命ある限り忠誠を君に
「はいはい、いますったら」
怜香がドア越しに声をかけると、葵から少し気を悪くしたような返事があった。
「はいは一回」
「はいはい」
「……」
葵から一本取って怜香はドアを開けた。気のせいかいつもより能面度が増した幼馴染を出迎える。
「なに、お茶でも飲んでく?」
「いや、これを渡したかっただけだ。すぐ帰る」
それだけ言って、葵は小さな黒いビロード張りのケースを怜香の手に押しつけた。怜香はうわずる声で葵に聞く。
「ど、どうしたのいきなり」
「誕生日だろ」
ああ、そういえば。怜香は今の今まで、自分でもそのことをすっかり忘れていた。ほんとうに、この人はありとあらゆることを忘れないのだ。
「ありがとう」
怜香は葵に礼を言って受け取る。誕生日プレゼントは毎年もらっているが、こんなものものしいものに入っていたことは今まで一度もなかった。期待に胸を高鳴らせながら、怜香はケースに手をかける。
「えい」
「……俺が帰ってから開けろよ」
葵の抗議の声を無視して、怜香は蓋を押しあける。中に入っていた金属板の銀の輝きが、怜香の目に飛び込んできた。
「ネックレス?」
怜香は箱の中身を指でつまみあげてまじまじとみる。光の元でみると、あまりにもそれはそっけないデザインだった。
まず目に入ったのは銀色の鎖だった。装飾もなにもなく、本当に「鎖です」とだけ主張しているような、同じ形の円がずっとつながっている形をしている。そのちょうど中央あたりに、楕円形の金属チャームが二枚ぶら下がって揺れている。
普通のチャームと違うのは、薄いビニールの被膜がかかっているうえに欠けたような切りこみが入っていることだ。
「認識票。特注」
認識票とは、軍事行動中になにかトラブルがあったとき、自分の身元の保証になる金属片だ。たしかに、昨今の情勢からすると、いつ怜香も戦闘に参加することになるかわからなかった。使う機会はすぐやってくるだろう。
「実用的ね」
怜香は妙に納得した。考えてみれば、葵がしかめつらしい顔でアクセサリーを選んでいるところなど想像もつかない。
認識票の表面には、隊名・氏名・認識番号・血液型が刻印されている。しかし、こういうものは配属されれば上から勝手にもらえるものだ。なにもわざわざ特注にしなくてもよさそうなのに。
怜香は何気なく、プレートをひっくり返してみた。見慣れた長い雌しべが垂れ下がった花の刻印が押してあった。本来、このような装飾はないはずである。これが、特注の理由か。
「クロッカス?」
昔、姉が花壇に植えていた。花名がギリシャ語の「糸」に由来することから、自分は勝手に「葵の花」と認識して喜んでいたものだ。なるほど、贈り手を表すのにこれを使うとはなかなかしゃれている。他の人が見たら、ただの花の刻印にしか見えない。
「ほうほう。なかなかやりますねお兄さん」
「ちゃんと使えよ」
それだけ言って、葵は名残も惜しまずさっさと帰って行った。怜香は引きとめることもできず、もうと愚痴ってから扉を閉める。その途端またチャイムが鳴って、怜香はちっと舌打ちをした。
「チェーン外して」
葵と入れ替わるように、めったに家に寄りつかない姉、京香の声がした。ドアを開けてやったはいいが、うっかりケースを手に持ったまま京香の前に立ってしまった。無駄だと分かっていても、怜香は慌ててケースを体の後ろに隠す。
「なんだ。あんたの男が来てるなら帰ってこなきゃよかった」
怜香の健闘むなしく、京香は早々にケースに目をつけた。じろじろと遠慮のない視線を送ってくる姉に向かって怜香は怒る。
「男じゃないってばっ。そっちこそ今までどこにいたのよ」
「いろいろ。それより、そんなプレゼントもらっといて自分の男じゃないって、あんたの認識の方が問題じゃないの」
姉はぼそりと言った。誤解を解こうと、怜香はすかさずケースの中身を見せてやる。
「ほら! 中身は! 認識票! 必要!」
「なんだ、つまんない」
つまらないと言いつつも、京香はわざわざ認識票を手にとって入念に見た。裏もひっくり返し、クロッカスの刻印を凝視する。
「これ何よ」
「クロッカスだよね。葵の花」
「……ふーん、あの小僧やりおるな」
「なんか意味があるの?」
「あんたが気付いてないなら面白いから言わない」
「言いなさいよ」
「だったら力づくで言わせて見せなさい」
その後姉妹はしゃー、と猫のような攻防を繰り広げた。しばらくしてから、「言え」と迫る怜香がようやく京香のカーディガンの裾をつかむ。
「わかったわよ。服が伸びるから離しなさい! 全く馬鹿みたいに体力付いちゃって」
「お姉ちゃんがなまったのだ!」
京香がめんどくさくなったのか、息を切らしながら白旗をあげた。全くもう、と言いながら長い金髪をかきあげる。
「……クロッカスの花言葉、知ってる?」
「ううん」
怜香が迷いなく首を横に振ると、京香が頭を抱えた。
「あんたたち二人にゃ教えたでしょうが、植える時」
「色々ありすぎて忘れちゃったよ」
あっけらかんと言う怜香の頭に、京香の平手が飛んだ。
「この馬鹿。『あなたを待っています』よ」
「え」
「言わなかったの、あの男。わざわざ認識票に入れてたんだから、てっきりあんたの無事を願って作ったもんだと思ってたのに」
怜香は入隊を決めた時、生きて退役できなくても恨むまいと決めていた。軍隊内は、味方ばかりではない。楽園もない、理解者も期待しない、何にも固執しない、それでも勇敢に、ただ名誉の回復のために戦う。茨の道だとわかっていて、それでもそう進むと決めたのだ。
葵には怜香の考えがばれていたのか。だから、認識票に刻印というかたちで自分に示してくれたのだ。少なくともひとりは、いつも変わらず怜香の生還を待っているものがいると。何か言おうとして、怜香の喉が詰まった。
あの時、葵への感謝の言葉は口からはでなかった。が、胸の中には今もいて、現在まで変わらず自分を満たしている。胸元のタグの感触を確認しながら、怜香は立ち上がり歩き出した。
いずれ、葵はもっと出世する。必ず、どんな困難も超えて、自分のやりたいように生きて行くだろう。その時、隣にいるのは怜香ではなく、もっと名家の出か金持ちの娘だろう。彼には、自分よりそういう人がふさわしい。
自分は、葵のための駒になろう。彼が彼らしくいられる地位につくまで、傍で力になろう。決して見返りなど求めずに。
「行きますか」
困難が待っている? 望むところだ。怜香は一人つぶやき、空に向かって拳をつきあげた。




