」
「そんなことないで」
「任務だって自覚があるのかしら」
「ほんま困ったもんや」
「ほんま困ったわあ」
「おい」
会話がおかしいのに気付いた葵が振り向き、大和をきっと見据える。さっきまで一人だったはずの大和が二人になっていた。
どちらにしようか、というように葵はふっと視線をさまよわせた。が、すぐさま片方の大和の体をとらえ、地面にひきずり倒す。
掴まれた大和は往生際が悪く、きいきいと悲鳴をあげながらのたうち回った。談笑していた隊員たちがようやく駆け寄ってきたので、彼らにとらえた大和を引き渡す。
「御神楽三……尉?」
「偽物だ。どうせ狸が化けてるんだろう」
葵は狸を見ながら毒づく。
「仲間の居場所を聞き出せるかな」
佐久間が狸に近づいて行ったが、狸はただ暴れるばかりだった。
「堂々と出てくるとはいい度胸だな」
葵が笑みを浮かべながら、狸に言う。
「だが、化けるなら口調までそっくり似せろよ。他はまあ、いいが」
「待てやおい」
葵の評価を聞いて、本物の大和が食ってかかった。
「見破るポイント、そこかなあ? 俺はちゃうと思う」
そう言われて、葵は二体の顔を交互に見比べる。そしてしれっと言った。
「俺には分からないな」
「絶対わざとやろお前えええええ」
「大和君落ち着いて! 葵もやめなさい!」
大和が我を忘れて葵に殴りかかった。後ろから怜香に引っ張られても、離せ離してくれとわめきたてる。葵は好きにさせておいた。
捕まった狸は、確かに目から上は大和にそっくりだった。が、そこから下は大違い。びっしりと濃い口髭が生え、あごが細くとがって突き出している。ひょっとこをもっと尖らせたような感じの仕上がりだ。
そして体つきも違う。本物の大和は足が長くすらっと伸びているが、狸の方は上半身七、下半身三くらいのバランス。泣きたくなるくらいの短足だった。キョウモウダヌキという種族が人間に化けるとこうなるのだ、と佐久間が言った。
よほどこれと似ていると言われたのがショックだったのか、大和は涙すら浮かべている。仕方なく葵は歩み寄った。
「わかったわかった、似てない似てない」
「二回言わんでええねん」
大和が険悪な顔で葵をにらむ。また取っ組み合いになる、と思ったのか、怜香が間合いをつめた。しかしその時、林道に派手な悲鳴がこだまする。
悲鳴をあげたのは葵でも大和でもなかった。加藤が左手を押さえて派手にのたうちまわっている。
「どないしたんや」
「狸が、狸が噛みやがった。くそおっ」
加藤の指の下から、鮮血がしたたり落ちていた。彼を噛んだ狸はもう大和の姿ではなく、茶色い毛でおおわれた動物の形に戻っている。
狸は加藤に一撃を与えて気がすんだのか、振り返ることなく茂みの中へ消えて行った。隊員が慌てて銃を構えたが、すでに後の祭りだ。
「お前、なんでちゃんと押さえておかなかったんだっ。俺になんの恨みがある」
加藤は部下に向かって怒り狂った。狸を押さえていた隊員がいくら頭を下げても、怠慢だ無能だと言いたい放題に罵る。見かねた怜香が割って入った。
「いい加減にしなさいよ。みっともない」
加藤は、汚いものでも見るような目で怜香をにらみつける。
「――お前に」
「そやそや。そんだけ騒げる元気があるんやったらもうええやないか」
加藤が何か言おうとしたが、その前に大和が怜香を援護する。それでも彼は金魚のように口を動かしたが、
「それ以上醜態さらすなら谷底に捨てるぞ」
と葵に一喝されて、今度こそ完全に口をつぐんだ。それでも納得はしていないのだろう、加藤は荒々しく地面を踏みにじる。