挑発
天逆毎はどこまでも現実家だった。彼女の頭の中で、みるみる計画が組み上がっていく。
「私があの装置を破壊する。お前はここの監視を」
天逆毎は胡蝶に言った。だが、胡蝶は顔をしかめる。
「本来なら、逆の方がよいのでは?」
「確かに、私は総大将さ。監視役をつとめたい気持ちはある。しかし、単純に相性の問題でね」
「相性?」
胡蝶が眉をひそめた。
「あの装置、不浄なものが入らぬように強い結界で守られている。ああいう御物には、神の異名を持つ私の方がいいのさ」
「はあ……」
「不満だってんなら、今ここで私と力比べでもしてみるかい」
「ご冗談を」
天逆毎がすごむと、胡蝶は首を横に振った。
「なら行くよ。せいぜい人間共に気を配りな。……このところ、妙に小賢しくなりやがってまあ」
「心得ました」
胡蝶が流麗に頭を下げるのを見てから、天逆毎は飛び去った。
(相性、ね。誤魔化しとしては中の下か)
それでも相手が信用すれば用は足りる。高速で流れていく下界の景色を見ながら、天逆毎はひとりごちる。
本当のところは、相性などどうでもよかった。雑魚ならともかく、胡蝶なら人間の結界くらい破れるだろう。
(しかし、所詮は獣)
天逆毎は『好意』や『忠誠』などというものを信じたことは一度たりともない。相手がどう出てくるか、そんなものはその時の状況によって変わってしまう。
(この大事な時に、裏切られでもしたらかなわぬ)
その一念を胸に、天逆毎は宙を走る。そしてついに、眼下に青い鳥籠が見えてきた。
☆☆☆
「ん?」
天逆毎からの指令をうけて、胡蝶は蜂たちを守っていた。その時、強い光が連続して地上から放たれていることに気付く。
「目くらましのつもり?」
この繁殖地が、人間たちにとって重要だということは分かっている。攻め込まれることは、想定内だ。
しかしそれなら、実弾であるべきだ。閃光弾なら、妖の目はすぐに馴染んでしまう。
(そんなに阿呆な連中ではないと思っていたけど……買いかぶりだったのかしら)
空中で静止しながら、胡蝶は首をひねった。しかし、それもほんのつかの間のこと。
(実害がないなら放っておくけど)
胡蝶は割り切って、再び進もうとした。すると、下からの弾がぴたりと途絶える。強い光がなくなると、胡蝶は奇妙なものを発見した。
「おなごか」
しかも、たった一人。周りを用心深く見回してみても、伏兵の気配はない。
女子は年にして十七、八ほど。若い体をぴんと伸ばし、白い上衣に緋袴姿だ。手には大ぶりの日本刀を持っているが、銃器の類は見えない。
(デバイス使いなのか、単に頭がおかしいのか)
しかしどちらにしても、胡蝶の相手にならないことは明白だ。瑠璃の坏が作動しているのだから、動けるのは下位のデバイス使いしかいない。
(馬鹿なら、早死にしたほうが幸せかね)
うんとうなずいた後、胡蝶は胸の前に手をかざした。ぼっと赤い狐火がともり、みるみる温度をあげていく。
(人に当たれば、一発であの世行き)
見苦しくない女だから、これくらいの慈悲は与えてやってもいい。胡蝶は美しい物が好きなのだ。あの人間は得をした。
胡蝶はふっと息を吐き、狐火を女めがけて投げつける。あわれ木っ端みじん、骨を探すのも一苦労──
に、なるはずだった。
唐突にひゅう、と風が吹いた。山に近づいたわけでもないのに、何故。
胡蝶の背筋に冷たいものが走る。反射的に身をひるがえし、敵から逃れる体勢をとった。
しかし、風は胡蝶を放してくれなかった。自分の左頬を、液体が流れる気味の悪さ。確かに胡蝶は、それを感じた。
何気なくそれを手でぬぐってみた胡蝶は、驚きで声を失った。
(血……?)
そんな馬鹿な、と内心で否定する。しかし、時が経つにつれて強くなってくる痛みには、どんな言葉も無力だった。
胡蝶はすぐに、この現実を受け入れる。そして同時に、吹き上がるような怒りを感じた。
(忌々しい人間め……)
なまじ情けをかけていただけに、胡蝶の怒りは一層激しいものになった。
よかろう。そんなに苦しんで死にたいというなら、ここからじわじわと炎でなぶってやる。
「上からの手ぬるい攻撃で、都が倒せるか」
地上の女子が、胡蝶をせせら笑った。大声を出さなくとも、胡蝶にははっきり聞こえる。
「無駄なことがしたくば、何度でもせい。都度切り払ってしんぜよう」
都と名乗った女子は、刀をゆらゆらと前後に振ってみせる。余裕たっぷりの彼女とは反対に、胡蝶は歯ぎしりした。
(あそこから、狐火を斬ったですって……?)
そんなことは、とても低位のデバイス使いにはできない。通常兵力、もしくはもっと上の存在か。
「さっさとかかってこんか。不細工な上に頭の中まで悪いとみえる」
胡蝶はこの瞬間まで考えていた。極めて理性的に。しかし、それはこの生意気な言葉でかき消される。
「今、何と言った。餓鬼」
「不細工じゃ。そのように救いのない面構えに、他にどんな言いようがある」
「……よくほざいたわ。骨の髄まで後悔を染ませてから、殺してやる!」




