焦れる間に話は進む
「おお、九よ、タタラのゴーライよ。助かったぞ」
ようやく円陣の重圧から逃れられたのがうれしいのか、九にぬらりと呼ばれた球体は大きく息をついた。ゴーライは九と違って律儀に腰を折り、古老に挨拶をする。
「ぬらりひょん様、お久しぶりです。お助けできたのは嬉しいのですが、何があったのですか」
「食料を分配する時間なんじゃがな、肝心のものがないのよ」
ぬらりひょんが下に大きくたれ下がり、遺憾の意を表した。よく口のまわる九が即座につっこんでくる。
「じっちゃん、そんなわけねえよ。食料は、お山からちゃんと運んでくる手はずになってたじゃねえか。そりゃ長くなればどうなるかわかんねえけど、最初の一日でだめになるはずが」
「当初の予想より食料の減りが早いんじゃ。コワイの食い過ぎのせいじゃな」
ゴーライの中で、コワイに対する怒りがふつふつとまた湧き上がる。一体上の奴らはなにを考えているのだ、戦力どころではなくただの足手まといではないか。
「あの野郎のせいで……」
「この分じゃと、人質にまわす食料はとてもじゃないが足りんな」
ぬらりひょんが人間の肩を持ったのが気に喰わないのか、九が分かりやすくむくれた。
「いいよ、人間なんかほっときゃ」
「そうもいくまいよ。佐門さまから、今のところは丁重に扱えと厳命を受けておる」
ぬらりひょんが困ったように言うと、九は飛び上がって傍らの屋台の看板をぶち抜いた。起きあがってきて、木くずを全身にまとわりつかせながらも「信じられねえ、人間をかよ」とひっきりなしにさえずり回る。
ほかの妖怪に聞こえないよう、ぬらりひょんとゴーライ、二人がかりで必死になだめて、ようやく黙らせることに成功した。
「人質の話で思い出しました。……実は、人間どもからある提案をされてまして」
「提案?」
実はデンワとやらで持ち込まれた話は、人質の解放を懇願するものだけではなかったのだ。イッポンダタラは、あのやけに平べったい感情のない声の男との会話を二人に向かって説明しだした。
『それではせめて、食料の差し入れだけでも受けてもらえないだろうか。そちらも、補給が間に合わないかもしれないだろう』
『……特に困ってはいないがな。貴様、どこまで知っている?』
『何の事だか』
『どうせおまえらが手垢をつけた、汚い食い物を送ってくる気だろうが』
『信用がないな。まあそれも当然だが。しかしこれは、とらわれの人質たちに我々が送るべき支援物資だよ。別に君らに食えとは強制しない。それとも何か? 君たちは自分たちのほかに、人質数百人分の食料も用意してくださるのか?』
『人間どもの生死など知ったことでは』
『それは嘘だな。殺してもよいと指令を受けていたのなら、もっと手際よく片づけていたはずだ。生かせ、逃がすなと指示があるから、こんな大変な労力を払ってまで人質を管理しているわけだ。そうだろう』
『……』
『君たちが仲間を思うように、こちらも人質のことを心配しているのだ。受けてくれるか』
『俺の一存では決められぬ』
『では相談してくるといい。こちらからまた連絡をいれよう』
通話はそこで切れたのだ、とゴーライは忌々しく思いながら言った。九は相変わらず落ちつきなく飛び回っていたが、ぬらりひょんはしっかりと話を聞いてくれている。
「そのことを相談しようと思ってコワイのところに行ったんだ。本人があのていたらくだったので諦めたが」
「なるほどの」
ゴーライの話を聞き終えたぬらりひょんがうなずいた。全て吐き出したゴーライは、胸のつかえがとれた感じがした。
「意見をお聞かせ願えますか、御大」
「儂は……受けるしかないと思う」
「あいつらの言うことをほいほい受け入れるって、そりゃ無理ですよ」
