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第三章 第2話 焦りと喪失への電車道 (DAY 4)

「先週の三日間でアタシたちは全国千二百件余りの交戦情報を入手したわ。驚かないでよ、そのうち半分の五百九十五件が非公式戦による喪失ロストだったわ。結構、みんなドンパチやってるのよ、意外にね」

 情報教室に全員集合している中で、西條さいじょうあおいは千茶ちさの情報分析結果を含め滔々と部隊をアジテートし始める。


 さて、一体なにをしようと言うのか不安でしかたが無い、と言うのは決してボクがアジテーションに乗っているからではない。

 あおいが勝算ありと見て動くのを百歩譲って認めるとして、その勝算がボクや灰音はいね中押なかおさんの犠牲の上に成り立っていない可能性が無いとはいえないからだ。

 特に、ボクに限れば、からっきしの貧乏くじと言うことも、かつてはよくあったことなので、まったく気を抜けない。


「事実、今日も、アタシたちは非公式戦の怖さを眼前で思い知らされたじゃない。GPSの精度誤差を利用するなんて、情報を持ってるか、そうじゃないかだけで勝敗が決まってしまうのよ。そのうち、GPS|情報を自由に書き換えたり、内蔵時計をロンドン時間に設定したり、きっと狡猾チートな技術情報に足元を掬われてしまう可能性だってあるわ。あの京美きょうみとか言う交戦監視員が言っていたとおり、時間の経過はアタシたちにとって不利でしか無い。癪だけど、速戦即決でいくのが真っ当だわ」


 すぐにでも、打って出そうなあおいの暴走を止めようと、ボクは多少の抵抗を試みる。

「理屈は分かった。だけど、じっさい、どうしたらいいのかな? 確かに結果から見れば、今日の敵の作戦は単純にGPSの技術的な隙を突いて誘き出すことだけだったかも知れないけれど、うちの制服を手配したり、爆竹やビニルの布でみんなの気をそらしたり、結構、準備に時間が掛かっていると思うんだ。逸る気持ちは分かるんだけど、速戦即決って何かいい案でもあるの?」

「当然じゃない。千茶ちさがね、土日完徹で考えた綿密な作戦があるのよ。それじゃあ、千茶ちさ、ブリーフィングをお願いね」


 千茶ちさ、一体なにを考えたら土日完全徹夜して、今ここに立っていられるの?

 いや、アレの画像が供給されている状況からすると、分からないでもないんだが。

「このノーパソを使って、カンタンに説明するわよ。画面を見てね……開始三日間での首輪タグ喪失ロスト状況が、このグラフね。うちわけでいくと公式戦は初日と二日目でほぼ六百件すべて出尽くしてるの。それに対して非公式戦は初日から順調に百、二百、三百と伸びてるわ」


 千茶ちさのノーパソには正に異常とも言うべき量の交戦データが入っているようだ。

 金曜日に入手したデータが例の褌ワッショイファイルだけでなかったことに安堵する。


 一方で冴朱さやかは少々、驚きを隠し切れないようだ。

「どうしたの、このデータ……」

「何言ってんの、冴朱さやかも居たじゃない、金曜日の養護教室。そこで交戦情報を確保したのがアタシで、何だかよく分からないファイルの入手に腐心してたのが千茶ちさも含めたこの三人よ」

「何だかよく分からないファイルって?」

「パスワードが褌って言うんだから、褌を取ったら出てくる物が写ってるに決まってるじゃない」


 うわぁ、恥ずかしげもなく言ってしまうんですか。それ、かなりR15、いやR18なんですけど。

「そ、それは、千茶ちささんが腐心するのは分かるけど……どうして、虹都こうと君や灰音はいね君まで欲しがるのかしら。よく分からないわ」

「い、いや、僕も虹都こうとも、もっと大事なファイルかと思ってて、でも、ファイルは画面が血で真っ赤で見れてないんだ」

「えっ、最近のって、いわゆるグロ要素が入ってるのね。ごめんなさい、灰音はいね君。私、ますます、そういう話は得意じゃなくて……」


 なんだか、ボクと灰音はいねまで巻き添えを食っている感があるので少しだけ反論しておいた。

「いや、ボクたちもあおいと同じで、からっきし興味、無いんだけどね。で……千茶ちさ、初日から|徐々に非公式戦が増えてるのは分かったけど、それでどうすればいいの?」

虹都こうと君、交戦データの中にたくさん数字が見えるでしょう。例えば、この三五・四八・六六四一とか、一三一・一九・七二一三とか、これが首輪タグが切られた緯度経度のGPSデータで、非公式戦の場合に地図情報と重ねるとこういう風になるの」


