腐れ縁はなかなか切れぬ
「嫌です」
怜香はマッハで断った。振られるまで二秒。なんて儚い恋愛だ。
「……わかった、しゃあないなあ」
立ち直るまでにも二秒。今度はせわしない恋愛である。しかしこいつ、告白のためだけに薔薇を仕込んできたとしたら大したタマだと葵は思った。
告白された怜香は、あっけにとられた表情で目の前の男を見つめている。ストーカーになるのではないかと危惧を抱いていたようだが、男の邪念のなさに毒気を抜かれた様子だ。
「……意外とあっさり諦めてくれるんですね」
「あかんもんはあかんのやろ。無理強いしたってしゃあないわ」
男はそういいながら、薔薇を無理矢理ズボンのポケットにねじ込んだ。びりっと布が破ける音がしたが、気にした様子もなく話し続ける。制服をあんなに雑に扱うなんて、どういう神経をしているのだろうと葵はいぶかった。
「しかし、君ほんま可愛ええから、名前だけでも教えてや。俺の人生が豊かになるわ」
「変な人ね。怜香。久世怜香≪くぜ れいか≫よ」
下手に絡め手で言われるより、ここまでストレートに言われたほうがかえって気持ちがいい。苦笑いしながらも、芯から悪い相手ではなかろうと思ったのか、怜香が名前を教えてやった。
「よーし覚えたで。これからよろしゅうな」
「よろしく」
怜香の顔も明るくなった。もとから友達が少ない彼女にとっては、無遠慮であっても同級生の知り合いはありがたいのだろう。
「いやー、ええなあこの学校。入学早々テストやなんていけずやなあと思っとったけど、俺の未来は明るいわあ」
「良かったね」
「あ、俺は大和。御神楽大和や。やまちゃんでもやまぴーでも好きに呼んでや」
「やまぴー」
さっそく葵が呼びかけた。
「それはあかん」
大和は盛大に顔をしかめる。何故だ。
「お前がそう呼べって言ったんじゃないか」
「あかんもんはあかん!」
大和は顔を真っ赤にして叫び、地団太を踏む。野郎に言われるのは心外、ということだろう。ここまで分かりやすい反応をしてくる奴も珍しいな、と葵は感心した。
「こら、そこうるさいぞ」
大和があまりに騒ぎすぎたため、職員室から顔を出した教師に三人まとめて注意された。大和が大仰に頭を下げる。
「すんませーん」
「元気があるのはいいことだがなあ、人に迷惑かけるのはいかんぞ」
「気をつけまーす」
一同、ここは良い子になっておこうと無言のうちに同盟が成立した。その様子を見て、素直でよろしいと教師は満足そうにうなずいた。彼は頭を引っ込めたが、何かを思い出したようにまた顔をのぞかせる。
「あ、君たち御神楽くんって知らないかなあ」
「こいつです」
不吉な気配を感じ取ってこっそり後ずさりを始めた大和を、葵はためらいもせずあっさり教師に売り払った。
「そうかそうか」
頭を引っ込めていたさっきまでとはうってかわって、がらりと音を立てて職員室の扉が開き、揉み手をしながら教師が近づいてくる。彼の目は全く笑っていなかった。
本能的に危機を察したらしい大和はくるりと踵を返すと、一切振り返らずに脱兎のごとく逃げ出した。
速い。
スポーツ推薦は伊達ではなく、あっという間に大和の後ろ姿が視界から消えて行く。スポーツシューズでもなく、ただの上履きでよくもあそこまで走れるものだ。
「あっ、待てっ、補習だ、補習を受けるんだ」
「逃がすかっ、追え、追えー」
「太陽は西から上らないんだぞー」
しかし教師も負けていない。体育教師と見てとれる屈強な三人組が、大和を追ってばたばたと曲がり角の向こうへ消えて行く。平和な学園内にいるというのに、まるで捕り物でも見ているような騒がしさだった。
「……行くか」
「うん」
あまりのことに、一切口をはさめなかった葵が、ようやく怜香に声をかける。二人連なって、今度こそ下駄箱を目指した。
さようなら大和君。もう会うことはないだろうが、君のことは忘れない。
☆☆☆
葵と怜香は並んで歩く。放っておくと、歩くのが異様に速い葵の方が怜香を置いて行ってしまう。二人の目的地は同じだったので、置いていかないでと怜香からクレームが入った。
「はい」
怜香が手を差し出す。今度こそ邪魔が入らなかったため、葵は無事に怜香の手をとった。その途端、悪くなっていた怜香の機嫌はすっかり治っていた。
手をつなぎながらしばらくそぞろ歩くと、前方にコンクリート造りの建物が見えてきた。三階建てで、周りの建物と比べてさして目立つ高さではないが、次々と制服姿の男女がその中に足を踏み入れて行く。葵たちもその流れに従い、入口の自動ドアをくぐった。
ホールを直進し、階段を三階まで登って廊下を進んだ。建てられてから一度も張り替えられていない壁紙は黄ばみ、端がまくれあがっていた。蛍光灯も三本に一本は切れており、昼間だというのに薄暗い。
しばらく二人で辺りを見回し、ようやく探し当てた目当てのドアをノックしてから押しあけた。
