恩を忘れるは人に非ず
「これあげる」
彼女がそう言って手を開くと、そこには数個のチョコレートが握られていた。彼女は見張りに気疲れないように、素早く怜香の手にチョコを押しつける。
「……いいの?」
怜香が問うた時には、生徒はすでに何でもなかったように前を向いている。その背中に、怜香は黙って頭を下げた。見ると、一丞や大和、響、蘭子も同じく礼をしている。
「ほーら、お口あけてごらん」
怜香が優しく都に話しかける。大人たちのまねをして自分もぺこりと頭を下げていた都が、ふいと顔を上げた。怜香は素早くビニールの包み紙をむいて、チョコを都の口中に入れた。
都がもぐもぐと口を動かす。チョコが溶けて甘い味が広がっているのだろう、涙はすっかりなりをひそめ、彼女はにこにこと笑いだした。
「このおん、わすれまい」
食べ終わった後、ぺこりと頭を再度下げて都はそう言った。どこまでも時代劇がかったセリフを聞いて、前席の生徒の肩がかすかに震えるのが見えた。
「ひーちゃん、あたしお風呂に入りたいよう」
「……さすがにそれは無理」
蘭子が自分の縦ロールをいじりながら、不満顔でつぶやく。彼女にとって、さしあたっての問題はそこらしい。響がたしなめた。
「部活用のシャワーじゃ大人数は無理。プールを使えるような季節でもない。諦めて」
「無事に帰ったら、人質ギャクタイの罪で絶対に訴えてやる」
蘭子が怒りのあまり無茶なことを口にする。そろそろ止めるべきかな、と怜香が思ったとき、どすんどすんと大きな足音が聞こえてきた。
客席横手や背後にある、入り口に通じるドアが全て開け放たれている。そこから、一気にイッポンダタラたちが入ってきた。見ると、全員槌を腰のベルトに器用にはさみ、あいた手で大きな段ボール箱を抱えている。
ゴーライも彼らと一緒に戻ってきている。彼が段ボールを舞台の上に置くと、部下たちもそれにならった。男たちが休むことなく行ったり来たりし続けた結果、あっという間に舞台の上には段ボールの山ができあがった。
「あれは、なんでしょうか」
「さあ……」
怜香たちは横一列に並んだかたちで、ひそひそと憶測をかわしあったが答えは出なかった。
「おい!」
舞台の上から客席を見渡していたゴーライが、急に大きな声を出した。生徒たちの顔が見事にひきつり、さっきまで交わされていた会話が一瞬にして止まる。
「そこの妙な眼鏡の男と、茶髪の男。あとさっき、俺と機械を使いに行った女。その三人は前に出ろ」
眼鏡はサングラスをかけた一丞、茶髪は大和だろう。二人ともへいへい、とあきらめた様子で、ゆるい階段を降りてステージに近づいていく。
最後の『機械を使った女』とは何ぞや。しばらく考えてみたが、自分のことだろうな、と怜香はあきらめた。響の存在がばれたとはまだ思えないからだ。
全く、やっかいな奴に覚えられてしまったものだ。すごすごと先行した二人の後を追う。
「こっちへあがってこい!」
腕を組んだままゴーライが言う。言われるがままに歩を進めると、そこは客席から見るよりずっと広い空間だった。数十人プラス楽器が入れる空間なのだから、当然と言えば当然なのだが、客席からみる小ささとの差に違和感を感じる。
練習の時に使っていただろうパイプ椅子と譜面台、楽器のケースが、乱雑にまとめて隅っこに積み重ねられているのが痛々しかった。せめて楽器だけでも無事でありますように、と願わずにはいられない。
ゴーライは段ボールの近くで相変わらず腕組みをしている。あまり近づくのはためらわれて、怜香たち三人は、彼から数メートル離れた地点で足を止めた。
「お前らに聞く。これは、なんだ」
ゴーライが、段ボールのひとつを指さす。一丞が怜香より先に中身をのぞき込み、箱の中に手をのばした。
「カップラーメンですね」
彼の両手には、確かに見慣れたどんぶりに似せた容器が握られている。ひとつは赤、もう一つは青のパッケージだったが、どちらも目を刺しそうなほど過激なカラーリングだった。
「せやな。イギリス風スターゲイザーパイ味と、アメリカ風七色のケーキ味だそうです」
食べたことがあるのだろうか、大和が味まで即答する。
「……えらくなじみのない味だが、うまいのかねこれ」
一丞が大和に小声でささやいた。
「聞かんといてください。思い出したくないんで」
残念なお味であるらしい。
「おい、いったいそれはなんだ」
二人の会話から完全に置いて行かれたゴーライが怜香に聞いた。どうやら妖怪たちにはこれが何であるかの判断がつかないようだ。




