成長の理由
価格がつけられないといわれるほど希少価値の高いデバイスを、ここまでずさんに扱ってよいものだろうかと反対意見も出ただろうが、葵は最初から気にもしなかったらしい。
幸い、大和のデバイスはコンサートホールの中に届けられた。大和が毒見にステージにあげられたおかげで、タタラたちに気付かれないうちに入手することもできた。人生なにが幸いするかわからないものだ。
しかし、過ぎた幸運は二度は続かなかった。怜香のデバイスは、ホール内にはなかった。というわけで、怜香は未だにデバイスがないまま、敵だらけの校内を走っているのである。
響の話では、デバイスは一切移動していないということだった。それなら、飾りだと思われてゴミとして捨てられ、どこかに埋もれているのだろう。なにせ、もらった生徒も妖怪もデバイスがケーキに混入しているとは思ってもいないのだから。
「さよか。聞いた通りぬかりのない坊ややな」
「葵を知ってるんですか」
「……ちょっとな」
和泉はごまかすように、首の後ろをかいた。
「それはそれは」
「三千院家は面白いのが多いわ。あの巫女は末の子か。何故か大人に変身しおった。そういう体質か」
「あー、都ちゃんの年齢まで御存じで。内密に願いますよ」
怜香は黙っててくれますね、と和泉に目配せする。彼が頷くのを見てから、周りに聞こえないよう小声で囁き始めた。
「三千院家は軍内部に無数のコネを持ってます。生物化学の研究所内にも」
「……薬でああなったとでも言うんか」
「妖怪から奪った薬で。何やら手を加えてはいるようですが」
和泉は一瞬言葉を失った。無理もない。怜香も響から聞いた時はびっくりしたものだ。、俊が持ち出したあの薬は、対象に年をとらせる薬だった。だから葵や大和はともかく、修と俊は高齢の巌に飲ませるのを嫌がったのだ。
「平均で十歳、年をとった姿になるようです。今の生活を続けた成れの果てが大変シビアに出るようで」
「戻れるんか」
「作用は一過性で、一日ももちません。機序は不明なので聞かないでください」
「毒薬にはならんのやな」
「人によっちゃ毒ですよ」
怜香は痛みにもだえる一丞の姿を思い出しながらそう呟いた。以前から酒好きの双子、そしてあの痛がりようと発症場所。間違いない、痛風だ。これで少しは節制してくれるようになるだろうか。
ふう、と怜香がため息をついたところで無線が鳴る。響からだった。
「八班、九班文化棟内部制圧。人質に死亡者なし。隊員に重症者あり、現在離脱者三名」
「了解。天逆毎は?」
「不在」
「では、総大将になれそうな妖怪は?」
「不在」
あいかわらず、無用なことはなるべくしゃべりたくないという響の強い意志を感じる。
「他の棟は」
「一体、教室棟の中を歩き回ってるのが怪しい。引き続き監視」
怜香の質問に、それだけ言ってぶちりと会話が切れた。味もそっけもないが、各部隊の通信や情報分析に関与していて猫の手も借りたいほど忙しいのだろう。ナマケモノには慣れないこの状況で、迅速に連絡をくれただけでも感謝しなければ。
「大物は取り逃がしてもうたか」
和泉が怜香に話しかけてきた。
「いいわ。一般市民の誘導が最優先よ」
自分に言い聞かせるように怜香が言う。目の前に、教室棟の緑の壁が見えてきた。
「校舎から離れて」
響が突然話しかけてきた。普段聞くことのない、硬直した声になっている。
「退けい!」
先頭を走っていた都が吠える。怜香が首を上げると、校舎からばらばらとガラスの破片が落ちてきた。ヘルメットと簡易チョッキしか身につけていなかった怜香は、あわてて近くの隊員がかかげたジェラルミンの盾に入れてもらう。
「校舎からくるぞ!」
叫び声がした。その声とほぼ同時に、どすんと重いものが落ちる音がする。怜香たちをかばい、隊員たちが銃を手に落下物を取り囲んだ。
「机でも投げてきたの?」
怜香はそう思ったが、地面にめりこんだ物体ががばりと起きあがったのを見て考えを変えた。落ちてきたのは、見るからにみすぼらしい格好をした子供だった。
ぱっと立ち上がり、血走ったどんぐり眼で取り囲む怜香たちをきろきろと見つめている。一瞬人質か、と思ったが、三階立てのてっぺんから飛び降りて人間が無事なわけがない。
子供はぼろ雑巾の方がよほど清潔だ、と思えるような布をまとっている。赤と緑の模様に見えたのは、よくみると布に生えたカビだった。髪の毛もほとんど抜け落ちているし、顔には細かいしわがびっしりと刻まれているため、年齢はおろか男女の区別もつかなかった。
怜香は便宜上その個体を男かな、と思った。彼は驚いたことに、校舎の最上階から落ちたにも関わらず、両手でしっかりと何かを抱えている。中身は武器か、人質かと皆が身構えた。
しかし、枯れ木のような手ががくりと一瞬平衡を崩した瞬間、手の内はさらされた。彼が後生大事に抱えていたのは、食べ物の詰まった袋だった。人質に差し入れされたものだな、と同じものを食べてきた怜香は一目でぴんときた。
食べ方もわからぬまま、生のままでかじったであろう乾麺のかけらがぼろぼろと指の間からこぼれる。その小さなかけらも逃すまいと彼ははいつくばったが、手を開いたためにかえって手の中の食品全部がすべり落ちてしまった。わめきながら拾おうとする彼の目の前に、ずいと都が立ちふさがる。
「食べ物を無駄にせんというのはよい心がけじゃ。が、今回お主ら、ちとやりすぎたの」
都は言いながら、すらりと刀の切っ先を彼の目先に向ける。今まで何十という彼の同胞を一太刀に切り伏せてきたにも関わらず、刀の表面には脂のくもりひとつない。ぬめぬめと蛇の目のように光るそのきらめきを見て、ようやく彼は正気にかえったようだった。
彼がびよん、とまるで蛙のように高く飛び上がる。都の繰り出した一撃は足の先をかすめただけで、致命傷にはならなかった。都もあの骨と皮だけのやせっぽちがここまでやるとは思っていなかったらしく、目を丸くした。
「撃てっ」
怜香の傍らに立っていた和泉が号令を下す。しかし、一斉に降り注いだ銃弾が当たっても、痩せこけた子供は止まらず屋根まで登って逃げていった。
「なんだったんだ、あれは」
ぼろぼろの子供が立ち去った後、皆があっけにとられていた。わずかに落ちている血が、さっきの邂逅が幻でなかったことを裏付けている。
「ひどい恰好だったなあ」
怜香たちの前にいた隊員たちが、口々に語りあう。後ろから見てもひどかったのだから、至近距離で見た彼らはさぞ驚いただろう。
「無事?」
「なんとか」
無線が入った。怜香は響に答える。
「あれが、狐者異。カメラと盗聴器のデータから考えて、ここのボスはあいつ。一応行方を追っておく」
「ボス、ねえ。その割にはあっという間にいなくなったけど」
「都が追おうか」
深紅の袴をひるがえし、都が駆ける体勢になった。が、青年が首を横に振る。
「……いや、今から追うても分が悪いわ」
「そうですね。しかし、敵に遭遇しても闘うわけでもない。何でまたあれを大将にすえたのかな」
「天逆毎の気まぐれ、やったらええな」
怜香の疑問に、和泉が全く確信のない口調で答えた。




