第一章 第3話 交戦監視員、京美深姫 (DAY 0)
本作の最初のキーキャラクター、交戦監視員の京美深姫が登場します。彼女が敵なのか味方なのか、前半のテーマの一つです。
また、本話で初めて主人公の部隊が全員顔出しします。
主人公・東大路 虹都(ハードボイルド……を目指す)
ヒロイン西條 あおい(粗暴に突っ走る元気少女)
同級生・北雲 千茶(女子剣道部主将にして文学少女、そして腐女子)
同級生・中押 冴朱(元委員長のミステリアスガール、頭脳明晰、行動力抜群)
同級生・南郷 灰音(主人公に舞い降りた天使、男の娘、異才の持ち主…)
三月三十日、月曜日。ボクが中学3年に上がる春休みには、特別に登校日が設けられた。
そこで、ボクは当面の敵である交戦監視員の京見深姫と相対することになった。
交戦監視員と言うのは首輪争奪戦の、いわばレフェリー役なので決して敵ではないと思われるかもしれないが、ボクにとってはそうではない。
交戦監視員がこの首輪争奪戦をしきる組織の末端であり、体制側の窓口だ。
ボクは気力を奮い立たせ、悪の手先の正体をじっくり観察し、あわよくば弱点を見極めようとする。
しかし、実際の交戦監視員、京見深姫を見た途端、悪の組織の手先とか、体制とか、弱点とか、そう言った一切のものは吹き飛んでしまった。
そう、彼女はボクの想像の少し斜め上の方をいっていた。
乾いたドロと砂で薄汚れた渡り廊下の先にある古い体育館は、いつもと違って保健所や役所の見慣れない大人たちが行き来していて、異世界に来たかのような印象を受ける。
そこに集められたボクたちは交戦監視委員会から派遣されたという白衣の妙な集団に、簡単なメディカルチェックを受けた。
何気に首周りを採寸され、ボクは緊張す……いやいや、不当な公権力の行使に静かに憤る。
まあ、首周りを触れられると緊張したり、払いのけたりする衝動は人間の原始的生理反応の一つだけど、分かってはいても緊張してしまう。
しばらくすると、2年の時の学年主任の矢名瀬が大声で話し始める。
「おい、男子も女子もテキトーにその場に座れ」
矢名瀬は少し強面の体育会系教師で、学年の生活指導を受け持っている。
どの学年にも一人はいる、良くありがちな脳筋先生だけど、今日は校外から人が来ているせいか、いつもの下卑た言動を抑えているようだ。
「これから、うちの中学校区を担当する交戦監視員の京美深姫さんから大事なお話がある。ほら、そこ黙れよ」
ざわざわしながら、3年生からの新クラスも分からないままで、ボクたち96人は体育館でめいめいに腰をおろす。
近くにあおいの姿も見えたが、矢名瀬の横に立つ白衣の小柄なお姉さんに大いに惹かれるものを感じた。もちろん、ボクだけじゃない。えぇと、名前は京美さんだっけ?