 おぉっ、と小さく歓声が漏れる。交戦地点を見てみると、街中、商業ビルや駅の辺りに多くマッピングされ、次いで道路沿い、校舎の周囲となっているが、密度は圧倒的に街中が多い。

「ちなみに、常山じょうざん中を中心にすると、こんな感じね」

「うわぁ、何にもない……」

 灰音はいね千茶ちさの斜め後ろから、溜息のような感想を、少し乾いた唇から漏らす。

 ボクは灰音はいねの声に、改めて少しドキドキする。


「それは、まだ三日しか経っていないからよ。それより、灰音はいね君、ここなーんだ?」

「これは、うちの学校の正門じゃ……、あれ、このマーク?」

「そうよ、おそらく、うちのクラスの第十六部隊チーム郡司ぐんじ君が首輪タグった場所よ。どうして、こんな場所でって思うでしょう? 私もびっくりしたんだけどね」

「どうして、正門前で倒れたんだろうね」

「そうでしょ、しかもタイムスタンプが九時二分って出来過ぎじゃない、郡司ぐんじのくせに」


「本当にいいタイミングで、誘き出されたような感じだね」


 ボクはその会話を聞きながら、何だか今朝の伊富士いふじの事件が、ふと、陵日中りょうじつちゅうの生徒によって起こされた京見きょうみさんへの初日襲撃事件の意趣返しのように思えてきた。

 しかし、そんな話は中押なかおさん以外に通じるはずもなく、その中押なかおさんも気乗りしないような雰囲気で、最初のデータの件以外は積極的にこの話に加わっているようにはみえない。


 その中で、千茶ちさが土日を完徹して考えた結論を述べる。

「結局なんだけど、公式戦が初日と二日目にバラけたのは、交戦前から公式戦を約束していた部隊チーム同士で、交戦監視員を取り合った結果だと思うの。たぶん、お互い納得ずくの公式戦だから、どっちが勝っても、おかしくないような内容だったと思うわ。そして、公式戦をしようとする部隊チームは三日目には、もう、ほとんど無くなってしまったの」

「なるほど……それで、三日目には公式戦による喪失ロストが記録されなくなったんだね」

 首肯く灰音はいねと微笑みかける千茶ちさ。何だか、良さ気な雰囲気が漂っているが、ボクは許さないぞ。

 灰音はいね千茶ちさなんかに渡すなんて断じてあってはならない。うん。


 ボクは、千茶ちさに尋ねる。

「それで公式戦は期待できないから、非公式戦を挑もうって思ってるの? 千茶ちさは」

「ええ、そうね。公式戦はどうしても両部隊チームが納得しないと成立しないから、勝率は五分五分になってしまうわ。だから、勝率を上げるためには、勝てそうな状況で仕掛けられる非公式戦を選ぶしか無いと思うの」

 ボクは千茶ちさの判断は間違っていないと思う。まぁ、千茶ちさが間違うのは、決まって、その先だ。

「勝てそうな状況って?」

「一番勝率が高いのは、敵が人混みの中にいることね。そして、ひとり孤立していれば理想的だわ。それと、あと、その敵が何かに熱中していれば、ほぼ確実に首輪タグは手に入るわ」


