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追われている緊張感を少しでも和らげようと、葵たちはくだらないことを小声でしゃべりながら山を下る。大和が珍しく葵に話しかけてきた。
「なあ、お前つけられた変なあだ名とかあるん」
「仏像」
葵がぼそりと言うと、大和がうなった。何故かひどく感心している様子だ。
「俺、その名付け親と友達になりたい」
怜香が葵の肩に寄りかかりながら笑う。彼女の息が葵の顔を通り過ぎて行くのが、妙にこそばゆい。
「葵、そのあだ名ちょっと気にいってたよね……。名付けた方は明らかに嫌みで言ってたけど」
「いついかなる時でも、平静を崩さず静かにたたずむ仏像。参謀にかける言葉としては褒め言葉だと思わないか?」
「葵は確かに表面上はテンションいつでも一直線だもんね。永遠の平行線」
「心電図やったら死んどる時のやつやな」
喋っているうちに、一行はゆるやかな山道が続くエリアを抜け、うっそうと木が茂る薄暗い場所に入った。足元が土から岩場にかわる。自然に全員の歩くスピードが落ち、研究者のなかには足をとられて転ぶものもいた。
奴らが仕掛けてくるとしたら、平坦な道よりこのエリアだろう。葵は空いている右手で、銃を握り締めた。
「うわあっ」
葵の左から悲鳴が聞こえた。全員がそちらを向く。研究者たちの顔がひきつっていた。
「おい、則本くんがいないぞ」
佐久間が慌てて報告してくる。確かにあの目立つ金髪がどこにも見当たらない。
戦闘準備をしつつ、一同は則本を捜しまわった。あんな男でも、いなくなると寂しいもんだねえと三輪が言う。
「いたぞ」
佐久間が声をあげる。細い山道の左側が急にえぐれて崖になっていた。その崖下に、則本が四肢を広げて虫のように横たわっている。
「死んだか」
「さらば則本。あんたのことは忘れない」
則本を見て、葵と三輪の薄情ツートップが勝手なことを言う。見捨てられてはかなわんと思ったのか、崖下から抗議の声がした。
「いや、生きてますよ!!」
則本が身じろぎして、起き上がる。足を踏み外して落ちはしたが、土の上に落ちたのが幸いし、大きな怪我は負っていないようだ。研究者たちが胸をなでおろし、迂回しながら則本に近づいていく。
「おおい、大丈夫か」
真っ先に佐久間が則本に駆け寄る。続いて三輪も、つまらなさそうな表情をしながら下までおりていった。一応医者だという自覚はあるらしい。
上は足元があまり良くない。崖下の道を進む方が負担が少ないかもしれないと考えた葵も、怜香を連れておりてみる。大和もついてきた。何しにきたのだろうと思って葵が見ていると、彼は水筒を取り出して川の水をくみ始めた。
「生水はお腹壊すからやめといた方がいいよ」
「いけそうやで。こんだけ澄んどったら大丈夫やろ」
三輪の忠告も聞かず、大和は沢に入り込んで、水筒いっぱいに水を入れて歓声をあげる。葵はため息をついた。
好きにさせておけ、腹を壊したら置いて行こう。葵は三輪の肩を叩き、こっそり耳打ちした。三輪もそれに言い返してきたが、内容は葵に全く聞こえなかった。派手な雷の音が、山にこだまする。
晴れた空に、ごろごろと雷鳴が轟く。それは、雷獣が獲物をとらえた印だった。逃げる間もなく光がひらめき、ぐしゃ、と重いものが潰れる音がした。葵は急いで銃を構える。
「崖の上や!」
大和が怒鳴った。崖の上に生えていた巨木が、何本も縦に裂けている。特に先端の損傷はひどく、生い茂った枝はほとんど黒い消し炭と化していた。
「くそ、来るな! 来るな!」
葵たちの頭上から、崖上に残っていた隊員たちの罵声と銃撃音が響いてくる。大和は川の向こう岸まで移動してしまっており、とっさには間に合わない。
「ヴァルキリー、行きなさい!」
怜香が震える指をなんとかなだめ、指輪に触れる。白き少女が傍らに現れ、隊員を助けるべく、上へ登っていった。
そのチャンスを逃さず、葵は用意していた煙幕をたたきつける。辺りを薄い赤色の煙が覆い尽くした。強力な戦乙女の援護をうけ、ようやく取り残されていた隊員たちがばらばらと降りてくる。
「四人しかいないな」
葵が素早く隊員の数を確認する。五人いたはずなのに、一人足りない。
「後藤は……もう駄目です」
絞り出すように、生き残った隊員が告げる。運悪く、落下した敵のすぐ近くにいたのだろうか。悼んでやりたい気持ちはあるが、今は生存者を優先させるべきだ。
葵は腕の時計をみる。救助要請を入れてから、もう三十分が経過していた。
「遅刻だ、馬鹿」
ここにいない上司に向かって悪態をつく。しかし、もう間もなく現れてもいいはずだ。通信機を手に取り、期待をこめて耳をすませる。しかし、人間の声でなく、聞いたことのある音が耳に飛び込んできた。大和が川縁からしきりに怒鳴っている。
「天狗や! 全員隠れろ!」
ばさ。
ばさ、ばさ、ばさ。
聞こえてきたのは、待ち望んだ救援者の声ではない。絶望を呼ぶ、木葉天狗たちの羽音だ。
さっきまで青かったはずの空が黒くなっている。黒さの源は雨雲ではなく、天狗たちだ。彼らの大きな黒い羽が、びっしりと空を埋め尽くしている。
葵は通信を打ち切って怜香を見る。さっきの一回が本当に限界だったらしく、彼女はうつろな目をしてうずくまっている。大和はまだ戦意を保っているものの、彼がたたき落とせる天狗の数など知れている。
しかも今回、天狗たちの武器は和弓に変わっていた。さっきの戦闘で近接戦は不利だと学習したらしい。高所をとった彼らは、完全に人間たちを射程内にとらえていた。
天狗の弓が引き絞られる。後方では、戦乙女がとうとう力尽き、雷獣たちが足音荒く崖を降りてきた。
「これは……あかんか」
大和がついに天を仰いだ。隊員たちもあまりの光景に立ちつくし、せめて一体だけでも道連れにと銃をとる。戦うすべを持っていない研究者たちは顔を見合わせ、無念そうにうつむいた。
矢が放たれる。
獣の咆哮が、耳をつく。
慈悲のない、葵たちに向けた一斉攻撃がついに始まった。