なんと、薄い銀縁メガネの奥の瞳が爛々として大きく、一見すると同い年か下に見えてしまうロリ顔だ。
そして、胸にぶらさげている2つの膨らみはピンク系のブラウスをぐいぐい力強く押し上げていて、前方に陣取った男子は既に半分が口をだらしなく開け放って見惚れている。
少なからず体育館がざわついて、そして、それが静まるのを待って京美さんは甲高い、ある意味、違和感のない声で徐ろに話し始めた。
「こんにちわ、常山中学校3年生の良い子のみなさん……えーと、今日はね、みんなのより良い老後を築くための重要なお話をしに来ました。私は今年の常山中学校区を担当する交戦監視員の京美深姫です。一年間よろしくと言いたいところだけど……できれば一ヵ月ぐらいで終われれば、嬉しいです。よろしくお願いします」
普通であれば、中学3年生になる半分ばかり大人のボクたちに、良い子と話した時点で失笑かツッコミがおきていただろう。
しかし、京美さんは、いわゆるロリータフェイスだ。
加えて、甲高いアニメの声優さんのような声をしている。
さらに、外見には不釣り合いなダイナマイトボディで、アメコミ・ヒロインまっしぐらだ。
もう、これらの外郭装甲だけで、ボクたちは気圧されてしまった。
強気は外見だけじゃない。一ヶ月で交戦を終わりたいだなんて頼もしい限りだ。
ひょっとしてボクたち良い交戦監視員さんにあたったのかもなどと最初は感心してしまった。
ボクたちの好奇の目に晒されながらも、京美さんは落ち着き払って本題に入る。
「……みなさんも、ご存知かと思いますが、今年から法律が改正されました。そして、来年から、みなさんの年代の中の6人に1人が一生、無保険無年金、つまり、社会保障上は死ぬことになります」
うわぁっ、このヒト、虫も殺さないような顔してサクッと言ってはいけないことを言っちゃったんじゃない?
京美さんって、ひょっとして体制側でハードボイルドやってるのかな?
でもハードボイルドって、無慈悲じゃなくて弱いものや異性には優しくするもんだ……とすると、京美さんは単に性格的にキビシイ人なのかな。
ま、ハードボイルドじゃないな。
「えぇと、常山中学校の3年生は96人ですので、単純計算で80人が保険も年金も約束されますから、安心して交戦、頑張ってくださいね!」
体育館の春の麗らかな空気が一瞬で凍りついた。
この中から16人も淘汰されるのか……6分の1って意外と多いな。政府の残虐さにボクは目の前が軽くブラックアウトしかけた。
しかし、京美さんは強かなのか、空気を読まないのか、話をずんずん進めていく。
「それでは、まず、15歳で保険や年金のお話は難しいと思うので、今日はたとえ話を使って説明していきたいと思います」
話の深刻さに反比例するように京美深姫さんはなぜか穏やか笑顔だ。
「まず、健康保険が無くなったらどうなるかというと、えぇと、そこにいる可愛い生徒さん、起立してっ……お名前は?」
「さ、西條、西條あおいです」
ちょっと凶暴なあおいが、やや緊張気味だ。
社交辞令の可愛い生徒さんって持ち上げが効いているのだろうか。
ただ、応答を見る限り完全に猫をかぶっている。
いつも普段から、こうしたよそ行きのマスクをしていれば可愛いのになとボクは少し思う。
「もし西條さんが、インフルエンザかも知れないと思って病院に行くとします。仮に、ですよ」
「は、はい」
「インフルエンザの診断、診察じゃなくて検査ね、病院に行くと検査だけで初診料を含めて2190点の保険点数になります。ですので、社会保険があれば自己負担が3割なので……えぇと6570円で済みます。いいですよね」
「はい」
「ところが、もし、万が一、無保険になると21900円が、そのまま、かかってしまいます。検査だけで2万円って大変ですねっ、そうですよねっ」
