妖怪談義
一体どうしてこんなことになったのか。大和の頭の中がぐちゃぐちゃになり、今と昔の記憶がぶちまけられた。そんなとき、急に葵の言葉がふっと頭をよぎる。
『牛の頭に鬼の体、または変異種として蜘蛛の体を持つ個体も確認されている。人肉を好み性格は一般的にきわめて凶暴。うっかり殺すと、殺した人間が次の牛鬼になるとも言われている』
大和の中で全てがつながった。煙に見覚えがあると思ったが、今やっと思い出した。牛鬼に傷をつけた時、自分の体にかすかにへばりついた黒い煙と、あれは同じものだった。
牛鬼にだまされた。力をくれてやると言ったのは、単なる建前。実際は大和に人間をやめさせるための甘い罠でしかなかったのだ。心の中から沸いてきたのは後悔よりも純粋な怒りで、大和は叫んだ。が、もうその声すらも牛鬼の咆哮そっくりに変わっていた。
☆☆☆
崖の中腹、ヒトならば道具なしでは登ることはかなわぬほどの高所に、小さな庵が立っていた。崖に突き出すように建てられた庵の下には川が流れ、夜になれば川面にうつった月の光が室内に満ちるよう、凝った仕掛けがなされている。
数寄屋造りの庵の回りは葉を落とした木々がめいめいに枝を伸ばしており、世俗との関わりを絶った高僧でも引きこもっていそうな質素な佇まいだった。しかし外とは裏腹に、室内は生臭い臭いで満ちている。
「食べたらしまう、飲んだら戻す。それができないなら水一つない砂漠に捨ててやります。即刻改めなさい」
しずしずと庵に入ってきた、黒い着物姿の青年が室内に向かって一言吐き捨てた。青年は銀の髪を風になびかせながら、人形のような端正な顔に思い切り縦皺を刻んでいる。
青年が話しかけたのは、さっきから庵の中央に腰をすえている男だった。着物を脱ぎ散らかして上半身裸のその男は、青年など片手でひねってしまえるほど全身に筋肉がついている。頭は僧侶風にきれいに丸めているものの、全身から吹き出す闘気の多さは尋常ではない。男は夢中でがつがつと生肉をむさぼっていたが、青年の声に気づいて顔を上げた。
「むあ?」
ただしこの男、くちゃくちゃと咀嚼はやめない。男の様子から、なにを言っても無駄と悟ったのだろう。青年は黙ってむくつけき男に一歩歩み寄った。男が異変を察知し、あわてて飛びすさる。
次の瞬間、ずぱん、と音をたててさっきまで男が座っていたところの畳がまっぷたつに切れた。手加減など全くしていない、これで死ぬのなら死ねと言わんばかりの一撃である。
「おう……、まあなんだ、俺も行儀が悪かったな」
これにはさすがに、大男も折れた。だいぶおおざっぱな手つきではあったが、もそもそと自分が散らかした肉片をかき集め始める。しばらくすると、べったりついた畳の血以外はまあ見られるくらいまで室内は片づいた。
じっと腕を組んで、大男の行状を見ていた青年はようやく「まあいいでしょう」と言って、血塗れの畳の上に座った。小うるさい青年から許しが出てほっとしたのか、男がかじりかけの熊の頭を抱えたまま腰をおろす。
「今日は浪速だったか? 早かったな、氷雨」
「まだ終わっていませんよ。こちらには一時寄っただけです。これからまた浪速に遠征です」
「おうおう、せいぜい励めよ。あー、俺も行きたかったなあ」
男が本気で悔しがった。氷雨はふん、と鼻で笑ってとりあわない。
「前回の暴れ方では足りぬと」
「……意趣返しってのがあるだろうがよ。いちいち嫌みな野郎だな」
「佐門、意気ばかりではどうにもなりませんよ。悔しかったらとっととその割れた頭蓋骨をくっつけてしまいなさい。こちらとしても、いつまでもこの庵をあなたに貸す気はありませんからね」
氷雨が正論を言うと、佐門がくーとうなった。大きな佐門の体が動くたび、彼の頭からがちゃがちゃと食器がぶつかるような音がする。
佐門は少し前に人間とやり合ったとき、頭に一撃を受けた。それによってご自慢の角が折れただけでもだいぶおかんむりだったのに、頭蓋骨まで分裂寸前だと分かった時の彼の荒れようたるやすさまじかった。平然と座っていたのは天逆毎のみで、ほかの三体はすわ退散とその場を離れたものだ。
しかし元々単細胞な佐門の怒りはあっさり天逆毎になだめられ、療養のため氷雨の使っていた庵に転がり込んできていた。
「まあ、あん時ゃ悪かったな。やられたのは角だけだと思ってたんだ」
「ふん、帰還したあなたが頭から血を吹いてぶっ倒れたときは、何かの芸かと思いましたよ。あの使い手、思ったよりやりますね。デバイスの仕組みを天逆毎さまが突き止められた今、デバイス使いは以前ほどどうしようもない相手ではなくなりましたが、一応注意しておくように兄者と胡蝶には伝えましたよ」




