疑惑の一本道
「まさか……」
疾風は呆然となった。それを見た天逆毎が、「おや」と意外そうにつぶやく。
「彼女はうまく溶け込んでいたようですね。しかし、私はこの目で見たのですよ」
それから天逆毎は、戦場で見てきたことをつぶさに語った。
通常ではありえない速度で、大阪側から人間たちが押し寄せてきたこと。
向こうの司令が一時期戦場を離れてでも、ヴィオレットを探していたこと。
何故かヴィオレットが逃げた海側に、船が多数現れたこと。
確かに内通でもしていなければ、説明がつかない事実ばかりだった。
(でもなあ……)
しかし、まだ疾風は迷っていた。
天狗だけでなく、どんな弱い妖怪でもヴィオレットはよく世話をしていた。あれが全てウソだったと、疾風は認めたくなかったのだ。
「受け入れがたいのは分かります。しかし、こればかりは」
天逆毎が不意につぶやいた。自分の心を見透かされて、疾風は顔を赤らめる。
「何よりの証拠として、彼女は現在ヒトと一緒に暮らしています」
「はあ!?」
疾風は今度こそ、遠慮も忘れて本気で叫んだ。
「どうして、そんなことができる」
今まで自分たちは、人間に勝つことを目標にして戦ってきた。それをあっさり忘れて、人間と仲良くできる者などいるはずがない。
──いたとしたら、そいつは。
「私の言うことが信じられないのでしたら、ご自分でお調べになってください。三千院の家を張っていれば、すぐにはっきりするはずですよ」
「三千院!?」
「あそこに一人、やたら元気な老人がいたでしょう。その妻として侍っていますね」
「ウソだろ……」
「どうせつくなら、もっとましな嘘をつきます」
天逆毎は自信たっぷりだ。この妖怪の情報網には負けるだろうが、一応裏を取ろうと疾風は腹を決める。
「わかった」
疾風が返事をすると、天逆毎はさっさと立ち上がった、疾風は毒気を抜かれて、立ちすくむ。
悪意がないのはありがたかったが、彼女がいるだけで心臓に悪い。さっさと帰ってくれるなら何よりだ。
「ああ、そうそう」
天逆毎が近づいてきた。疾風の顔のすぐ前に、彼女の長い鼻がある。
「○△×○」
「そんな声ともつかない声をあげなくてもよろしい。言い忘れていたことがありました」
「な、何だ……ですか」
もう何でもいいから、とっとと帰って欲しい。疾風の本音はそれしかなかった。
「大事なものを一つ、お渡しするのを忘れていました」
天逆毎はそう言いながら、懐から丸い貝を取り出す。疾風はそれを受け取った。
カタツムリのように渦を巻いた貝には、染み一つない。確かに綺麗だが、これをもらってどうしろというのだろう。
「横に揺らしてごらんなさい。あまり手荒くしないように」
天逆毎に促されて、疾風は仕方無く言われた通りにした。
「疾風か」
貝から、ゆったりとした男の声が聞こえてきた。疾風は目を見張る。間違いなく、父の声だ。
「悪かったな。面目ない」
父はいつ、この言葉を口にしたのだろう。戦場にあっても、いつもと変わらぬ落ち着いた声だった。
「……少しだけ、いいか。不測の事態が起こり、負けがこんでいる」
親父、そんなことはいい。あんたの大事はこの御山だろう。何やってるんだよ。
鬼一が淡々としているのとは反対に、疾風の胸には苦いものがこみ上げてきた。
「しかし、我々は正面から戦って参る。何をもってしても」
そこで鬼一の声が途切れる。そしてその後に、たった一言。
「疾風。生き残れよ」
胸が苦しくなる。視界が涙でかすんだ。
「あ」
その時初めて、疾風は自分が泣いていることに気付く。父の死を知ってから、ずっと心の中に封じ込めていた感情が、今ようやく外に出てきたのだ。
──ほんのわずかな時だけ。疾風は鞍馬天狗の次期頭領ではなく、鬼一法眼の息子だった。
「少しはお役に立てたようですね」
ひとしきり泣いてから、ようやく天逆毎の言葉が耳に入るようになった。疾風は顔を拭って、彼女を見つめる。
「何故、わざわざこんなことを?」
「これからあなたにかかる負担は、軽くなることはないでしょう。一つくらい、よすががあってもいいかと思いまして」
天逆毎はあくまで淡々と言う。
「すぐにとは言いませんが、いずれは私の下で戦ってくれることを期待していますよ」
期待という割には、強制に近いものがこもった言葉だ。疾風はぼやくのも忘れて、掌の上に残った貝を握り締めることしかできなかった。
☆☆☆
「……まさか」
次々とあがってくる報告を聞いて、疾風は拳を握りしめた。報告の内容は、いずれも一致している。
「ヴィオレット様と三千院家の人間が通じているというのは、もはや間違いなさそうですな」
一緒に話を聞いていた老天狗が、やりきれなさそうに首を曲げた。疾風もうなずく。
流石に相手はガードが堅く、家の中までは手が回らない。それでも一緒に外出する姿は、頻繁に目撃されていた。明らかに囚われの身ではなく、まるで家族の一員のように親しげだったという。
「……外面だけでは、わかんねえこともあるな」
「いや、若だけの責任でもありません。我々も気付けませなんだ」
父が死んでからも、天狗たちは疾風を若と呼ぶ。疾風はあえて訂正しなかった。