「は、はぁ……」
「しかも、インフルエンザかどうかは別にして、病気の治療費とお薬代はまた別で10割負担になっちゃいます。大変ですよねっ。もう、ぜったい病院に行けないですよねっ」
「いえ、あの命には代えられませんので病院には行くと思います」
あおいはすこし困ったように笑いながら座ろうとするが、京美さんは両肩を強引に鷲掴みにしてそれを許さない。
「ホントにホント? 無理してない?」
「あ、多分、親が出してくれるので……」
「お金いっぱいかかっちゃうわよ? 一生、かかり続けるんだし……ひょっとして、あなたブルジョア? ……なの?」
「家は決して裕福じゃありませんが、病院ぐらい行けますっ」
「ごめんなさい。そうよね、西條さんって胡蝶蘭っていうより雑草って感じの逞しがありそうだわ。もしこの先、首輪を失くしても、根性で頑張っていけるわね」
粗雑で根性が雑草並みと決めつけられた西條あおいは憤懣やるかたない、という顔をして京美さんの腕を抑えながらナチュラル着座に成功する。
「西條さん大丈夫かしら? それじゃ続けるから、その斜め後ろの子、立ってくれるかしら」
めげずに京美さんは、指名を続けるようだ。次に指名されたのは、ボクが二年の時にクラスが同じだった中押さんだった。
中押さんは成績も良く、教師受けも生徒受けも良かったのでクラス委員長を一年間、任されていた逸材だ。
加えて、容姿端麗、眉目秀麗、成績優秀で性格も良い。
なんせ、出来の悪いボクの数学まで手伝ってくれるスーパーガールだ。
隣の私立の男子校に中学生の弟がいるらしく、面倒見がなかなかに良い。
3年生でも同じクラスになって数学を手伝って欲しい、程度には憧れる存在だ。
何よりあおいのように粗雑じゃないところがボクにとってポイントが高い。
「お名前はよろしいかしら?」
「……中押冴朱です」
「中押さん、とっても利発そう!」
「あ、ありがとうございます……」
元委員長、なんだか少し気圧されてませんか。
しかし京美さんのあのハイ・テンションはどこから生まれてくるんだろう。少し分けて欲しいほどだ。
ボクは次に自分が指されないように京美さんの視線から少しずれて座り直すと、その向こうで体育館の床を爪で剥がしている女子がいる……のはスルーしよう。
(あおい、何をそこまで荒れてるんだよ……)
「中押さんなら、大丈夫な気がするわ。それじゃあ、さっきのインフルエンザ検査の話ですが、中押さんは十割負担なんて損だなと思いませんか?」
「いいえ、思いません」
中押さん、ノータイムで全否定。つぎの瞬間、京美さんが固まる。
「……」
え? 終わり?
と思ったら京美さん、このヒト、立ち直りも異常に早い。
「中押さん、65歳とか45歳の上の制限年齢の人は蓄えがあったり、それまで健康保険を使い倒してきたりしてるから置いておきましょう」
ボクの父さんは45歳だけど、蓄えはないし、保険を使い倒すほど病院には行ってないよな……などと思っていると、京見さんの言いたいポイントはそこではないらしい。
「それじゃあ、どうして15歳の君たちが制限対象になっちゃったかってこととかなんだけど……」
「それは、私たちベビーブーム世代のせいで人口構成が歪んでしまったのと、成人になる16歳から保険料や年金を支払うので、最初から保険制度や年金制度に入らないようにする『ノーペイ・ノーリターン原則』を適用したほうが公平だから制限対象になった、ということで良いですか?」
冷静に言い放つ中押さんの言葉に、おぉぉぉお、とボクの心の中でどよめきと歓声のようなものが沸き立つ。
さすが元委員長、何かネットで聞き覚えのある専門用語まで駆使するとは、グッジョブ!