部屋の中は相当に広い。片側の壁はほぼ全面ガラス張りの窓になっており、日が入るうちは廊下よりよほど明るかった。室内には五人がけの横長テーブルが横に二つ並んでいる。それが合計五列あるため、五十人が座れる計算になる。
すでに席は八割方埋まっていた。座っている面々は全員葵と同じ学生で、背筋をぴんと伸ばして緊張した面持ちで手元の資料に見入っている。学校はばらばらなようで、彼らの制服は詰襟の学ランあり、セーラー服あり、ブレザー姿ありとバラエティーに富んでいた。
部屋の前方、並ぶ長机を見渡せる位置に白い教壇があり、マイクが二本無造作に置かれている。その教壇の傍らに、男が一人座っていた。年は五十くらい、少なくなった髪をあらんかぎりの情熱とポマードで固めてひと塊にしている姿は涙を誘う。
彼は葵たちに気付くと、声をかけてきた。
「やあ、こんにちは。好きなところに座りなさい」
そう言われても、すでにおおかた席は埋まっており、選択の自由はほとんどない。二人並んで座ろうと思うと、もう最前列しか空いていなかった。ポマードおじさんと見つめ合うのはごめんだったので、二人は暑いのを承知で窓際の席に腰を下ろす。
「ぎりぎり間に合ったな」
葵は息をつく。壁の時計は二時五十五分を指している。事前に言われていた集合時刻は三時だった。余裕をもって到着するつもりだったのに、予定外の説教と大和の登場で遅くなってしまった。
「そうね、私たちで最後じゃないかな」
怜香が言った。教壇のおじさんも同じことを考えているらしく、葵たちが着席した時点で指差して人数を数え始めた。が、納得のいく結果ではなかったらしく、顔をしかめたまま指を下ろす。
「皆さん。残念なことに一人遅れているようなので、ちょっと待ちます。すみませんね」
彼は全員揃っているのが当たり前だと思っていたらしく、ぶっきらぼうにそう告げた。こんなことが許されるのは今日だけですからね、とさらに付け加え忌々しそうに入り口の扉をにらむ。
「最後の一人って誰かなあ」
「非常識な奴だよね」
おじさんの苛立ちが感染したように室内がざわつく。一体どんな奴だろう、と呟く声があちこちから聞こえた。怜香がこっそりと葵の肩をたたき、耳元でささやく。
「心当たり、ある?」
「いいや。誰だか知らんが、初日から有名になったな」
「ちょっとかわいそうだよね」
「いや、これは自業自得だろ」
葵はそう言って、窓の方を見る。まあ、せいぜい怒られるがいい。そいつが誰だろうが、自分には関係ないだろう。
西日が入りだしていたので、少し鬱陶しい。葵が日よけのブラインドに手をかけたその瞬間、大きな黒い眼と、目が合った。
「ちわーす」
さっき聞いたばかりの、能天気な声が響く。葵は反射的にブラインドを閉めた。
☆☆☆
「友達になれたと思っとったで!」
「そうか。残念ながら俺はそうじゃなかった」
窓の外にいた、不審な目玉の主は御神楽大和だった。話を聞くと、脚力にまかせて教師三人をまいたはいいが、そのせいでこっちの集合時間に遅れそうになったという。
持ち前の俊足を活かしてなんとか建物の前まで着いたはいいが、時計の針はすでに約束時間の二分前まで迫っていた。このままでは、開始時間に間に合わない。
諦める? 否。
迂回すれば間に合わぬ、ならば直線ならどうだ!
そう天才的なひらめきというかバカの思いつきというかで悟った大和は、手近にあった樹によじ登った。運動神経抜群の彼は、あっという間にてっぺん付近までたどりつく。予想通り、樹の目の前に自分がいるべき部屋があった。
「あとはお前が窓さえ、窓さえ開けてくれれば華麗に間に合っとったのに」
「知るか」
涙目になっている大和を葵は一喝した。教壇のおじさんもこの木登り男には怒り狂い、大和を立たせてさんざん油を絞った後、
「ほんんんっとうによく反省しなさいね。僕、君の名前もう覚えましたからね」
と言ってようやく席に着かせた。教室に乾いた笑いが流れ、おじさんは派手な咳払いをする。
「えー、お待たせしました。これより、入隊に伴う説明を始めます」
マイクからそうアナウンスが流れると、会場の空気がぴんと引きしまった。おじさんは注目が自分に集まったのを確認し、満足げに息をつく。
「……本来ならば、我が国で軍への入隊が認められるのは、十八歳以上のものに限られています。しかし、先の内戦での苦戦をうけ、特殊な条件を満たす場合は十三歳からの入隊が許可されました」
皆が壇上に注目する。席からの熱い視線を受け、さらに言葉は続く。
「君たちは、数少ないその条件を満たす合格者です。おめでとう、シストロンデバイス適応者、かつ士官候補試験合格者の皆さん。われわれは諸君を歓迎します。ともに人類の敵、あのにっくき妖怪どもを叩き潰すべく全力を尽くしましょう」




