老婆の奮戦
「見えたぞ!」
真っ先に声をあげたのは、愛してやまない末孫だった。確かに彼女の指さす先に、異形がでんと根を下ろしている。
あれが生物なのか、紫は一瞬判断に困った。上半身は鳥のようだが、下半身はどうしても樹木である。
飛ぶための体と、根を下ろすための体。相反する概念が、一体の獣のうちに詰め込まれていた。紫は思わず、その異形に目を奪われる。
「婆さん、他にもいるぞ」
要が言う。確かに、異形の周りの海が揺れていた。
「出来る限り引きつける。穴は頼むぞ」
そうだ。天魔雄の他に脅威が、もう一つ。
「分かった」
守りの鏡は、全て問題なく機能している。要が暴れても、余波なら受けきれると断言できた。
返事を聞いて、心底嬉しそうに要が笑う。次の瞬間、紫でも分かるくらいはっきりと空気が震えた。
異形たちも危険を察知し、いぶかしげに周りを見る。しかしそこを探しても、原因は永遠に見つからないだろう。
(上よ)
異形の頭上に、巨大な光球が浮かんでいる。彼がそれに気付く前に、球からばちっと火花が飛んだ。
そしてさらに光球が大きさを増す。
「成長した……?」
「いや、落ちておる」
都の方が正しかった。光球はぐんぐん速度を増しながら、怪物めがけて落下してくる。
その光が異形とぶつかった瞬間、すさまじい音と光が一気に放出された。雷雲の中に放り出されたような衝撃をうけて、紫は唇をかむ。
(大丈夫。耐えられる)
必死で自分にそう言い聞かせる。扇を持った手に、わずかに汗がにじんだ。
その時、肩に温かい手が乗せられる。
「ばあば。もうすぐ終わるでの。心配いらぬ」
都だった。にこにこと花のように笑いながら、紫の隣に立っている。
「どうしてそう思うの?」
「なんとなくじゃ。じいじもねえねもそういうことがあるらしいから、遺伝かの」
「へえ……」
「ほら、言うておる間に消えてきた」
都の言う通りだった。光は徐々に薄くなり、次第に目が外の景色に慣れてくる。
紫はまず、自分の横に並んでいる艦を確認した。無事な姿が目に入ると、体がふっと軽くなる。
それからあわてて、顔を正面に向けた。横で都が呑気に「ほう」と声をあげている。
異形たちは変わり果てた姿になっていた。首が落ちた物、体をえぐられたもの、焼け焦げたもの。もうこちらを襲う元気はなさそうだ。
「のう、大丈夫じゃったろ」
「本当ねえ」
自分より強くなった孫を見て、紫の涙腺が緩む。己の至らなさを嘆くより、嬉しい気持ちの方が先に立った。
(──ああ、そうか)
心の中でくすぶっていた疑問に、紫は一つの答えを見つける。
(たかのん、分かった気がするよ)
何故まつりが、ああもあっさりと最後を迎えたのか。ずっと不思議だった。せっかく巫女の任務を終えたというのに。
(守りたかったものは、自分じゃなかったんだね。孫たちと、若者全ての将来だった)
老いてみて初めて分かることがある。若さの危なっかしさと、尊さが。知らぬ事は多けれど、彼らの姿はたくましい。
きっと人は、後の世代を楽しみにしてしまう生き物なのだろう。生命に限りがある故に。
「都、ばあばはやりますよ。だから、サポートお願いね」
「心得た」
胸を張る末孫をその背にかばい、紫は一歩を踏み出した。ハトホルが十分に効果を発揮できるよう、位置を調整する。
「ねじ穴……」
あの時の紫にとっては救いだった。でも今は、この世界に災いをもたらすものだ。
「ばあば、出てくるぞ!」
都が声をはり上げた。紫は扇を構え、それに負けじと叫ぶ。
「ハトホル!」
ちょうどねじ穴から、巨大な竜が体を回転させながら現れるところだった。固い物でも砕いてしまうような分厚い頭蓋を持ち、体にも無数の棘がついている。
「絶対、行かせない!」
ハトホルの大鏡が、ねじ穴を正面から完全に塞いだ。勢いよくつっこんできた竜が、鏡にぶち当たって苦悶の声をあげる。
「ぐっ……」
竜の攻撃はしつこかった。一見して危険そうな頭より、体がこすれた時に与えられるダメージの方が大きい。
「なら、これはどうかな!」
紫はハトホルに命じ、もう三枚鏡を出す。すでに出している鏡の内側に。
見慣れぬ物体の出現に、竜が一瞬戸惑う。しかしすぐに気を取り直し、内鏡へ体をぶつけ始めた。
「あら、残念」
攻撃をうけた内鏡は簡単に砕け散る。もとからそんなに丈夫に作っていないのだから、当然だが。
「そこへ行っちゃったら、後は地獄よ?」
紫は指をはじく。砕け散った内鏡が、鋭い破片となって立ち上がった。それは竜の回転をすり抜け、本体に次々と突き刺さる。
「攻防一体、いっちょあがり」
紫がほくそ笑む。竜はひとしきりのたうち回った後、細かい塵と化して消えた。
「よしっ」
「良いことがあったのかの」
人外の自分と違って、都は何十キロも先の詳細まで見えていない。それでも雰囲気でなんとなく察しがついたらしい。
「ばあば、勝ちました」
「おお、めでたい」
「帰ったら何か買ってあげるから、よく考えておきなさい」
「……それは私が言う台詞ではないのか?」
「いいの。ばあばは浪費したいのっ」
「またとと様が怒るぞ」
都相手にだだをこねていた紫だったが、不意に口をつぐむ。そして空中をにらんだ。
「また新しいのが来た」
今度は鋭い鋏のような口を持った芋虫が、鏡を切り裂きにかかっている。どんな世界とつながってるのよ、と紫は悪態をついた。
「都、ばあばもうちょっと頑張る」
「うむ、励むがよい」
ようやく手に入れた、望む世界。それを失ってなるものか。紫は気合いを入れるために、扇で自分のこめかみをはたいた。




