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あやかし殺しの三千院家  作者: 刀綱一實
籠中の獅子たち
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それぞれの絶望

「し……清水先生何を」

「渡辺が面白いことをやっているので、真似っこ。ところでこれはどういう意味かな」

「アフリカに伝わる親愛のポーズです」


 ナベちゃんはしれっと嘘を言った。


「ほう、僕は勉強不足で知らなかったがどこの国だね」

「ボリビアです」

「それは南米」


 ナベちゃんはあえなく討ち死にした。


「すみません、冗談です」

「素直にそう言えばよろしい。早く音合わせに行きなさい」


 良く見れば、部屋の中から部員の姿があらかた消えていた。先生にせかされて、小さな黒いケースと譜面台を持ったナベちゃんの丸っこい背中が遠ざかっていく。心なしか彼女の背は猫背になっていた。


「講演、聞きに行くからねー」


 それでも蘭子が背中に声をかけると、ナベちゃんは手を振り返した。彼女の後を追い、清水先生も分厚い扉の奥に消えて行った。


「何を頼んでたの」


 響が眠そうな顔のまま、ぼそっと蘭子に聞いた。蘭子は待ってましたと胸を張る。


「今日のうちの劇に使うBGM。なかなかいいのがなくてさ。ナベちゃんにトランペットで吹いてもらった」

「へえ」


「当たり前でしょう。どうせやるなら狙うは優勝よ」

「すごいわ、ほんま」


 蘭子の気合いが入った様子を見て大和が苦笑いした。そういえば、響には一発で食いついた大和が、蘭子には全く反応していない。

 初対面で怒鳴られて萎縮してしまったのか、そもそも好みではないのかどちらだろうと怜香は思った。


 部員たちがいなくなると、後にはがらんとした広い空間が残された。怜香たちはすることもないので、連れだって部屋を出て、再びロビーに戻ってきた。

 これからどうしようか、と怜香が口を開いたその時、ガガガガ、と何かをひっかくような音が響き渡った。


「な、なに?」

「楽器……?」

 蘭子がうろたえ、響が周りを見回した。

 確かに楽器の音、という可能性はある。しかし、さっき聞いた完璧なハーモニーを出せるような部員たちが、こんな不愉快な音など出すだろうか。


 不穏な気配を感じ取り、怜香は大和を見る。大和も同じことを思っていたらしく、視線が空中でぶつかった。


 この近くで工事でもしているのか? いや、来る途中でそんな表示は全く見かけなかった。


「見て、あれ!」


 ガラス窓に近づき、外の様子をうかがっていた怜香は、信じられないものを見て思わず声をあげた。

 さっきまで青く澄んでいた空が、みるみるどす黒く染まっていく。雨雲ではありえない。その黒い影は、下から徐々にせりあがってきたからだ。


「本部に連絡するわ。これは、まずいで!」


 大和が尻ポケットから携帯を取り出し、一気にまくしたてる。まだ、携帯は使えるようだ。怜香も、自分の携帯を取り出す。履歴の一番上に残っていた番号を押し、電話をかけた。


「はい」


 地獄の底から響いてくるような、低音のぶっきらぼうな声が電話に出た。怜香はわずかな時間をどう使うか考えながら、最初の一言を探した。




 葵は思う。自分は一般の会社でいえば、中間管理職にあたる。部下の管理ももちろん仕事のうちだ。呼び出されるのはいい。だが、こんな情けない恰好の部下に相対するとは全く思わなかった。


 葵は天を仰いだ。別に神に祈ったわけではない。ベビー服を着ている部下の姿が純粋に気持ち悪いので、見たくなかっただけだ。


 赤ちゃんパブで部下が暴れている、と聞いた時、何だそれはと真剣に思った。とにかく現場に急行したが、到着してから、事前に情報を仕入れておかなかった己の軽率さを激しく悔いた。