そして、京美さんの中でも何か感じるものがあったようで深く首肯いている。
「うん、うんうん、中押さん、さすがね! 素晴らしい模範解答だわ。『ノーペイ・ノーリターン原則』、つまり、毎月保険料を納めて窓口3割負担にするのか、その代わりに、毎月の保険料なしで窓口10割負担にするのか、最初に選択できればどちらかが一方的に損をするという話ではないって言うことなのよね。うん、文句のつけようがない!」
「あの、座ってよろしいでしょうか」
テンションにブレのない委員長、中押さんが、終始ハイ・テンションの京美さんに冷静にお伺いを立てる。
「ええ、いいわ……中押さん、座って」
京美さんは、中押さんのことを少し惜しそうに見やりながら、次のエモノを探しているようだ。ヤバイ、とボクは改めて首をすくめて視線をそらし続ける。
「それでは、もっと分かりやすいように、そうね、そこの列の後ろの女子、ちょっと立ってみて」
指名されたのは、またも女子で、よく見ると女子剣道部の部長、北雲千茶だ。普段は無口で掴みどころのない目立たない女子だが、実は武闘派で西條あおいの入魂の友だ。
しかし、京美さんが千茶を指すあたりは、一番後ろに座っていても安全圏ではないとでも言いたいのだろうか。
千茶はおもむろに立ち上がると、よく通る声で自己紹介を済ませる。
「北雲千茶です」
「ぅわっ、結構デカ……背が高いのね。羨ましいわ、北雲さん」
そのまんま、結構デカイのはあなたの胸にしまわれている乳袋でしょう……羨ましいわ、京美さん! と脊髄反射でツッコむボクをはじめ、男性陣の視線は主に京美さんにそそがれている。
「身長の話はいいです」
千茶はやや不機嫌そうに言い放つ。
なんか女同士って怖ぇ、そんなのボクは見たくねぇ。
とりあえず、記憶からデリートして海馬への神経回路を遮断しておく。
「そうね、それじゃ、北雲さん、あなただったら無保険無年金と皆保険皆年金のどちらを選びますか?」
おぉっ、これまでの京美さんの問いかけで一番まともだ、とボクがそう思った刹那のことだった。
「無保険無年金って負けたってことですよね。私は勝負事で負けるのが大っ嫌いなんです」
あらら、回答がまともじゃない……てか、千茶を相手にまともな質疑応答を期待するのが間違っているんだろう。
京美さん、ガンバレ! ボクは心にもないことを呟く。
「ええ、そうね。わたしもキライよ」
「負けて首を奪られるような人間には保険も年金も必要ありません」
「首? ……首輪は取られても、首は取られませんよ、北雲さん」
「いえ、私は何人たりとも首輪にすら触れさせません。保険が切りつけてこようと年金が刃向かってこようと私には関係ありません。とにかく、討ち破ればいいんですから」
どんだけ、負けず嫌いなんだよ、千茶って。粗暴なあおいとウマが合うはずだと、ボクは妙に納得する。
あんまり喋らないから分からないけど、チーム戦で組むとなると、千茶は真っ先に避けたいな。理由なくマジで後ろから首を奪られそうだ。
気弱にもボクは、まだ首輪の付いていない首の周りを両手でさするようにして無事を確認する。
「そうですね、勝てばいいんです、勝てば……はい。北雲さんの勝負にかける執念をみなさん見習ってください……それでは、代わりにそこの男子!」
なんだか、京美さんがイラッと来たような口ぶりで千茶との会話を強制終了させると、理不尽な怒りの矛先は一人の男子生徒に向かう。
え? ボク? そんな、放っといてください。しかも千茶の次なんて嫌過ぎます。はい。
とりあえず、気付かないふりをして、視線を明後日の方向にやる。
すると、京美さんが近づいてくる。ヤバイよ。
「キミ、聞こえなかった? 聞こえたら立つ。立ったら名乗る」
「はい、東大路虹都です」
卑屈というか、なんだか権力に屈した感がある。最後の「です」は余計だったかな。
ボクが変な方向に気を使っていると、京見さんがさらに近づいてきて言う。
「東大路クン、無保険無年金と皆保険皆年金、あなたはどちらを選ぶの? て言うか、あなたのご両親はどちらがいいと思っているか分かる?」
あれ? 京美さん。ボクに対しては丁寧語じゃないような気がするんですけど、気のせいかな?
