無駄でも準備はするべきで
葵が確認するようにつぶやくと、霧島が頬づえをつきながらぼやいた。
「スムーズにいくといいのですが。兵站部隊が朝から走り回ってますよ。大阪や京からも備蓄物資を回してもらうのだとか」
「大がかりなことで。両校の壁付近に張り付かせている部隊からの報告はないか」
「いずれも異常なしとの定時報告があがっています」
「引き続き同じ人員での警備体制を維持。引き渡し時になにか仕掛けてくるかもしれん」
「了解。もう少しの辛抱、だとよいですね」
霧島がそう言った時、入り口のドアが開いた。そこから、しずしずと小柄な婦人が部屋に入ってくる。染めていないのだろう、頭を下げた時に黒髪に少し白髪が混じり始めているのが見える。
「一尉。この方が、立塚高校の校長先生です」
「舟木と申します」
「ご協力感謝します」
葵が椅子を勧めると、舟木は素直に腰かけた。昨日今日でかなり疲労がたまっているらしく、顔には血の気がない。ちらほら出ている皺の陰影がくっきりと濃く見えた。
「お疲れでしょう」
「いえ、皆さんほどでは……」
舟木は力なく首を横に振ったが、交代しながら仕事している葵たちより、彼女の方が顔色が悪かった。一刻も早く解決しなければ、倒れてしまいそうだ。
「人質の無事解放に全力を尽くして参ります。そのために、立塚の地形や建物の情報を教えて頂きたいのです」
葵にうながされ、舟木は目の前のテーブルにあった地図に目を落とす。
「うちの校舎見取り図ですね。しかしプロの方々に何をお教えしたらよいのでしょう」
「図面だけでは粗すぎます。どこに何が置いてあるかや、壊れたドアの有無は行ったことのある人でないと分かりませんから。人質が無事解放されるまでは、一つでも多くの情報が欲しいんです」
「わかりました。他の教師にも連絡をとって、できるだけ詳細な地図にしてみせます」
舟木は口を閉じると、図面とにらめっこをしながら細い赤ペンで訂正を加えていく。彼女の背中からはゆらりと気迫が立ち上り、お茶を持ってきた一般隊員が声をかけるのをためらっていた。
「少し席をはずします。舟木先生の書き込みが終わったら、声をかけてください」
霧島もまだ仕事が残っているようで、一言言い残して葵の机から立ち去っていった。
(勝負は夜、か)
葵は直属の部下たちを集めた。夜にそなえて装備の点検、突入ルートの確認、狙撃班の待機場所など、細かく対策を決定していく。
傍らでもう完全に解決した気になっている有園が鼻をならしたが、幸い長らく前線にいた現場指揮官や一般兵たちは、士気を落とすことなく、ぎりぎりまで各所の調整を続けた。
学校前の閑静な住宅街に、蟻が列を作るようにぞろぞろとトラックが乗り込んでいく。
「台数が多いですね」
「仕方ない。ここら辺には大型トラックが入れる駐車場も道幅もないからな。小型車で台数を増やすしかないんだよ」
葵はそういいながら、台数に漏れがないか確認している。学校近くには交通規制をしいており、近隣住民も避難しているため駐車場所に苦労しないのがありがたかった。
ここまでの量の食料や妖怪用の医薬品、運び込ませてくれれば内部の様子も知れたろうが、そこは向こうも用心していて、昨日と同じように学校近隣に物資だけおいて立ち去れという。
トラックが順調に台数を増やすのを確認し、葵は空を見上げた。今のところ妖怪の陰は見えない。巡回させているヘリコプターの音がするだけである。彼らのレーダーにも、今のところ異常はないようだ。
今日も屈強な隊員たちが荷物の積み下ろしをしている。そのペースはきわめて早く、目の前をばたばたと隊員たちが駆け抜けていくたびに荷物の山ができていく。
作業中の隊員たちの見張りから報告も順次入ってきたが、どれも異常なしを報告するものばかり。次第にだれた雰囲気が漂ってきたところで、荷下ろしが完了したという知らせが入ってきた。
「本当に、なにもなかったのか」
葵の横に立っていた部下が、若干気の抜けたような声で言う。それに反応して、隊員たちがしゃべりだした。
「まあ、それが一番だわ」
「しかしあいつら、本気でこれだけもらってとんずらする気かね」
「それはわからんなあ。一尉、各部隊撤退しますか」
向こうからさっさと帰れと言われているので、どっちみち大部隊での長居はできない。もう少し探ってみたいところだったが、部下の問いに葵はうなずいた。
荷台が空になったトラックが、住民のいない町を駆け抜けていく。緊張が解けたのか、運転している隊員は心なしかほっとした顔をしていたが、葵は腕組みをしたまま微動だにしなかった。




