平和の世に血は流れ
「葵。こちらの側面・背面をつこうと、敵が動いている。こういう時はどうしたらいい?」
背の高い男から呼びかけられた少年が、くいとその整った顔を上げた。手持ちのタブレットをいじると、航空隊から送られた画像が鮮明に浮かび上がる。少年はにこりともせず、ただ画像を見てうなずいた。
ここは訓練場ではなく、本当の戦場だった。しっかりとした隊列を組んだ、少年の敵がはっきりと見える。瞼などないかのように大きく突き出た橙色の目が鋭く前方を見つめている。肌は緑、ざんばらな髪は目と同じ鮮やかな橙をしていた。その間から、漆黒の角が二本、天に向かって伸びている。今度の敵は鬼か、と少年は小さくつぶやいた。
鬼たちの手には、彼らの腕の半分ほどもある大きな石斧が握られている。何度も実戦で使用されたことを物語るように、斧にはびっしりとどす黒い血がついていた。普通の人間が正面から彼らと向き合ったら、勝ち目はない。
「確かに列を組んで移動している。予備の歩兵を投入して戦線を伸ばす」
「ちなみにこれをなんと言うかな」
「延翼運動。親父、少し黙っててくれ」
父が笑いながら息子を試す。少年は即答し、また画像に目をやった。傍らの父は、正解だよと言っておざなりに手をたたいてから少年──葵に意見する。
「しかし、予備隊にも限りがあるな。あくまでこれは戦争でなく鎮圧行動、兵が少ないからそこまで手が回っていない。数では向こうの方が上だ、いずれ回りこまれるぞ」
「確かに。正面で向かいあっている部隊も、鬼たちの勢いに押されて士気が落ちている。市街地が後ろにあると言うのに情けない。これも兵をケチった奴らのせいだ。いずれあの汚い尻を全て椅子から叩き落としてやる」
無表情のまま、少年は非常に血の気の多い発言をした。傍らの父はぎょっとして、周りに聞こえないかと目を動かしたが、「安心しろ。盗聴器に拾われるような場所では言ってない」と少年に突っ込まれた。
「……さあ、戦線が伸びたぞ。次は何をする?」
やりにくさをごまかすように、父は咳払いをした。少年は無線を手に取り、機械のような感情のない声で部隊に指示を出す。
「デバイス機動部隊、第三班・四班聞こえるか」
『三班、聞こえます』
『四班、同じく』
無線から、老いてはいないが、明らかに少年よりも年かさの男たちの声が聞こえてきた。彼らの声に反発の色はない。本当に素直に、少年を指揮官として認めている様子だ。
「わが軍の右翼は押されている。中央は崩れかけている。撤退は不可能だ」
少年はおもむろに話し始めた。横で聞いていた父が「お、二番煎じ」と言ったが聞こえないふりをする。有名な演説の引用だということはわかっている。小学校最後の指揮なのだから、少しは格好つけてくれさせたっていいではないかと葵は内心で思った。
「《《状況は最高、これより反撃する》》。全員配置につけ」
『了解』
『了解』
無線から、凛とした声が返ってくる。少年はさらに、中央に詰めている部隊に向かって指示を飛ばした。
「デバイス使いが横を抜けるぞ。迫撃砲・歩兵砲ともに発砲を控えろ」
『了解いたしました』
無線が無事にいきわたった。さっきまでひっきりなしに地面を揺らしていた砲の響きが小さくなる。その次の瞬間、前方にぼうと赤い炎が上がった。きちんと並んでいた鬼たちが、火勢に負けて隊列を乱す。
そこへとどめとばかりに、漆黒の鷹たちが上空から襲い掛かった。鬼の皮すら食いちぎる頑丈なくちばしと爪の猛攻に耐えきれず、鬼たちはばらばらと斧を捨てて後ろへ走り出した。
味方の優勢を見てとった少年は、顔色ひとつ変えずに別部隊に指示を出す。
「崩れたな。戦車部隊、回りこめ。止まらず動き続けて、敵にありったけの砲弾をくれてやれ」
その声をきいて、目立たぬよう丘の影沿いに進行していた戦車部隊が、一斉に鬼たちの目の前に現れる。逃げ惑う鬼たちをあざ笑うように、一斉に戦車の主砲が火を吹き、平原は黒煙に包まれた。
わずかに残っていた鬼たちがほうほうの体で逃げ出したのを確認してから、少年は涼しい顔で顔についた泥をぬぐった。隣にいる男が汗びっしょりになっているのとは対照的に、涼しい顔で戦場を見下ろしている。
「いや、一緒に戦うのは久しぶりだが、強くなったなあ」
「兵站部隊の責任者から見てどうだ。親父と息子だからと言って遠慮はせんでいい」
「いや、もう一人前だ」
男は手を伸ばして、少年の肩をたたく。嬉しそうな顔もせず、少年は黙ったまま父の祝福を受けていた。
「一人前か。では、次の任務をくれ」
ねぎらいが一通り済んだところで、少年が手を伸ばす。父はその華奢な手に、紺色のボストンバッグを押しつけた。
「なんだこれは」
「制服と教科書」
「は?」
「時々お前と話していると忘れそうになるが、この四月からお前は中学生だ。入学式くらい出なさい」
父は嬉しそうに言ったが、少年は逆に「てっきり親父は忘れていると思ったのに」と恨みがましくつぶやいた。やけにすんなりと戦場への同行を許してくれたのはこんな裏があったか、と今更気付いても遅かった。
☆☆☆
大きな入り江に、ゆったりと船が出入りする。その海を見下ろすように、新緑生い茂る山々が背後にそびえたつ。港として理想的な湾を持ったこの地は、昔から海運の町として栄えてきた。戦争がはじまるまでその営みは絶えず、外から多くの人や物資がこの地を訪れ、また余所へと旅立っていった。
日本を揺るがした内戦終結、それから五十年を迎える今、市内東半分の地域には完全に開戦前の活気が戻り、隣県との交流も盛んである。戦時中は自粛により絶えていた学校行事や行楽も毎年開催され、皆高揚した気分で春の訪れを満喫している。
季節は四月。市内の学校では公立、私立問わず入学式がさかんに行われている。小高い丘の上にある私立球磨宮高等学校、通称クマ高でも今日は新入生を迎え入れる寿ぐべき日だった。
クマ高は中高一貫校のため、敷地は大学なみに広い。芝生の中にレンガ造りの小道が伸び、それぞれが独立した校舎に続いている。学費はバカ高い分、校内施設は非常に充実していた。
図書館や理系実験棟、運動場や温水プールはもちろん、芸術系の設備がそろう美術・演習棟、完全防音の音楽棟もある。交換留学生とともに日本文化を学ぶため、まるまる日本家屋に改造された特別校舎など、金が余っているゆえに作られたあまり登場頻度の高くない校舎もあった。
校舎の乱立により、普段は複数の校舎に散らばることが多い生徒たちだったが、今日は新入生を迎え入れるべく全員体育館に集合し、きちんと学年ごとに椅子に腰かけている。
式はちょうど新入生代表のスピーチにさしかかっていた。
「新緑の葉が茂るこの季節、暖かい春の日差しに見守られ、僕たちはこの私立球磨宮高等学校に入学しました」
お決まりの季節のあいさつから始まる、ありふれたスピーチ。両親への感謝、これからの学校活動への期待などの鉄板ネタを数多く含み、学校側としては文句のつけようのない内容であった。
……あくまで、内容は。