 何かどこかで誰かさんから聞いた話に似ている。そう思いながら、ボクは更に尋ねる。

「詳しく言うとどういう状況なの?」

「例えば、商店街で喪失ロストした例として、自動販売機の下に落ちている百円玉を拾おうとして、悪戦苦闘しているところを切られたケースが報告されてるわ」

「え? それってかなり馬鹿っぽくない? 百円玉と首輪タグとどっちが重要かを考えれば、悪戦苦闘して拾ってる場合じゃないよね。それって公式な記録か何かなの?」

「もちろんよ。非公式戦の場合、異議申立てがあるから、それに備えて記録は結構しっかり書かれているの。そのケースだと、最初に小学校にあがる前の小さな女の子が出てくるところから書いてあるわ。百円玉もどうやらその子のものだったみたいね。女の子がどうしても取れないから、助けてあげようとしていたって記録されてるの。まったく、交戦中だというのに困ったヤツよねぇ……」

 あ、間違ってるよね、これ。すかさずボクは千茶ちさにツッコむ。

「いや、千茶ちさ、それって、とってもいいヤツから首輪タグってないか。何か心が痛むから別のケースで頼む」


「そう、それなら公園で奪取ロストした例として、女性と肩を組んで歩いてるところを切られたケースがあるわよ」

「なにそれ、交戦中なのにイチャついてて首輪タグをロストしたの? 一体、どこの中三リア充さんなんだよ」

「えぇと、詳細を見ると、公園で貧血を起こして倒れた女性を抱えて救急車の見える通りまで一緒に歩いているところを切られたらしいわ。本当に、交戦時間中なのに気を抜いてるから困ったことになるのよ……」

「いや、千茶ちさ、それも何か聞いてると、とても、いい話のような気がしてきた。ボクなら、そんなところで冷静に交戦してるほうが変だよ」


「そうかしら。じゃあ……」

千茶ちさ、もういいわ。こーちゃんは街中に行けばこういうラッキーな状況がゴロゴロ転がっていることだけ理解しておいてくれればいいわ。昔の言葉にもある通り、犬も歩かなければ棒にすら当たらないの。だから、アタシたちも出歩くのよ」

「でも、出歩くと首輪タグを失うリスクもあるよね」


「こーちゃんは、金曜日にはあれだけヤル気があったのに、どうして、そう消極的なの? 虎穴に入らずんば虎児を得ずって言うでしょう。早々に首輪タグを入手して第十六の連中みたいに受験勉強やら、中学最後の部活やらに打ち込みたければ、今頑張るしかないじゃない。それに、護身術については千茶ちさが完璧なフォーメーションを研究してるの」

 何だか、聞く前からボクの心のなかを期待と不安が入り交じる。

 説明しようとする千茶ちさの鼻頭が、心なしか怒張しているように見えるのは気のせいだろうか。


「まず、単独行動は厳禁だけど、敵が一人だったらこの体勢が一番首輪タグを守れる可能性が高いわ」

 そう言うと、千茶ちさは両手を首の後で組んで肘をたたんでうまく首輪タグを腕の中に収める。

「この姿勢で、人混みを抜けるか、味方を見つけて複数で防御するの」


「一人と二人では、何か違ってくるの?」

「ふふふ、灰音はいね君。ぜんぜん違うわよ。人の視野って|一八〇度しか無いの。だから、人混みでの単独行動で、複数の敵を見張るのは不可能なんだけど、灰音はいね君、そこに立ってみて。そして、私がここに立つでしょう」

 二人はいわゆる背中を預け合うような形で立つ。

灰音はいね君は窓側からくる敵を見張って、私が廊下からくる敵を見張るとどう?」

「ホントだ、千茶ちささん。これなら少なくとも背後から突然、襲われることはないよね」

「そう、そして、敵を見つけたら、どうするか分かる?」


「うーん、千茶ちささん、どうしたらいいの?」

灰音はいね君、遭遇戦で一番避けなくちゃいけないのは囲まれて追い詰められることなの。だから、敵を見つけたら、真っ先にその敵めがけて攻撃よ。もし、無力化できなくても怯んだ隙にそこから突破すれば、敵が五人しか居ないことを考えると第二線が引かれている可能性は低いし、第二線が張ってあっても二対一なら突破は可能じゃない」


