落日の老王 ★
数時間前に真澄が通り抜けた道に、今度はいかつい装甲車が入ってきた。それが止まると、真っ先に初老の男が降りてくる。
前髪を固めてオールバックにし、しっかりと手入れをした顎髭をもつ、いかつい男だった。当主の帰還とあって、出迎える使用人たちの顔にも、甲烈の時にはなかった緊張がにじみ出ている。
「晴賢さま、お帰りなさいませ」
「小林との話はどうなった」
代表して葛城が声をかける。しかし挨拶を交わすこともなく、晴賢は会談の結果を聞いてきた。よほど気にしているとみえる。
葛城は悩みながらも、かいつまんで説明した。話が進むにつれて、晴賢の顔が紫色に変わっていく。
「甲烈を呼べ」
不自然までに落ち着いた声が爆発の前兆だと知っている葛城は、大人しくその命令に従った。
間もなく、甲烈が姿を現す。さっきまで寝こけていたため、足元がおぼつかない。
「……なんだよ」
起こされたところで機嫌の悪い甲烈は、父をにらみつけた。
「小林との会食だがな」
晴賢が息子をねめつける。さっきの甲烈とは迫力が段違いだった。たちまち甲烈はすくみ上がって、目をきょろきょろと動かし始める。
「そ、そんなに怒んなくてもちゃんとやったよ。確かに始めはちょっと遅刻したけど、爺さんにこにこして帰ってったからいいだろ」
晴賢は手近にあった酒瓶を持ったまま、じっと甲烈の言い分を聞いていた。そして彼が口をつぐむやいなや、大きく息を吸い込む。
「……この、大たわけがァッ!!」
部屋中のガラスというガラスが震えるほどの声が、わんわんと響き渡った。それと同時に、晴賢が握っていた酒瓶が甲烈めがけて投げつけられる。瓶は甲烈の顔すれすれのところをかすめ、後ろの壁にぶつかって砕け散った。
「ご……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
久しぶりに父の大爆発に晒された甲烈は、バッタのように頭を下げ続ける。しかし、理由もきちんとわかっていないのに詫びを入れるその卑屈さが、かえって晴賢の怒りをかきたてた。
「ほう。謝るということは、何が悪いか分かっているのだな。ではこの父に説明してくれ。お前の行動の、どこがまずかったのか」
「えっ……」
甲烈は何も考えていなかったらしい。しばらく口の中でもごもごとつぶやいていたが、ついに白旗をあげた。
「わかんねえよ」
「二十何年、最高の教育を施してやってこのザマか。俺はどうして、こんな失敗作をこしらえてしまったのやら」
「失敗、だと?」
流石に甲烈の顔にも血が昇る。しかし晴賢はまるで意に介さない。
「それとも別の表現が良かったか? 穀潰し、出来損ない、無用の長物、負け犬、落伍者、無為徒食。幸い日本語には貴様のようなものをあらわす単語がたくさんある。好きなのを選ぶがいい」
「ぐ……」
口でも腕力でも父には敵わない。そう分かっている甲烈は、もう何も言い返せなかった。助けに入っても事態が悪化するだけだと判断した葛城は、すがる目の甲烈から視線をそらす。
「……どこが悪かったか、教えてください」
ようやく甲烈の声に、後悔の色が混じる。それを聞いた晴賢が、皮肉っぽく口元をつり上げた。
「運が良かったな、馬鹿息子。いかに俺でも、この時間になると疲れというものが出てくる。しゃべってやるから、ありがたく思え」
手元のグラスに酒をついで、晴賢は一気に飲み干す。それから、順に甲烈の欠点を指摘していった。
今のところは、甲烈もおとなしく聞いている。しかしこの子は、次にそれを生かすということを全くしない。反省しても、行動が改まるのはその後の一時だけ。喉元をすぎてしまえば、また性懲りもなく同じ事を繰り返すのだ。
「今までのことについては分かったな。では最後の一つくらい、少し考えてみろ」
もちろん晴賢も、息子の性分についてはよく知っている。だからこそ、こうやって少しでも身につけさせようとしているのだ。
「鳥撃ちのことか」
「そうだ。よく考えれば、子供でも分かる答えだろう」
晴賢が椅子に深く腰掛ける。その前で甲烈がうなり出した。これは長くなるぞ、と葛城は心の中でため息をつく。
「小林様の銃の、射程を聞くのを忘れた、かな」
ようやく、甲烈が答えを絞り出す。次の瞬間、晴賢は立ち上がって息子の胸ぐらをつかんだ。
「ほう」
「ぐ……だって、射程の短い銃もあるし……」
「あれほどの実業家が、狩りに不向きな拳銃でも持ってふらふらしていたとでも言うのか? 人を舐めるにもほどがあるぞ」
晴賢は口を動かしながら、息子をつかんでいる手に力をこめる。甲烈が耐えきれずに咳き込み始めた。
「鳥の集団がいて、鉄砲の弾は三発。この場合、散弾でもなければ仕留められるのは一回に一羽のみだ」
そう、それが正解。葛城は無言でうなずいた。
「何故かと言いたそうな顔をしているな。簡単なことだ。一回目の発砲音で、残りの鳥は逃げてしまうからだ。お前じゃあるまいし、いつまでも呑気に撃たれるのを待っている間抜けなどおらんわッ」
晴賢は一気にまくしたて、甲烈を床にたたきつける。したたかに腹を打った甲烈は、背を丸めたままうめいていた。
「こ、甲烈様……」
「捨ておけ。受け身の訓練すらろくにしていなかったのだろう。全くたるんどるッ」
甲烈に駆け寄ろうとする使用人たちを叱りつけてから、晴賢は足音高く部屋を出て行った。葛城は黙って晴賢の後を追う。自室に戻ると、彼はすぐに肘掛け椅子に腰を下ろした。
年季の入ったアンティークばかりが並ぶ、華やかな金装飾の部屋。誰もが憧れる豪奢な住まいだが、ここの主はちっとも幸せそうに見えない。彼のいるところだけが、日が照らすのを忘れたかのように暗い。葛城がそう思った時、晴賢が口を開いた。
「どこで間違ったのだろうな」




