嗚呼、素晴らしき学園祭!
「ああ、ここを右やで」
「次はこっちを曲がるんや」
「信号、渡るで」
大和はその後もテキパキと指示を出し続ける。進むに従って、同じ地点を目指しているであろう品の良い家族連れがちらほらと増えてきて、怜香はほっとした。どうやら正しい道を進んでいるようだ。
「すごいねえ。良かった、大和君と一緒に来て。私だったら、絶対もっと迷ってたよ」
「へっへっへっ。もっと褒めてええんやで」
大和は鼻高々で、明るく答える。四人が歩く道の両側には、今までなかった可愛らしい雑貨屋やカフェがちらほら見かけられるようになった。学生目当ての店だろうな、と怜香は思う。
「あとは道なりに坂を上がってけば、校舎が見えるはずや。いやー、楽しみやなあ」
「アイスまであとすこしじゃな」
都が無邪気にはしゃぐ。大和はそやで、と同意しながら、うっとりとした表情で己の胸に手を当てた。
「ああ、憧れの女子高……俺はこの瞬間のために、テストのために蓄えた知識を全て捨てて道を覚えた……」
「大和君、もっと自分を大切にして」
たかが一回の文化祭のために失うものが多すぎる。一体どんな脳みそだ。
「ええねん。青春は女の子と楽しく触れ合うためにあるんや」
「それだけでいいのかなあ」
「後悔しますよ、そのうち」
一丞が年長者らしく忠告したが、大和はこたえた様子がない。小走りになっている彼を追って怜香は足を進めた。
やがて前方に、並木に囲まれた大きな煉瓦づくりの校門が見えてきた。
パンフレットによれば、イギリスからわざわざ取り寄せた煉瓦を使っているらしい。確かに、普通のものよりやや赤みがかった煉瓦は落ち着いた雰囲気で、学び舎によく合っていた。
門の前には、茶色い長机がずらりと並び、深緑のブレザーをまとった女子生徒が数人腰かけている。その背後に、ごつい警備員数人が陣取って、来訪者ひとりひとりをくまなく見ていた。
あそこが受付だろう、と見当をつけて近づいていく。大和の姿を見た警備員たちが、にわかにぎろりときつい視線を投げつけてきた。まだ何も口にしてはいないが、彼らのセンサーにひっかかる何かがあるらしい。
「こんにちはー」
伸ばした髪をポニーテールにした、可愛らしい女の子が微笑む。怜香は都と一丞の分のチケットを受け取り、まとめて渡した。大和は自分で渡したいらしく、隣の受付にすでに並んでいる。
彼女はほっそりした腕でチケットを受け取り、三枚の下半分をちぎって残りを怜香に返す。大和も、怜香の横ででれでれになりながら、ショートカットの女子に無事チケットを確認してもらっていた。
「楽しんでくださいね」
「ありがとう」
校門を入るとすぐ、大きなアーチが一行を出迎えた。大きな白い羽の天使が二人、色とりどりの薔薇を手に微笑んでいる。
美術部が腕をふるったらしく、花弁の一枚一枚まできっちり描き込まれており、なかなかの完成度だ。裏面に回ると、こちらには鈴華のシンボル、鈴蘭が全面に描かれている。
「なんや、終わったら壊してまうんやろうけど、もったいないなあ」
大和がつぶやく。怜香もほんとね、と同意した。
華やかなアーチをくぐると、右手に駐車場が見える。普段は教師が使うであろうこぢんまりとした駐車場には、色とりどりのシートがひかれ、そこに腰をおろしているものと、立ったままその周辺をうろうろしている人間がいた。
「弁当でも食っとるんかな?」
「こんな早く? しかも入口のすぐそばじゃ、落ち着かないでしょう」
大和の疑問に一丞がつっこみを入れる。都は人ごみの方へ行きたくて仕方がないようで、急にそわそわしだした。
「たべもの?」
「都ちゃん、走ると危ないからお手々繋ぎましょうね」
一行は結局好奇心に負け、ぞろぞろと駐車場に足を踏み入れた。
「あ、フリーマーケットだ」
一歩踏み入れてみると、疑問はすぐに氷解した。座り込んでいたのが売り子で、立っていたのが買い物客だった。
まだ開始直後とあって、シートの上には沢山商品が残っていた。並ぶ店を冷やかしながら、駐車場を通り過ぎる。
芝生の中に、煉瓦造りの歩道がくねくねと這っている。公園のように花壇や植え木が多く、所々に設置されたベンチに座って景色をゆっくり眺めている人もいる。
青々とした芝生に寝転がったら気持ちいいだろうと思ったが、きっちり手入れされた緑のじゅうたんの前には、『芝生を踏まないでください』と書かれた、手のひらほどの看板が一定間隔で並んでいる。
芝生エリアの中央付近に、大きな案内板がある。今いる地点は、『憩いの道』と名付けられた緑の一角だろう。ここを左手に進めば校舎が、右に進めば運動場や体育館に行けるようだ。
怜香がちらりと時計を見る。時刻は九時を少し回ったところで、ようやく各クラスが展示を公開し始めた時間だ。
屋台の設営はすでに終わっているが、客を呼び込んでいる店舗はない。各店、開店前の最後の追い込みのようで、楚々とした見た目の女子高生たちが忙しく駆け回っていた。
「ぬー」
都はすぐにでも何か食べる気でいたようだ。あてが外れて、眉間に皺をよせ、恨めしげに屋台の並びを見つめている。
「ちょっと早すぎたみたいですね」
一丞が都の頭を撫でてなだめる。都はまだ唸り足りないらしく、ぐるぐると声をあげていた。
「そうね。屋台もイベントも始まるのは十時からみたい」
「じゃあ、先に展示見てまわろか」
大和のこの提案に同意し、四人は左の道を進んだ。しばらく歩くと、正面に円形の茶筒状の建物が見えてくる。
壁には大きなガラス窓がずらっと並び、中の様子がよく見える。窓から降り注ぐ朝の光の中、大きな黒いケースを抱えた生徒達が歩いている姿が一行の目にとまった。
「これなんや? 体育館は反対側やろ」
「コンサートホールだって」
「うわあ、おしゃれなもんがあるなあ」
「この後、吹奏楽部が講演するみたい。今は入れないみたいだけど」
鈴華女子高の吹奏楽部は、全国大会で金賞を何度も受賞した強豪中の強豪である。葵が講演を聞きたがっていたと怜香は口にした。
後ろ髪をひかれつつホールの前の丁字路を右に曲がると、三つの校舎が見えてきた。通常校舎の壁は白が多いが、ここは淡い緑色に塗られている。窓枠は白く塗られ、壁の中で美しく浮かび上がっていた。
「正面が教室棟、左が文化棟。文化部の部室や、図書室がある棟ね。右が理科・技術棟」
怜香が地図を見ながら一行に解説した。さすがクマ校と並ぶ有力私立校、設備は充実しているようだ。クマ校のように変なところにピラミッドがあったりはしないが。
「さて、どこからいこか」
大和が勢いよく聞いた。しかし、聞かれた都も一丞も首をひねるばかり。初めて来たところ、かつ屋台がやっていないとなれば困るのも当然だろう。怜香は助け船を出した。
「もし、みんなに行きたいところがないのなら、右から行きましょ」
「俺はどこでもええ。怜香ちゃん、目当ての展示があるんか」
「ううん。葵のお姉さんに一言あいさつしておきたいの。この時間なら会えるかもしれない」
この提案には、都も一丞も異論はなかった。一行は怜香を先頭に、ぞろぞろと右へ進んだ。