「えー、でも、どこまで逃げればいいか分からないと心配だし、こわいなぁ」

灰音はいね君、大丈夫。街中でもお店や病院、交番なんかは、一時的に避難できるし、いざとなったら男子トイレに籠城するのもアリよ。とにかく、自分の安全が保護されそうなところや、周囲に大人の目の監視があるところを、いつもチェックしておいて、逃げ場を確保しておけば、いざってとき役に立つわよ」

「うん、分かったよ」

 熱心なのか、灰音はいねは真面目にテイクノートしている。


「そして、追い詰められた場合なんだけど、速やかに壁のある場所に移動して、背後の安全を確保するの」

「壁がなかったら?」

「そうね、さっきみたいに背中合わせになるしか無いわ。どうしても背後から襲われると人の手足って前に向いてしか使えないから、どうにもしようがないの。そして、なるべく武器になりそうなものを持って、敵の接近を防ぎながら時間をかせぐしかないわ。敵に腕を掴まれれると力押しに押されるから、撥ね退ける感じで掴まれないようにね」

 いそいそとメモをとる灰音はいねが健気で守ってあげたい感じが半端なくする。


 しかし、攻撃は最大の防御、とりあえず、ボクは攻撃の方も聞いておきたい。

「ねえ、千茶ちさ。逆にボクたちが敵を攻めるときはどうしたらいいの?」

「それはね、防御策の逆をやればいいの。あおい、虹都こうと君を抑えてっ」

「やれやれ、こんなの金的で一発じゃないの?」

 あおいは、猛禽類のような溜息をつきながらボクの両手首を絡め取ってしまう。

 そして、逆サイドから千茶ちさ首輪タグ切狭きりばさみでボクの首輪タグを摘まむようにする。


「ぐふふ、虹都こうと君。こうならないように、あおいの手に掴まる前に振り払ってね」

 いやいや、こんなのが二人襲ってきたら、首輪タグより命の安全を優先します。

 ボクは、手首に残ったあおいの手のひらの跡をさするようにして小さく心のなかで弱音を吐く。


「まあ、不幸にしてヤル気の旺盛な敵と遭遇した時だけの心構えってところね。そもそも、敵に遭遇できない可能性のほうが高いんだから……」

 あおいのその言葉に、ボクは金曜日の正門前の通りの人の居ない光景を思い浮かべる。確かに、交戦中にもかかわらず人っ子ひとりいなかったっけ。

「それじゃあ、作戦オペレーションってどうするの?」

「そうね、ここで午後三時から午後五時までで一番混雑するところを調べてみたの」

 あおいの話に合わせて、千茶ちさが画面に地図を映し出す。


「交戦三日間で喪失ロスト報告九件の北一条駅きたいちじょうえき発の電車が最も有望って結果が出たの。この沿線沿いのポイントも、電車の移動中の喪失ロストにカウントしてるんだけれど」

 千茶ちさの話に、あおいが勢いよく割って入ってくる。

「いい、たった三日で九件も喪失ロストが発生しているってことは、アタシたちがまだ付け入る余地があるってことだわ。まだまだ、電車の中でぼうっとしてる首輪タグの主に遍く警告を発するのよ。何か文句でもあるっ?」


 文句と言われるとなぁ……そう思っていると、それまで押し黙っていた中押なかおさんが重い口を開いた。

「今日の事件で、確かに今までの考え方を改めなきゃいけないとは思うの。ルールも実質的に大きく書き換わったわ。確かに時間の経過も私たちにとって不利でしかないのもよく理解るの。ただ、交戦監視員は信用出来ないし、外にでるのも正直、まだ怖いわ。それに、ルールの隙に付け入るような犯罪はしたくないし……何より間抜けな人を犠牲にするなんて、とても酷いことじゃない?」


「……なんだか、こーちゃんより面倒臭いわね。冴朱さやかはひょっとして闘う気がないの?」

「闘う気はあるわ。最後には必ず勝ちたいもの。ただ、勝つチャンスはまだまだ他にあると思うの」

「ふん、わかったわ。それじゃあ、今日は特別に貸しにしてあげる。千茶ちさ、くじ引きを用意して」

「了解、あおいっ」


 千茶ちさが室町時代からの伝統を持つくじの正統派、万古不易のあみだくじを引いている。くじの先には『ペア1』が二つ、『ペア2』が二つ、『司令塔』と書かれていて、冴朱さやかが司令塔に決っているようだ。