「え? ボクの両親ですか? ……さあどうでしょう?」
ボクはボクなりに真面目に答えたつもりだったが、京見さんのお気に召さなかったようだ。背の低い京見さんはボクの制服の襟につかまるようにして詰め寄る。
「東大路クン……疑問文に疑問形で返すなんてアタマが悪過ぎよ」
京美さんは、ボクの襟から手を離すと、ボクに正対してから下から上に舐めるように視線を這わせると、欧米人のように両手を広げ肩をすくませて言う。
「今は保険も年金も、かなり税金がぶち込まれてるの。無保険になって民間保険に入っても税金分は取り返せないんだから、ゼッタイに勝ったほうが得なの。分かるでしょう?」
京見さんとボクの超接近戦を息を呑んでみていたのが女子で、羨ましそうに次は俺だと言わんばかりに食ってかかって見ていたのが男子。
おそらく、その見立てで間違いない。
京美さんは、小さいながらも上から目線で、下からボクの鼻先を小突きながら言う。
「東大路クン、返事は?」
「……はい」
「イイ子ね、座っていいわよ。分かったら、みんな、勝つためにどうすればいいか、しっかりルールを叩き込んでもらうわ。前にルールブックがあるから各自、取りに来て」
頭が悪いと決めつけられたボクは京見さんの迫力に押されて、そのまま座ると言いようのない思いがこみ上げてきて、体育館の床をキーホルダーのカドを使って意味もなく削ってしまう。
ボクも結構、負けず嫌いだ。
なるほどね、ボクはあおいの気持ちを少し理解した。
あおいの方を見ると、どうやらボクのことを笑っているように見える。
なんだか、無性に腹が立って古くなった体育館の床板を更に深く削りこむ。
「ねぇ、あまり体育館の床、削らないほうがいいんじゃないかな?」
ボクの右斜め後方から、たしなめる女子の声がするが、放っておいて欲しい。
男には声に出して哭いてはダメな時がある。グッと怒気を飲み込むと、自然と床を削る手に力がこもる。
「このキーホルダー、シルバー髑髏じゃない? 僕、リーボンキャラの中で一番好きなんだけど、東大路くんもそうなのかな」
何、この妖精さんのようなキンキンキラキラのソプラノ声。うちの学校っていつからアニメ声優養成学校になったの?
みんな何がしかの素養があって羨ましい限りだけど、声の主を振り向いて見る勇気がボクにはない。
なんせ、去年のボクのクラスで見る限り、かわいい順に中押委員長、あおい、モブの順だ。
声が可愛いイコール顔が残念の公式は万古不易。
しかも、残念を通り越して悲惨というのもありえる。
いくらボクの心がハードボイルド仕様とはいえ、今、この精神状態では荷が重い。
しかし、声の主は諦めることなく妙に馴れ馴れしい。
「ねぇ、東大路くん。ちょっとキーホルダー見せてもらってもいいかな?」
ぐはぁっ。声の主は後ろから手を伸ばしてくると、バックハグの体勢からボクの手を取ってキーホルダーの髑髏ちゃんを絡め取ろうとする。
不審な女子に至近距離、およそ素肌から十センチ以内に近寄られると、きっと思春期男子は皆、思わず仰け反ってしまうに違いない。
うん、ボクがそうだったからまちがいない。
「わぁっ、やめてくれっ……」
思わず振り向くと予想と違って可憐な美少女がそこには鎮座している。
サラサラの軽い色のショートヘアに長い睫毛、クリッとした双眸の奥は春の光を受けてキラキラと輝くものが見える。
小さな撫で肩から伸びた細い指には、ボクが手放した髑髏ちゃんが中指から下げられている。
古くて汚い体育館に、愛くるしい天使が舞い降りたかのような光景にボクは自分の目を疑う。
「ゴメン、東大路くん。なんだか交戦監視員のヒトと変な感じになってて、その、凹んでなかったらいいなと思って……」
「わ、悪い。ボクの方こそ、そのちょっとイラッとしててさ……、んっ!!」
ボクが息を呑んだ理由を端的に言うと、この女がズボン穿いていたからだ。
一人称が「僕」だったところから注意してりゃあ良かった。
春休み中の登校日という担任が決まっていない監視の薄い点を衝いたんだろうが、自己主張にもホドがあるだろう。
まず、コスプレはダメでしょう。レイヤーさんじゃあるまいし。
男子キャラでデコってるだけなら厨二っぽい痛さだけで済むが、さすがにズボンまで行くと親バレも含めて相当な冒険だ。と言うか、そのズボン、誰から調達したんだ?
