三千院の泣き所
ここでじっと話を聞いていた巌が口を開く。
「今は時期が悪い。しばらく経ってから、もう一回やってみるんじゃな」
「……ああ」
「押すばかりが能じゃない。都と一緒に水餅でも食え」
いつの間にか末っ子の目の前には、あんこを包んだ透明な餅が山ほど置いてある。小ガマまでちゃっかり机まで下りてきて、慣れた手つきできな粉を餅に振りかけていた。
「はああ」
葵はまだ割り切れないまま、楊枝を刺した餅にかぶりつく。それを見た巌が笑った。
「えらく不満そうじゃな」
「…………」
「聞き分けの悪い上司も部下も、今まで死ぬほど見てきたじゃろう。何がそんなにひっかかっとる」
葵は考えをまとめながら、口の中に残っていた餅を飲みこんだ。
「平ならいくらでも我慢する。だが、司令官が感情に振り回されているのは、どうしても好きになれない」
昔出くわした人質事件の司令官が、極めつけに無能だったせいだろうか。しかし記憶を辿ってみると、それよりもっと以前からこの感情は根を張っている気がする。
葵は思わず、めったにしないおかわりをする。巌もそれにならいながら、ぼそっとつぶやいた。
「やっぱり、お前と要は姉弟じゃのう」
「どういう意味だ」
盛大にきな粉をまき散らす祖父から顔を背けながら、葵は聞いた。
「似とる」
「全然似てないだろ」
Sクラスの姉と、Bクラスの自分。
感覚派の姉と、理論派の自分。
どこからどう見ても、正反対と言った方が正しいように思える。
「根っこが同じじゃ。自分が出来ることは、他人も同じレベルで出来ると思っとる」
葵はわずかにうなずいた。
「要はまあ言わずもがなじゃが、お前みたいなのもなかなかおらんぞ」
そうだろうか。葵は頭の中で祖父に反論する。みんなが自分を『機械』と評しているのは知っていた。
けなすだけの意図でもないのだろう。しかし、純粋に褒められていると思えるほどめでたくもなかった。
「……いてもなあ」
「ん?」
「姉貴とは違って、俺の能力は代替が利くだろう」
碁や将棋を例に挙げなくても、AIの成長はめざましい。自分はその時、いつまでふんぞり返っていられるだろうか。時々葵はそう考えるのだった。
「えー? そうかあ?」
しかし巌は、えらく軽い調子で葵の憂いを否定する。このジジイ、と悪態をつく葵に対して、巌はからからと笑った。
「戦場を渡り歩いた身から一言言っといてやるわ。あんまり自分を軽く見んでもいい」
「……努力はしてみる」
心から納得はしていなかったが、葵は一応うなずいた。時代を作った男の言うことだ、検討には値する。
「流すなよ。例えばお前は、感情の揺れが少ないから純粋に相手の言い分を検討できる。何人いてもありがたいもんだぞ」
なあ、と巌は庭の滝蔵を見やった。
「ま、今の疾風にゃ無理だろうな。とにかく、アイツに関しちゃ待ってやった方が良い」
「ただ、接触を断っちゃうのは良くないよね」
都の口元のきな粉をぬぐってやりながら、紫が言った。
「手はさしのべ続けなきゃダメだよね。天逆毎が、一人になった疾風を上手いこと利用するかもしれない」
「ありうる……どころか、それしかないな」
鬼一は死んだが、配下はまだ残っている。単なるコマとしてだけなら、天逆毎は使いたがるだろう。葵は折れることにした。
「分かった。ただしあいつは、人間の言うことは聞かないだろう。悪いが婆さん、引き続き交渉役を頼む」
「おっけー」
紫は軽い調子で言うが、相手が拒んでいる状態での交渉というのは、なかなか負担になるものだ。なにか彼女に埋め合わせをしなくてはならない、と葵は思った。
「したいことがあったら言っていいぞ。報酬だ」
葵が言うと、紫は笑みを浮かべた。
「ではこれを受け取りたまへ」
紫はバッグの中から、生の札束をとりだした。百万の束であることを示す、白い帯がついている。
「おい」
「使いたまへ」
葵がびっくりしている間に、紫は札束をねじ込んでくる。体をひねってかわそうとしたが、意外にしつこい。
「婆さんが自分で使えば良いだろ」
「この年になると自分より孫。孫に課金したい」
「また変な言葉を覚えて」
「孫のATMになりたい」
「もっとやばくなった」
「えいえい」
最終的には話し合いを無視して、札を渡される。葵はとうとう、抵抗をやめた。
(後で部下にばらまくか)
ただでさえ、葵の下にいると無駄に負担がかかる。たまにはボーナスがあっても良いだろう。
「滝蔵、お前も婆さんを手伝ってくれ」
「ああ。こっちは任せて、人間界で出来ることをやれ。どうせ、もうこちゃこちゃ動いてんだろ」
滝蔵が寝そべりながら、自分の腹を叩く。葵は宙をにらんだ。
「当たり。ただ上手くいくかは、ジジイの裏工作次第だな」
「いやいや、孫の悪さ次第であるぞ」
二人で言葉を交わしてから、苦笑いを浮かべる。
「……要はどっちも、上手くいってねえってことか」
「だな」
「うん」
その様子を見て、末っ子が不思議そうにつぶやく。
「にーにとじーじでも、ダメなことがあるのかのう」
「あるさ」
都の黒髪を撫でながら、葵はつぶやく。
「右派左派関係なく、俺たちの方針には反対だろうからな。まあ、手こずるのも仕方無い」
「しかし間に合わせねばいかんのう」
巌が重々しく言った。
運命の日は、もう分かっている。二○六五年、八月十五日。
その日までにどれだけの準備が出来るかが、勝敗を決することになるのだった。
「やるしかないわなあ……たとえうち以外、誰も望んでいなかったとしても」
思いは同じなのだろう。巌が腕を組みながら唸った。
2019年もよろしくお願いいたします。