「今日は北一条駅と常山じょうざん西駅にしえきを往復しながら、カンタンに奪れそうな首輪タグを探しに行くの。まさかとは思うけど首輪タグ切狭きりばさみは携帯してるわよね」

 交戦時間中は首輪タグ切鋏きりばさみの携帯が推奨されているので、ほとんどの生徒が鞄に入れている。

 ボクと灰音はいねは首肯くと、それを見てあおいが冴朱さやかに言う。


「ちなみに、冴朱さやかは、今回は特別に『司令塔』役よ。要するに、ここにいて全員の連絡役ね」

「そう、連絡役って言うのは何をするのかしら」

「そうね、一番重要なのはどちらかのペアが首輪タグを確保した時点で撤収命令を出すこと、あと、京美きょうみの部屋のモニタのクローンがそこにあるから、近くで首輪タグの争奪戦が報告されたら、全員に警告すること。うん、ま、それくらいかしらね」


 続いてボクも説明を求める。

「それじゃあ、ペア1、ペア2って言うのは?」

「司令塔以外の四人が二人一組になって見まわるの。この近辺では一番混雑する区間なんだけど、時間が時間だから、ラッシュアワーみたいに人がいないのよ。それで、二手に分かれたほうが効率がいいんじゃないかと思ってね。さぁ、選んで選んで!」

 あおいと千茶ちさが名前を書いた後で、あみだがボクに手渡される。


 役割に変わりがないなら、選ぶも何もない。順番を灰音はいねに譲って、余った場所に千茶ちさが『虹』と書いてあみだを広げる。

灰音はいね君とペア2だわ! 虹都こうと君はあおいとペア1ね」

 ……どうして、灰音はいねじゃないんだ。

 三分の一の確率で引けないとはツイてない。冒険を前に少し心が折れた所をあおいが言う。

「ツイてないわ、アタシ。こーちゃん、しっかり仕事してよね」

「へいへい」

 ボクは一体何の仕事を、時給いくらでするのかも知らされないまま駅に連れて行かれた。文字どおり、ある晴れた昼下がり、市場へ続く道を、ドナドナのように引かれていく。


 ボクは灰音はいねと組みたかった。そして、あおいはおそらく千茶ちさと組みたかったのだろう。そこを敢えてくじ引きにしたのは、千茶ちさだ。

 千茶ちさ灰音はいねと組みたかったのか?

 交戦中にもかかわらず、大通りを駅へ歩いて行く道すがらボクは本当にどうでもいいことばかりを考えていた。


 さいわいにして駅までの道で、交戦相手に出くわすことはなく、ただ、一般の人であるにも関わらず、すれ違うと巻いた首輪タグに好奇の視線を感じた。

 やはり、交戦中というのは非日常のようだ。

 駅前で隣の駅までの切符を買うと、乗る電車を確認して司令塔の中押なかおさんに連絡する。

 そして、あおいが最後の確認をする。


「いい、何かあったらすぐに冴朱さやかに連絡するのよ。あと、乗る電車が被らないように、乗り換えのときも予め冴朱さやかに連絡しておくの。それじゃあ、アタシたちは次の電車に乗るから、千茶ちさ灰音はいね君はその次の電車をお願いね。あと、くれぐれも油断は厳禁よ。わかってるでしょうけど、交戦中なんだから……」

 ホームで電車のアナウンスが聞こえるので、そのまま、改札を通ると、息もつかせず階段を駆け上がる。


 なおも、プラットホームの端まで歩を進めるあおいにボクは後ろから声をかける。

「ちょっと、どこまで行くんだ?」

「先頭車両までよ。一駅しか無いんだから、急ぐわよ」

 隣の駅まで五分余り。車両は六両編成。ゆっくり見て回っても十分お釣りが来そうなもんだが、果てさて、そんなに急いでどうするの?