ぬらりひょんの大人の対応が気に喰わないのだろう、九が不機嫌そうに言う。聞きわけの悪い孫に諭すように、ぬらりひょんがゆったりと話しかけた。
「しかしこのままいけば、全部の群れから不満が出るのは確実じゃぞ。九、おまえも見たじゃろう。さっきの猿どもの騒ぎようを。いかに理屈をこねようが、水と食い物はわき出てこんからの」
それでも納得できない九が、救いを求めるようにゴーライを見てきた。ゴーライも顔をしかめながら急に言い聞かせる。
「九、御大の言うことが正しいかもしれん。なにより、総大将のコワイが異常に食べ物に執着している。食料が調達できませんでしたとでも言ってみろ、逆上してどんなことを言い出すかわかったもんじゃない」
九もコワイに会ったことがあるのだろう、ゴーライがそう言うとしぶしぶうなずいた。
「わかった。もらってやらあ。しかし人間のことだ、確実に食い物の中に何か仕掛けてくるに決まってるぜ」
「そうじゃな。一番確実なのは、食料に毒でもしこんでおくことかの。我ら外からの攻撃には丈夫じゃが、飲み食いした場合にはどうなるか分からんからな」
「え、なんで俺たちが人間の差し入れなんか食うの?」
九の回答にふはは、とぬらりひょんが笑った。九はプライドを傷つけられたらしく、羽を逆立ててすねる。
「なんでい、バカにしやがって」
「いや、儂が悪かった。九、おまえは本当に素直に育ったのう。よく考えてみるとええわ。儂等の補給が不十分だ。するとどうなるか」
「俺らの飯がなくなる!」
「そうじゃ。さらに考えてみ」
「困る!」
「いやおまえな」
ここまできておいて、予想外のアホな答えに古老がたじろいだ。様子を見守っていたゴーライが助け船を出す。
「みんながみんな、御大や俺みたいに我慢強くはない。だんだん腹が減ってきたら、人間にやるより、もらった食料は自分たちで食いたくならないか?」
「そりゃそうだ。人間どもより仲間が優先だぞ」
そこでようやく気づいたのか、九は大きく顔をしかめた。
「……そういうことか。腹が減った俺たちが、毒入りの飯を食って死ぬってことな。人間ってずる賢いなあ」
「まあ、これは化かし合いの一種じゃがな。事前にタネがわかってしまえばどうということはないが、くれぐれも慎重にな。儂らが食う前に、人質に毒見させておいた方がよかろ」
ぬらりひょんが九とゴーライに向かって念を押す。二人とも、子供のように素直にこくりと頭を下げた。が、ゴーライの胸には不安がくすぶっている。
「やれやれ。あのコワイが、食料を一部でも人質にやることに納得するかねえ。説得にはだいぶ苦労しそうだ」
「一対一では手を焼くかもな。儂の連れに脇を固めてもらうか」
ゴーライは結局、ぬらりひょんの申し出を素直に受けることにした。コワイを説得するなら、頭数が多い方が便利だ。
「じゃあ、俺も行く」
「おまえはだめ」
行ったところでコワイと喧嘩になるのが目に見えている九の申し出は、さすがに断ったが。
「三千院くん、連絡がちっともこないのはどういうことなのかしら」
「さあ、妖怪に聞いてください」
上司の嫌みを葵はさらりと受け流した。さして苦痛ではない。脳味噌が軽い奴が言う嫌みはだいたい同じ内容をループするものなので、慣れればBGMみたいなものだ。
嫌みが受け流されたのが気に食わなかったのか、目の前の痩せすぎた女が奥歯を噛んだのが見えた。ダイエットに励みすぎた結果だろう、貧相な服掛けのような体をして、ぎすぎすした雰囲気をまとっている。
さっきようやく現場入りしたこの有園という上司は、例にもれず葵のことが気にいらないようだ。葵に対するときだけ妙に言葉に毒が混じる。葵も冷淡にかわすため、二人の間にたちこめる空気は限りなく冷たいものとなった。




