本来の主、お帰りなさい
室内に残った一行が慌てて舟木校長を助けおこす。
「あんな腰ぬけに不意をつかれるなんて」
舟木は痛がるよりも先に、地団太踏んで悔しがっていた。
「それにしても一体、彼女どこへ行くつもりなんでしょうか」
「一尉、どう思います? あれ、一尉?」
自分を捜して、しばらく部下たちがきょろきょろと首を動かす様子を葵は座っておもしろく眺めていた。
「あー、デスクにいる」
「当然だ。元々俺のだぞ」
葵は椅子にふんぞり返って言う。まあそうか、と部下たちは納得したようだった。葵は尻の位置を整え、にんまりと部下たちを見回した。
デスクの電話が鳴った。葵は面倒そうに手を伸ばして受話器を取る。
「医務室か」
葵が受話器をとってすぐ言うと、部屋の中の部下と電話口の相手が同時に驚いた。二言三言話してすぐに通話が終わる。
「有園三佐は急なめまいと頭痛で、とても指揮がとれる状態ではないそうだ」
まあ、あの女の考えそうなことだなと内心葵は笑いが止まらなかった。舟木があとで差し入れ入れときますねと申し出ていたが、彼女の目は全く笑っていなかった。きっと差し入れには毒でも入っているだろう。
「と、いうことで。俺が責任者に昇格だな」
「どうせ上からまた新たに派遣されてくるんじゃないすか?」
「バカ言え。昨日までなら手柄目当てにそうしたかもしれんが、今日のこの状況で貧乏くじひいてやろうなんて物好きがいるわけないだろ」
上の人間もテレビくらい見るだろうか。老人連中はこの時間ならみごとに夢の中だろう。何かの間違いで起きたとしても、そのまま寝る方を選びそうなジジイ共の顔が何人か浮かんでは消えていった。
「で、一尉はどのような方針で」
「決まってるだろ。徹底的に戦うぞ」
「しかし、あの壁は」
部下の問いに、葵は笑いながら机をたたいた。
「あるぞ、対策」
「なっ」
葵が発言を落とすと、室内が一気にどよめきに包まれた。
「ならなんではじめに言わないんですか!」
「とある兵器を使うんだが、実戦で使った経験はないし、強攻策を採らずにすむのならそれに越したことはない。しかし、射程圏内までは移動させておいてある。正解だったな」
葵ははじめから、顔も見ていない妖怪どもの首領に対する警戒心を解いてはいなかった。
まだ、確実になにか策を持っていると思っていた。二重三重の策をもち、それを最大限効果が出るタイミングで使ってくる相手だろう。その前に刈り取らねば。
「動ける隊員の数が少ないが、鈴華と立塚にテロ対応部隊を送る。もちろん立塚のほうが危険だからベテランをそろえろ。広報は各社マスコミに連絡をとれ。向こうの方から約束を破棄したことを強調して、民意をこちらに寄せておけ。今からなら、大多数の人間が朝起きてくるまでに間に合うぞ」
あっと言う間に、本部は大騒ぎになった。葵はくしゃくしゃになったシャツの端で口元をぬぐって、ことの手配を見守った。
「い、一尉」
「どうした」
電話の受話器を放り出し、広報担当者が真っ青な顔をして葵のデスクににじりよってきた。
「マスコミに、とんでもない声明文が先に届いてしまっているようです」
「ち」
葵は舌打ちをした。こういう場合、事実を速やかに明らかにし、会見をしなければ傷が広がるばかりだ。だからさっさと自分の手で申し開きをしてしまいたかったのに、軍部の誰かが先走ったのだ。
葵は、誰が余計な言い訳をしたのかと上層部の顔を一通り思い浮かべてみる。しかし、その作業は全くの徒労であった。
「一尉、声明は軍が出したんじゃありません。妖怪側からの、抗議声明です」
「は?」
「鈴華に張り付いているマスコミ詰め所の郵便受けに入っていたようです。今、ようやくファックスでその全文が届きました」
葵は持っていたペンを投げ捨てて、部下が差し出した紙をつかみとる。
「抗議だと? どういうことだ」
「先に約束破ったのはあっちの方じゃねえか」
報告を傍らで聞いていた部下たちからも一斉に声が挙がる。彼らの言うとおり、今回の取引に限っては一切こちらに落ち度はないといっていい。作業は迅速だったし、供給物資もすべて妖怪側の要求通りにそろえたはずだ。
「とにかく、あちらの言い分を聞くか? どんな戯言を言っているのか、こっちも把握しておかなければ」
葵は部下たちに、いつも通りの様子で語りかける。焦るな、騒ぐな、いらだつな。上司の感情は、瞬く間にここのすべてに伝染していくのだから。