 そう言いながらも、流されて庇の無いプラットホームの端まで来てから訊く。

「でも、どうして先頭車両まで来る必要があったんだ?」

「もう、緊張感無いわね。いいこと、今日の最優先事項は安全なの。だから安全確認を先頭車両から一両ずつ順次繰り返して、最後尾までクリアしていくのよ。分かる?」

 何だか、もう、すでにFBIの捜査術かなにか別の次元の議論のようだ。


「分かった。とりあえず、乗客の首輪タグの有無を確認すればいいんだよね」

「そう、こーちゃんは進行方向右側のシートの乗客を見て。立ってる人は最優先よ。次の瞬間には襲ってくるものと思いなさい」

 あおいは、なんだか、いい感じに緊張感上げてるけど、襲われた次の瞬間、どうすればいいのか分かっていない気がする。

 ボクは情報教室での千茶ちさの講義を思い出しながら、背後の安全を確保して敵の手を首輪タグ切狭きりばさみで払いのけるイメージトレーニングを繰り返す。


 ホームに注意を促すアナウンスが流れるのと同時に扉が開き、数少ない客を降ろすと、あおいとボクは電車の中に入る。一両目で立ってるのは乳母車を押している女性とその両親と思しき老夫婦だけで、あとはクロスシートに腰掛けている。

「いい、交戦当事者がいたら言いなさいよ」

 あおいは小声でそう言うと、ずんずん車両の奥へと進んでいく。ボクは進行方向右のシートに腰掛けている乗客の首周りと年格好を見ながら、首輪タグの有無を確認していく。周囲に気を配りながら首輪タグの確認作業を進めるのは、意外に神経を消耗する。一両目が終わり、二両目、三両目と移るに従って、疲労が蓄積していくのが分かる。


 結局、最初の電車は最後尾の六両目まで、中学三年生の乗客はいなかった。

「い、意外といないもんだな、敵っていうのも」

「そうね。もう駅につくから冴朱さやかへの連絡をお願い」

「ああ、分かった……って、あおい、お前、首輪タグ切狭きりばさみ、どこにしまっているんだよ」

「ブレザーの胸ポケットだけど……悪い?」

 いや、悪いかどうかではなくって、そのなんだか好戦的な雰囲気だけが伝わってくるのは気のせいでしょうか。


「この方が、イザというとき両手が使えるし便利でしょう。こーちゃんはどうしてるの?」

ボクはポケットに突っ込んでいる右手を出して首輪タグ切狭きりばさみを見せる。

「こーちゃん、ずっと首輪タグ切狭きりばさみ握ってたの? 呆れた。こんなの敵が見つかってから身に付ければいいのよ。でないと、いざっていうとき反応遅れちゃうわよ」

「でも、胸ポケットに挿して見せびらかすのもどうかと……」

「アタシにとっては、これがベストポジションなの。見せびらかしてなんて無いわよ。もう、そんなこと言ってる間にさっさと冴朱さやかに報告して!」


 あおいは最初の電車で戦果が上がらなかったことで、少し焦っているのか、もう気持ちは次の折り返しの車両に移っている。ボクがメールで『三時五分発の電車の見回り終了、戦果なし』と中押なかおさんに報告すると、『了解。折り返し三時十四分発。二番線』と素っ気ない事務的なメールが帰ってきた。


 電車を降りて二番線に向かうと、北一条駅始発の電車には人がまばらに乗り合わせている。どうやら、地方都市としてこの時間帯に混雑地帯に居合わせるのは相当の困難が伴うらしい。適当に発車までの時間を駅の見通しの良い場所で過ごして、発車間際にまた先頭車両に乗り込む。


 とりあえず、午後三時台の電車は人が少なく、練習には向いてそうだなとボクが思っていると、言葉のめっきり少なくなったあおいが、少々不気味で不機嫌そうに見える。

 しかし、午後四時を過ぎる頃から人が増え始め、クロスシートに空席はなくなり、立っている人も多くなってきた。ちらほら制服の中学生が交じるようになってきて、あおいの口数も自然に増える。


