一時間が長すぎる
「ほらほら、もう一発どや?」
みかげがスキュラを挑発する。約束の時間までまだ一時間以上あったが、彼女はまだまだ元気そのものだった。もちろん、絹子も負けてはいない。
最悪の場合でも、物陰に伏兵としてデバイス使いたちが控えている。彼らもプロだ、いつでも飛び出せるように準備に余念がない。これならなんとかあと一時間持ちそうだ、と絹子は内心でにっこりと笑った。
「ふ、ふふふ」
しかし、そんな絹子をスキュラがあざ笑う。最初は苦しまぎれかと思ったが、スキュラの顔は実に楽しそうだ。
「ふ、ふははははははは!!」
笑いは徐々に大きくなり、スキュラの笑いはもはや微笑の域を遥かに越えている。大丈夫かいなこのおばはん、とみかげがつぶやくのが絹子に聞こえた。
「随分余裕ですわねえ」
絹子が茶化すと、スキュラはぴたりと動きを止めた。
「さっきから無駄な時間を過ごしすぎたと思ってね。でも、それももう終わり」
自分たちがまだ元気なのに終わりとはどういうことだ、と絹子は眉をひそめた。獲物の状態が分からなくなるほど、スキュラはぼんくらではない。一体なぜそんなことを言い出したのか?
「うわっ」
突然、みかげが悲鳴をあげた。絹子は横を見る。さっきまで彼女の頭上で軽やかにはためいていた布が、べちゃりと地面に落ちていた。これでは、犬たちの目くらましにはならない。
「みかげ、一体どうしたんですの?」
みかげは普段からはしゃぎ屋ではあるが、時と場合はちゃんとわきまえる子だ。この事態で、わざとやっているはずがない。絹子はにわかに不安になった。
「アヌビス、アヌビス!?」
みかげはなおも自分のデバイスに問いかけるが、布は地面に張り付いたままだ。次の瞬間、慌てるみかげを、犬の首が突き飛ばす。みかげは鈍い音と共に、地面に転がった。
体勢を崩したみかげに、もう一つの犬の首がくらいついた。絹子は、怒りで頭に血が昇る。自分の心臓がどくりと高く鳴った。
「ヴィーナス!」
絹子は声をはりあげた。しかし、いつもは絹子の指示に従い、自由自在に動くはずのバラの蔦が、ぴくりとも動かない。まるで枯れてしまったかのように、だらしなく落ちている。
絹子の口の中に苦いものが広がる。おかしい。こんなことがあってはならない。あと、たったの一時間待てば救援がくるのに。絹子は叫びたいのをこらえ、唇をかみしめた。
そのとき、絹子のすぐそばから生臭いにおいがした。ヴィーナスの様子に気をとられていた絹子は、はっとして振り向く。
しかしもう遅かった。絹子の胴体に、生暖かい犬の口ががっぷりと食らいつく。すさまじい痛みを覚悟したが、まだ牙はたてられていない。生臭い口でくわえられている、気持ちの悪い触覚があるだけだ。
が、無事なのは今だけだと絹子の本能が告げてくる。大笑いしているスキュラの口で噛まれるくらいなら、今犬に噛まれたほうがいくらかましに思えた。
「行くぞ、非常事態だ!」
非常事態だと悟ったデバイス使いたちが、物陰から一斉に飛び出してくる。絹子とみかげを捕らえている犬たちに向かって、一斉に攻撃を始めた。
「グルルゥ……」
デバイス使いたちの攻撃が一斉に飛び、一瞬犬たちがたじろぐ。絹子とみかげをくわえている頭は攻撃をうけなかったが、それ以外の場所は確実にダメージをうけた。なのに、犬たちが絹子をくわえる力は少しもゆるまない。絹子は歯噛みした。
「ひるむな!」
「今井、沖田! 今助けるぞ」
デバイス使いたちはあきらめない。再度、犬たちに向かって攻撃をくり出した。が、今度は彼らの攻撃が始まることはなかった。絹子たちと同じように、デバイスが力を失った様子を、彼らは呆然として眺めている。
「あっはっは、所詮はそのおもちゃが使えなければただのガキの集まりじゃないか。あんた、そろそろ出てきていいよ」
スキュラがあごをしゃくると、堀の前から一人の少女が現れた。姿かたちは完全にかわいらしい長髪の少女だが、にっこりと笑った顔にはそれだけでない凄みがあった。




