貧乏くじは押しつけろ
「いけそうか?」
「まず軍人のデータベースからあたってみる」
響も葵と同じ事を考えたらしい。
「ただこの年だと退役してだいぶたつから、時間かかる。……しかも塗りたくってるし、このババア」
響の言うこともわかる。目の前の老人はごん太のアイラインの上に濃紺のシャドウをごってり重ね、よせばいいのに紫の口紅までつけている。おかげで血色が悪く見え、への字に結んだ口元とあいまって近寄りがたい雰囲気をかもし出していた。
葵が食傷したところで、その五島が口を開く。
「全く。二度も三度も、同じ事を話し合う必要があるの?」
和泉が席を立ち、五島をなだめた。
「まあまあ。ご足労いただき、ありがとうございます。うちのジイさまたちが、言い出したらなかなか引かんで」
「いくらそちらがお金持ちだからといって、何でも好きにできると思ったら大間違いよ」
「そんなことは思ってまへんて。そうそう、間違いといえば。この前お伝えしとった進軍の予定、あれ早まりましたわ」
五島の話の腰を手荒くブチ折り、和泉は自分の言いたいことを口にした。
「できることなら今日にでも通りたいんですわ」
「いけません。とにかくいつであろうと、他支部がうちの敷地をずかずか通るなど許しません!」
それからしばらく、老女特有のきんきん声がマイクからひっきりなしに聞こえてくる。攻撃は葛飾一佐にも飛び火した。
しかし和泉と葛飾一佐はさすがの貫禄で、のらりくらりと逃げ回る。五島が息切れするのを待っているのだ。
怒るということは体力を消費する。五島もついに疲れ果て、ぜいぜい言いながら自分の席に戻った。すると、隣の葛飾一佐がおもむろに腕を組む。
「司令部としては別に困る話でもない」
「まっ。民間人の安寧はどうでもいいとおっしゃるの?」
「お言葉ですが、妖怪たちがいる現状では、人が増える方が助かるのでは? 奴らが民間人の安寧を考えているとでも?」
軍の方は、和泉が懐柔に成功している。その後も葛飾一佐は、和泉の援護に努めていた。筋さえ通せば、そんなに頑なな人間ではないらしい。
「あった」
葵が感心していると、響が急に声をあげる。
「見つかったか」
「これ」
「五島風花。旧姓、香山風花。確かに元軍人だが、退役したのがずいぶん早いな。二十代後半か」
「特に怪我とかじゃないみたいだけど」
「あのもめそうな性格で辞めたのか、それとも……」
葵はデータベースの中の五島を見つめた。今よりだいぶ化粧は薄いが、それでもへの字の口は変わらない。
「今は和歌山と大阪の県境に土地を持ってる」
「ただの地方の小金持ちか?」
「和歌山で広い私有地を持つのは危険。妖怪対策として私兵を持ってるのは間違いない。……物騒」
「うちが言えた義理か」
葵が突っ込むと、響が舌を出した。
「……でも、軍部とにらみあいになるのは避けたいはずなのに。やけに強硬」
「兵と武装を持ってるのが厄介だな。横から攻撃されるかもしれん」
「返り討ちにしてやったら」
「天逆毎と鬼一法眼が相手の時に、余計なババアに引っかかってられるか」
しかし葵の思惑とは反対に、和歌山の会議は難航していた。五島の怒りはますます激しくなり、
「うちに大阪の手がかすりでもしたら、ありったけの弾をくれてやる」
とまで言い出す始末。結局和泉がねばってくれたにも関わらず、何の発展もないままお開きになってしまった。
「困ったな」
時間がたっぷり使えるのであれば、いくらでも絡め手が使える。しかし今は一日、いや一時間でも無駄にできない。穏便な手段が取れるのもここまでだ、と葵は腹をくくった。
「……んで、どーするの?」
「何があっても、うちの主力部隊は無事に和歌山まで連れて行く」
「と言っても。あの婆さんの私有地、ほぼ県境を覆ってる。大部隊、通せる隙間はない」
仕事を終えた響が、だらしなく寝転がりながら正論を言う。
「……空と海だけに絞る?」
「それは無理だ。元々地上種が多いし、その二軍は地域制圧には向いてない」
「……てことは?」
「他の誰かに、あのババアを押しつけるしかないな」
「……ワガママ」
「合理的と言え。他に天逆毎とやり合いたい家があったら、いくらでも代わってやる」
葵は響に言い返しながら、五島の相手ができそうな家のリストを作ってみた。
ある程度汚れ役になってもらうので、絶対に裏切らないと確証できる相手にしか頼めない。リストはひどく短いものになった。
神戸は該当無し。三千院が大きくなりすぎた弊害でもある。
大阪は今井、津田。和泉のコネもあって一番頼みやすいが、市中の警備も担当しているため急な出動は無理かもしれない。
京都は松方。鷹司からの紹介だが、まだ共闘経験がなく信頼関係が構築できたか怪しい。また、もと華族なため怒らせると厄介そうだ。
そして和歌山。五島と折り合いの悪い家はたくさんあるが、戦力的には頼りない。
「ほほう」
響が勝手にリストを覗きこんでくる。どこに決めるのか気になるようだ。しかし葵は、メモをたたむと早々に立ち上がった。
「……どこ行くの?」
「腹は決めた。大阪に帰る」
「それまで教えてくんないの?」
口でそう言うかわりに、響はごろりと布団に寝そべった。本気で聞きたいとは思っていないのだ。
思えば、データ集めの主力はずっと彼女だった。これまでの経験から、響にはなんとなくこうするだろうという当たりがつくのかもしれない。
「分かってるくせに」
葵が言うと、響はそっぽを向いた。
「……ねえ」
その姿勢のまま、ぼそっと響が言う。