 ピンクの照明がついたドアをくぐった葵がまず見たのは、この前まで一緒に戦場を駆けていた部下が、ぐでんぐでんに酔っぱらって乳母車をひっくり返している光景だった。


「あっ、そこの人。危ないから来ないで!」


 店の女性たちが、葵を見て声をあげる。普通こういう店では、きらびやかなドレスを着るのが一般的だと思っていたが、ここの女性たちは皆、フリルのついた白いエプロン姿だった。


 店の中をぐるりと見回す。暴れている部下は二人いた。一人は入口から程近いテーブルで哺乳瓶を振りまわし、もう一人は店の奥を円を描くようにのし歩いている。


 部下たちは、どちらも白いふわふわしたバスタオルを体に巻いている。タオルの下から、そこまで生えなくてもと言いたくなるほど、びっしり毛の生えた足が覗いていた。葵は自分の図太さに深く感謝する。常人ならば吐いていたろう。


 その二人からなるべく遠ざかろうと、店の中央付近に一般客やホステスたちが固まっている。テーブルやソファがあるべきところに、大きなベッドが並べられており、その間に人間が固まって座っていた。全員顔はひきつっているが、今のところひどい怪我人は出ていないようだ。


 奥にいた部下がぺっと何かを吐きだす。何かと思ってみてみたら、ピンクのおしゃぶりだった。おしゃぶりはころころと転がり、葵の足にぶつかって跳ねた。


 葵の中で何かが切れた。


 はあ、と息を吐き出す。女性たちの制止の声を聞きながら、葵はずかずかと酔っ払いたちに近づいていく。


「んあ~?」


 一人が葵に気付いた。酒臭い息を吐きながら、なんだこのチビは、と呟く。のしかかろうとして、上から覆いかぶさってきた。逃げようともせず、葵はひょいと体をかがめる。


 いきなり小さくなった対象をつかむことができず、男は勢いがついたまま、葵の背中を滑り落ちていく。どん、と地面に当たったが、一瞬何が起こったのか分からないらしく、ぽかんと空を見つめていた。


 男が再び起き上がり、向かってくる。両方の拳を、葵に向かって打ちこんできた。本能だけで打ちこんでくるため、遠慮がなく一発一発が結構重い。腕で防御して、反撃の機会をじっと待つ。


 拳が繰り出され、一瞬部下の顔の前に遮蔽物がなくなる。その瞬間を見逃さず、葵は左足を蹴りあげる。


 曲げた足がちょうど相手のこめかみに当たった。相手が再び拳を出そうとしたが、頭に一撃くらっているので、足がよろよろとおぼつかない。結局一撃も出せぬまま、地面に倒れこんで動かなくなった。


 もう一人がゆらりと葵の前に立ちふさがる。こちらの方が背が高く、それなりに威圧感がある。

 男が口を開いて喋ったはいいが、卑猥な放送禁止用語の羅列だった。何言ってんのよう、と背後から声が上がるが、あいにく葵は何とも思わない。軍隊内で下ネタなど聞き慣れている。


 聞き続けるのも鬱陶しいので腕を掴んでねじる。男の体がぐるりと一回転し、店の床で思い切り背中を打った。大男はそのままぐう、ともぎゅう、とも聞こえるうなり声を発して気絶した。


 二人が起き上がってくる気配がないのを確認し、葵は息を整えた。背後で固唾をのんで見ていたホステスたちから、わっと歓声があがる。どっと葵に近づいてきて、肩や頭を撫でられる。どさくさにまぎれて一人尻を触った奴がいたが、誰だ。


「あなた、強いのね~」


 酒でひどく枯れた声をした、年増が葵に近づいてくる。葵に店主だと名乗り、賛辞を伝えた。その顔には立派な髭が生えていた。


「それほどでも」

「謙遜しなくていいわよ。いいお尻だったわ」

「犯人、貴様か」


 葵がねめつけたが、店主はほほほと笑って意に介さなかった。

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