次から次へと疑問は回転木馬のように頭の中を回り始める。
「ねぇ、東大路くんってさ、僕のこと、憶えてないかな? 二年のときは半分、喘息でお休みしてたから、クラスに馴染んでなかったと思うんだけど……」
悪いが、ボクの記憶の中に名前の浮かぶ女子は一人しかいない。あとは、生物学上、メスに分類されるのが一頭。以上だ。
「いや、ボク、余り女子とは交流を持たない方針だから」
どんな灰色青春方針なんだよ、と思いながらも強い言葉が口を突く。
「僕もそうなんだけど……」
突如、生活指導の矢名瀬が割って入ってくる。
「おい、東大路、南郷、お前ら男同士で喋り込まずに、さっさと前に本を取りに行けよ」
「はい、先生」
乱暴な矢名瀬の口調にめげず、南郷が丁寧に応対する。
「……男同士?!」
重要なので繰り返し言いましたとばかりに、口にしてしまった。
これ、女じゃなかったの? うちの中学校、上着の制服がブレザーで男女が見分けにくい。
ほぼ、リボンかネクタイかで見分けるようになっている。
しかし、登校日にはリボンを付けてない女子もいて、さすがにボクも分からなかった。
異性との会話と勘違いして醸し出されていた妙な緊張感から解き放たれたボクに、南郷くんが改めて自己紹介をする。
「東大路虹都くんだよね。改めまして、僕、南郷灰音。去年は、文化祭も体育祭も参加できなかったから影が薄かったかもだけど、良かったら仲良くしようね」
おそらく、本人を除く百人中九十九人までが口にするであろう言葉が口をついた。
「こちらこそ、よろしく。あの……南郷くんって男子だったんだ」
「あの……やっぱり、変かな? 僕の声のせいかな、変声期まだだし。あと、身体ひょろいし。こんなの友達って……嫌だよね」
男に上目づかいされてもガン無視できる自信のあるボクだけど、南郷灰音の眼差しは男を感じさせない。むしろ、モブ女子の百倍はこころが安らぐ。
「ボクは気にしないよ。ぜひ、友達から」
いったい全体、友達から始めて、最後はどこに行きたいのだろうね?
そう思った矢先、南郷灰音の笑顔が一層輝きを増す。
「そ、それじゃあ、東大路くんのこと虹都って呼んでもいいかな? 僕は灰音でいいよ」
「ああ、灰音、よろしく頼む」
「うん、虹都、ありがとう。それじゃあ、先生の言ってた本を取りに行こうよ」
京美さんは、他の先生と一緒に体育館の前の方で交戦ルールの公式解説書を配っていた。
公式解説書は薄いライトノベル一冊分くらいで、六章立て。文字は少し大きめになっているが、後半は関係法令が原文で収載されていてゲンナリする。
最初の方は図解も入っていて親切なんだけど後ろの方は文字ばかりになる。
なんていうのか、学校で配る本って、読ませる工夫とか、萌えとかいったものを理解してないよね。
ボクだったらもう少しイラストに力を入れて、扉絵はカラーにしているかな。
あと、プチキャラも要所に入れて……とボクが軽く脳内で一冊のラノベを編集、装幀し終えた頃には、京美さんは体育館の三年生全員に本を配り終えていた。
京見さんは、時計を見ながら元いた場所に立ち戻って、足を肩幅に開きみんなの方を向いて言う。
「それじゃあ、気合を入れて、これからが本題よ」
体育館に声が響き渡り、組んだ両腕の上で京美さんの大きな胸がブルンと揺れた。