しぶとい男
「御神楽一尉!」
琴が悲鳴に似た声をあげる。しかし夕子はもっと恐ろしいことを発見した。
「……スキュラは、どこ?」
つぶやきを聞いた琴が、辺りを見回す。
「あそこ!」
スキュラはすでに、隼人の近くに移動していた。河原に伏せていた蛇身が、にわかに起き上がる。隼人は、大妖二体に挟まれる形になった。
「最初からこの形を狙って……」
隼人たちは、一対一の勝負のつもりでいただろう。しかし妖怪たちは、最初から決めていたのだ。──どちらかを先に片付ける。もう片方は、それからゆっくり始末すればいい、と。
(しまった……甘かった!)
夕子は痛む体を起こす。
「隼人、逃げてっ!」
隼人は横へ転がろうとした。だが、それより鵺が口を開く方が速い。
「良い子ちゃんはこれが限界だろうさ」
鵺の白い炎に混じって、スキュラの犬たちが隼人に襲いかかった。
まず犬たちの一撃で、隼人の身体が上下まっ二つになる。血をまき散らし、うつろな目で宙を舞う死体を鵺の炎が根こそぎからめ取った。
☆☆☆
「あ……」
あまりの惨劇に、夕子は顔を覆ってしゃがみこんでいる。彼女の気持ちを思うと、琴はかける言葉が見つからなかった。
(まつり様に続いて、隼人様まで)
弱い自分が、ひたすら恨めしい。琴は唇をかんで、鵺たちを穴があくほど見つめた。
「やれやれ、やっと死んだよ」
「気を抜くんじゃない。さっさと倒れた男にとどめ刺しておいで。女たちを食うのはそれからだ」
「はいはい」
スキュラが和泉の方へ向かう。かっとして飛びかかりそうになった琴だったが、踏みとどまった。
「白い……?」
血の赤か、焦げた黒か。どちらにせよこの場にあるのは、汚れた色のはずだった。しかし、琴の目に入ったのは混じりっ気のない純然たる『白』。
なんだ。これは、なんだ。
考えがまとまる前に、琴の顔を風がさっとなででいった。
「そういえば……」
さっきまでやんでいた風が急に出てきた。琴はあわてて、和泉が倒れていた方向に目をやる。
そこには、巨大な空気の塊があった。長い首と大きな羽を持つ、怪鳥の姿がそこにある。
琴が身じろぎする間に、鳥が大きく左右の翼を降った。羽の一部が本体から離れ、三日月状に変化する。
羽がすっと空中を舞った。その先には、スキュラの巨体がある。
「当たった……?」
一瞬、何の変化もないように見えた。琴は思わずつぶやく。しかしその直後、スキュラの首がするっと下方へずれる。
(斬られている!)
あまりに見事だったので、琴ですら気づかなかった。スキュラの首筋から吹き出す血を見て、夕子が青ざめる。
「ぐあ……」
人間なら即死ものだが、さすがにスキュラは踏みとどまった。そして血走った目で和泉を見つめる。
「どこへ行ったア!!」
「答える義理はないけどな。ま、サービスしとこか」
最初に倒れたところからさらに後方──もう琴たちから見るとシルエットに近くなる──に、和泉が立っていた。
やはりさっき倒れていたのは芝居だったらしい。和泉は元気そうに手を振っている。
「お前らの考えとることくらい、お見通しや。芯まで腐った奴らが、急に善玉熱血になるはずないからな」
そう言いながらも、和泉は攻め手を緩めない。巨大な鳥は、回りの空気を吸ってより存在感を増した。
「大阪での不始末を忘れたとは言わんやろなあ。相棒の変な鯰共々、人がおらん間に好き勝手やってくれたもんや」
和泉が鯰、と口にした瞬間、スキュラに変化が起こった。今まで白目をむいていた瞳に、色が戻ってくる。
「カリュブディス……」
「ご立派なお名前やな」
和泉がわざと茶化す。それを聞いたスキュラが、ますます怒りをあらわにした。
「殺した……貴様ら……」
「せやな」
「あっさりと……虫のように……」
「お互い様や。俺はお前みたいに、自分等だけ被害者ぶる奴が嫌いでな」
和泉が手を下ろすと、鳥が大きく体をくねらせる。羽が刃となって、さらにスキュラに降り注いだ。
「貴様たちも同じ目に合わせてやるっ!」
スキュラの執念はすさまじかった。刃の間をかいくぐり、和泉に向かって手を伸ばす。
「はい、失礼」
しかし横から、人形がそれをはじき飛ばす。琴にも見覚えのある顔が、再び目の前に現れた。
「隼人様!」
「やあ、琴。五分ぶりくらいかな」
隼人の服はすすけているが、本体は健康そのものだ。
(そうか、さっきの死体は人形か)
琴はようやくそれに思い至った。紙とは思えない死に様だったが、それも計算のうちということか。冷えきった琴の身体に、ようやく血が巡り始めた。
(そうだ、鵺!)
琴は思い出した。スキュラがいいようにやられるのを、じっと見ているようなかわいい性格ではない。
「河原にはいないわ」
同じことを思ったのだろう、夕子がつぶやく。
一つ目の罠は失敗した。今、あいつが狙うとしたら誰か──
「夕子さま、家の中の隊員たちはっ」
「まだ少し残って……」
質問の意味を察した夕子が青ざめる。それと同時に、背後の建物が音をたてて崩れた。




