優しい妖怪たちの声
「どうかしら。部下に接する時は、北風より太陽よ。あの二人だって、あんなに背筋伸ばして帰っていったじゃない」
有園がない胸を張るが、葵は呪詛のこもった視線を投げてよこした。そりゃそうだろう。誰だって自分の言い分があんなにあっさり、全面的に通れば気持ちがいいに決まっている。
「前から思っていたけど、あなたは厳しすぎるわ。もっと部下に愛情を持たなければだめよ」
「ご意見、ありがたくちょうだいします。今後精進いたします」
葵は黙って頭を下げながら、有園の名前を脳内で作成した『いつか殺すリスト』に百回ほど書き込んだ。感情が一切顔に出ない自分の体質をこういう時はありがたく思う。
葵が刃向かってこないのを確認してから、有園は鼻をならして悠々と本部へ足を踏み入れる。葵たちの食べていた白いおにぎりを見下ろして、
「なにこれ貧乏くさい」
と小声で言ってからどっかと自分の指定席に座った。
「で、犯人たちからの要求はまだなの」
「はあ。今朝、両校に食料の差し入れ時に再度確認したんですが、なにも回答がありませんでした。人質の一部だけでも解放を、と呼びかけてみましたが反応がありません」
部下が無表情のまま報告した。ち、と有園が小さく舌打ちする。
「しかし奴らもなんだってそんな大量の人質を抱え込むんだ。食料やら見張りやら、管理が大変になるだけだろうに」
刑事の一人がぼやく。確かに、と葵は首をひねった。数十人を押さえるだけでも、人質としての効果は十分だ。それを遙かに越える人員を抱え込むからには、必ず何かの意図がある。
「鈴華では食料は一応全員に分配されており、今のところ大きな混乱はないようです。ただし、狭い校舎や体育館に押し込められ、風呂も満足に使えない状態は相変わらずだのようです。立塚も同じようなものでしょう」
「まずいな。そろそろ風邪やらウイルスやらの季節だ。集団感染でも起こしたら一気に状態が悪化するぞ」
ざわざわと室内がどよめく。もう少したって反応がないようなら、再度交渉を呼びかけるべきだという声が室内の大半を占めたとき、デスクの電話が鳴った。葵が受話器をとったのが、ほかの人間より少し早かった。
「はい」
「ほほほ、電話なるものを使うのは初めてじゃな。儂は、ぬらりひょんという」
耳元から、飄々とした老人の声が聞こえてきた。穏やかな口調だったが、葵の背筋が冷えた。
ぬらりひょんは昔から好戦的ではなく、人目を避けてひっそりと荒れ寺などに隠れ住むことが多かった妖怪だ。しかしひとたび怒れば魑魅魍魎を呼ぶといわれ、決して弱い妖怪ではない。こいつもいたのか、と葵は暗い気持ちになった。
「……そちらから連絡してくださるとは。ありがたいですね」
「まあ、こっちにゃこっちの都合があるでな。お前さんがそっちのアタマかい」
そうだ、と言いたいところだが、一応最高責任者は有園である。しぶしぶ葵は違う、と答えた。
「じゃ代われ」
にべもなくそういわれ、敗北感を感じながら葵は正面のデスクへ電話を転送した。
「ええ、ええ」
妖怪からの電話が自分に回された時、わずかに顔をひきつらせていた有園だったが、話が進むにつれ徐々に顔が明るくなっていった。
「わかりました。すぐに確認します」
最後にそういって、有園は通信を切った。そのとたん、進捗を見守っていたたちが有園に一斉に話しかける。
「どうなりました」
「犯人からの要求はあったんですか」
有園は自分に注目が集まっているのをしみじみと確認し、たっぷり三十秒ためてから口を開いた。
「ええ、補給物資と交換で人質を解放してくれるそうよ。これから上とかけあってみるわね」
わっと皆の顔が明るくなる。それも当然、数百人の人質と交換であれば、もっと難しい要求が突きつけられて当然だと思っていたのだ。
すでに上から『人質の交換には応じない』『人類の軍事機密(特にデバイス)の提供は認めない』という指示が出ていたため、あくまで妖怪がこの条件に固執すれば、あとは強行突入しかなくなってしまう。
強行突入にはまず壁を崩さなければならない。ここが最大の障害であった。ミサイルの一発二発では貫通しないことがすでに証明されており、いったん強行するとなれば大規模な砲撃戦を覚悟しなければ成功はおぼつかない。
しかも、鈴華はともかく、立塚の方は初期にかかってきた生徒からの電話くらいしか情報がない。それは、全く何の情報もないまま突入しなければならないということだ。機動隊はもちろん、人質側にも死者が出る可能性が高い。
それが相手からの思わぬ提案で、簡単に片づくことになったのだ。皆が色めきたつのも無理はない。保身ばりばりの有園も、この条件なら自分から前にしゃしゃり出て行くだろう。




