この状況は
「君のところの情報部も正確になったものだ。昔はずいぶんこちらに楽をさせてくれたが」
「まあ百年近くたてば、少しはね」
「どこから聞いた?」
「知らない方が幸せってものですよ。協力する気になりましたか」
「いや。それではまだまだ、ほど遠い」
ヘンリーの声に、再び尊大さが混じった。
「協力とは、同じくらいの実力を持った者がやることだ。金さえ出せば誰かが勝手に血を流すと思っている国が、そうそう口にしていい言葉ではないぞ」
「そうでしょうか。今はうちの軍も、覚悟はできていると思いますよ」
「本当かな。ずっと同じところで座りっぱなしに見えるが」
「当てずっぽうで動くのをやめたというだけです。むしろ誉めていただきたい。データがあれば、立派に働きますよ」
「は?」
「あるでしょう。軍事衛星からの画像データ。一式ください。あと、うちの護衛艦をそっちに避難させる許可も」
「ばっ……○△×△□」
ヘンリーの口から、ありとあらゆるスラングが漏れだした。英語の表現も色々あるものだ、と葵は妙に感心してしまう。
そのうち言い疲れたらしく、ヘンリーが急に静かになった。
「……ふん。君たちはこつこつとラジオでも組み立てていればいい。万が一、必要になったらまた連絡する」
そこで唐突に通話が切れた。
「今はほとんど海外産ですよ」
言いかけた皮肉をひっこめることができず、葵は最後まで口を動かした。英語のわかる部下が怪訝な顔をするので、手を振ってごまかす。
「結果は?」
「スラングの語彙が増えた」
「仲良しこよしも表面だけですね」
皆愚痴めいたことを口にして、その場をとりつくろう。しかし内心では、かなり落胆している者が多いだろうと葵は思った。
(国内がガタガタだからな)
京都の占領、海からの侵攻、それに加えて太平洋の巨大生物。それに対応できるデバイス使いは激減し、友軍はいない。戦い続けても、今のままでは先が見えている。
(八方塞がりだな)
そう思いながら、葵はじっと同じ姿勢で座っていた。あまりに動かないので、昴がおそるおそる顔を覗いてくる。
「葵。気持ちはわかるが、みんなお前の指示を待ってるぞ」
「…………」
それでも答えない葵を見て、昴が前のめりになる。その揺れで、眠っていた都が目を覚ました。
「状況が最悪な時ほど、お前の力が試されるぞ」
「違う」
葵は時々、自分が周りの人間と違う生き物なのだと思う。今もそうだった。
──まだ、最悪だとは思えない。
「親父」
「ん?」
「“わが軍の右翼は押されている。中央は崩れかけている。撤退は不可能だ”」
初めてこの言葉を戦場で口にしてから、すでに五年の月日が流れた。
数多の戦があり、色々なものと出会った。しかし葵の求めることは、結局何一つ変わっていない。
勝つことだ。
「“状況は最高、これより反撃する”」
「お前……」
「どこか間違ってるか?」
「いや、そういうことじゃなくて」
うろたえる昴をよそに、都が嬉しそうに言う。
「にーに、面白いことを考えておるな」
「おお、親父より胆が据わっている。ほめてやろう」
末っ子の頭をなでくり回しながら、葵は言う。
「まだ勝負できる手が残っている。俺はあくまで、勝つつもりだ」
葵がきっぱり言うと、昴が折れた。
「わかった。しかし、どこから突破するつもりだ? 東京はまだだめだぞ」
「ああ。他のところから、助けが来る。動くのはそれをもらってからだ」
「助け?」
昴がつぶやくのと同時に、メールが届いた。
「姉貴、ちゃんとアドレスも書いてたか。奴にしては上出来だ」
「……なんですか、これ」
メールの内容を見た部下たちから、次々と声が上がる。それはおさまるどころか、時がたつにつれてかしましくなっていった。
「解析してくれ。これからが一分一秒を争うぞ」
「しかし、これアメリカ政府からですよ。しかもモザイク無しのデータがこんなに」
「別に不思議がることでもないし、フェイクでもないだろう」
「だって、ボロクソに言われたんじゃ」
「言われた。だが、会話を打ち切ろうとはしなかった」
互いに見知らぬ相手から攻撃を受けているとはいえ、アメリカ側はまだかなり戦力を残している。追い詰められているのはこっちだけなのだから、ヘンリーはいつでも電話を切れたはずだ。
「それでも最後までつないだのは、『まだ使えるかも』と思っていたからだろう。死に体の国でも、囮になってくれれば自国の兵士が生き残るわけだしな」
「損得勘定でデータを送ってくれた、と」
「全ての情報を天秤にかけて、教えておいた方がいいと判断したんだろう」
「はへー。ここで『人間としての良心』とか言わないところがとっても坊っちゃまらしいです」
「国同士の付き合いにそんなもんがあってたまるか」
国家が二つ並べば、利益が対立するのがこの世である。強い方が弱い方を引っ張り、価値がなくなったら放り出す。
弱い方はそれに文句が言えない。どうしても嫌なら自分も強くなるより他はない、それが近代国家だ。
「なんであれ、まだ検討していないデータが手に入った。全容を解明してくれ」
葵は部下にそう言ってから、自分でもメールを読み始めた。




