美しくも豪快に
かけ声に応じて、絹子を囲んでいたバラたちが黒く変色していく。徐々に光が花に吸収され、当初の勢いを失っていった。
「あれはなんだ」
「何故沈まぬ」
「何故消えぬ!」
シキたちが焦り始めた。無理もない、絹子の黒バラはしおれるどころかますます大きくなっているのだから。
「もっと照らせ」
「我らの力を見せつけよ」
シキたちはまた発光する。絹子はそれを笑い飛ばした。
「あら、それっぽっち。夜中のキタに比べたら、物の数にも入りませんわねえ」
「なんだとっ」
人工物と比べられたことが、妖怪たちのカンにさわったらしい。水中からのざわめきが大きくなった。
「貴様らは、我らの住みかを荒らして光を作る」
「盗人猛々しいとはこのことだ」
「弱者の割に、口だけはよく回りますこと」
絹子が皮肉を言うと、シキたちは一瞬ひるんだ。しかし数にものをいわせて、すぐに復活してくる。
「弱者だと」
「すぐ干上がってしまう貴様らにこそ、その呼び名はふさわしい」
声が四方から飛んでくる。絹子はそれを聞きながら、小首をかしげた。
「体の強さだけで勝負は決まりませんわよ。頭が弱い方が、よっぽど問題ですわ」
「我々はあらゆる点で人に勝っている」
「そうだ」
「では、人間が家を作り街を作り電気を作った間に、あなたたちは何をしまして?」
妖怪たちは喚く。しかし、その内容は皆無に近い。
「人より長く生きられるのに、工夫しなかったのは怠慢ではなくて?」
ばしゃり、と海面が泡立った。シキたちもそろそろ言い返さねば、立つ瀬がないはずだ。
「欲深め」
「足るを知らぬ者どもめ」
「与えられたもので満足しておればよいのだ」
「お黙り」
力一杯、絹子は声を上げた。腹の底から絞った声は、自然といろはのようにドスを帯びる。
「欲がなければ、進歩などしませんわ。あれが欲しいこれが欲しい、その思いで人はここまで来たのですから」
他の者より速く移動したいと思えば、列車や飛行機。
美しくいたいと思えば、服や化粧品。
多く所有したいと思えば、貨幣──あげていけばキリが無い。
文明とは、人間の欲の集合体だ。それを支えるのが、絹子たち商人である。
「何も欲しがらない、何も動かさない。そんな生きているかも分からない者に、遅れをとったりするものですか」
絹子は改めて海面をにらみつける。
「かかってらっしゃい、三下が。全員まとめて、きれいに消してさしあげますわ」
「ぬかせええ!!」
海面からの光が、辺り一帯を昼のように照らし出す。それが返答ね、と絹子はうなずいた。
一分経ち、二分が過ぎる。海からの光が、徐々に和らいできた。シキたちの光は、全て黒の女王の餌食となったのだ。
「な……」
「死なぬ」
「まだ死なぬぞ!」
今まで相手を弱体化する光に頼ってきたため、それが破られると恐ろしくもろい。シキたちの間に、動揺が広がった。
絹子は誇らしげに、傍らの黒薔薇を見つめる。自分も引き込まれそうな純黒は、何物にも染まらない。
「ペンタブラック、という名前はあまり風流ではないけれど……威力は大した物ね」
もともと物体は、光を吸収する性質を持っている。だが物によって、どうしても吸収できない波長の光がある。その場合、どうするか。反射するのだ。
波長が赤い光であれば、元の物体は赤く見える。青ければ青、緑なら緑。白いものは全ての光を反射し、黒は──全ての波長を吸収する。
しかし通常の物体は、光を完全に捕らえきれるわけではない。わずかに反射された光が、微妙な陰影を生み出すのだ。それを封じきったのが、ペンタブラックという特殊素材である。
炭素ナノチューブを組み合わせて作られており、頑丈なので機材のコーティングにも使われる。津田からこの話を聞いたとき、絹子は「使えるかも」と思った。
「私のデバイスも、細い蔓を生み出すことが可能ですから……同じところまでこぎつけるのは苦労しましたけど」
「語っているところ申し訳ないが」
今までじっと様子を見ていたいろはが、口を開いた。
「奴らが逃げる」
「あら。大口を叩いた割には情けないこと」
シキたちは、争うように海へ向かっていた。しかし絹子は、逃がすつもりなどない。
「ヴィーナス、あの連中を片付けておしまいなさい」
絹子が薔薇たちに命じる。すると、大きな花たちが一斉に斜め下を向いた。
「さっきの話には、まだ続きがありまして」
実はペンタブラックは、炭素繊維がぎゅうぎゅうに詰まっているわけではない。繊維はあくまで骨組みを作っているだけで、そのほとんどはがらんどうなのだ。
その空間は光を捕らえ、決して離さない。
「出られなくなった光は、いつまでもそのままではいられない」
光はやがて熱に変化する。ヴィーナスはそれを最大限に利用した。
「全砲、構え」
花弁が開き、全ての花が砲台と化す。その直後、行き場を失った熱波が海中めがけて発射された。
海を蒸発させるまでには至らない。しかし大量の熱を注ぎ込まれた水は、一時的に超高温となった。水中から次々に、大きな泡が上がってくる。
加熱が終わった。周りから水が入り込むと、水温が徐々に下がる。すると、水底から次々に死体が浮いてきた。
死体はどことなくクラゲに似ている。これがシキの正体か、と絹子は息をついた。
「これで通常戦力に戻しても大丈夫ですわね。タテエボシの図体だけなら、なんとかなるでしょう」
「良いものを見た」
いろはが絹子に向かって拍手を送る。彼女の顔が、だんだんぼやけて見えてきた。