「あれは、東中の制服ね。あっちは私立の新創中しんそうちゅうで、もうひとつ後ろは……」

「あおい、詳しいな。そう言う趣味だったけか」

「違うわよ、交戦が始まってる中学校と始まってない中学校じゃ、心構えみたいなものが違うじゃない。だから見分けてるのよ」

「なるほどね」


 なかなか、あおいのこういう研究熱心なところには頭が下がる。しかし、制服は着ていても首輪タグを付けてないので、電車に乗っているのは二年生か一年生ということになる。まあ、いないよりは多少緊張感が増すといったところか。


『午後四時四十三分発の電車の見回り終了。戦果なし』

『了解、折り返し四時五十三分発、二番線』

 どうやら、これが最後の電車になりそうだ。そう思った矢先、ボクのスマホとあおいのが同時に鳴る。


『四時五十分|更新、交戦情報、三時四十八分、非公式戦で礼明館れいめいかん中学第七部隊チーム市立東中学第十二部隊チーム首輪タグの取得を宣言。獲得場所は、北一条駅付近の上り電車内』

 あおいが二番線の電車を見ながらつぶやく。

「先を越されたのかしら、リスクを取ったのに手柄を横取りされた気分だわ!」


 切歯扼腕するあおいだが、いかんせん、もうこれが今日、最後の電車ということになるだろう。

 正直なところ、交戦時間中に長い間、外にいたのでボクも疲れていた。

 そこに、この報せが来たので、疲労感が一層増していた。

「あおい、今日のところは、もう終わりにしないか? どうやら今日の宝物アイテムは他人に拾われてしまったようだし」

「冗談じゃないわ、アタシは最後の一秒まで諦めないわよ」

 気丈にもそう言うと、あおいは脇目も振らず電車の先頭車両に進んでいく。


 どちらにせよ、常山じょうざん西駅にしえきまで戻らなければいけないので、ボクも電車に飛び乗る。

 ボクも最後まで諦めるつもりはさらさら無い。

 こう言う、あおいの諦めの悪いところは、なぜか共感できる。電車の発車のアナウンスが流れる間に電車の外を同じ学生服の首輪タグを付けた男たちがこちらの電車に寄ってくるのが見える。


 獲物か?


 そう思った刹那、あおいが言う。

礼明館れいめいかん中学ちゅうがくのやつらよ、降りるわ」

 しかし、先頭車両の最前扉ということもあって、発車のベルと同時に若い駆け込み乗車の客が乗り込んできて降りそこねる。

 どちらが悪いか判然としないのだが、とりあえず、ボクが頭を下げると、若い男のサラリーマンはこちらを非難するように一瞥して、直ぐ傍の座席に腰を下ろした。


 ボクの背中に顔をぶつけたあおいが剣呑な雰囲気で言う。

「……馬鹿ね、何してんのよ」

「いや、見ての通り、出会い頭で……それより、向こうの車両に首輪タグを付けた男子がいたんだけど」

「三人はいたわね……数的には不利ね」


「そんなにいたっけ?向こうの車両に一人乗ったのは見えたんだけど」

「その向こう二両先まで見えたわ、とにかく、どこか隠れる場所はないかしら」

「運転席か、網だなの上か……」

「運転席がいいわ」

 冗談で言ったつもりなのだが、迷いなく、あおいは運転室の扉を叩く。


 運転士は白い手袋を左右に振って最後尾の車掌に言うよう指示しているようだが、容赦なくあおいがノックを続けていると窓が磨りガラスのように真っ白になった。

「なによ、お客様は神様なのよ!失礼ねえ。もう、電車を止めてやろうかしら」

 下の非常停止コックを見やりながら、あおいが神様にあるまじき不穏な空気を醸し出している。


 しかし、連結車両の向こうを見て、ボクは敵の動向をあおいに告げる。

「あおい、どうやらいらっしゃるようだ」

 連結扉の向こうから首輪タグを付けた交戦当事者がぞろぞろと現れる。

「一、二、三、四……五人? ちょっと、お、多すぎない?」

 めずらしく、あおいがビビったような声を出している。ボクはビビったあおいを見て狼狽えそうになりながら、どう防戦体勢をとったものか考える。


「こ、こーちゃん、残り時間は?」

「あと、三分半以上」

千茶ちさの考えたこの姿勢じゃ、三十秒粘れたらいいほうね。ど……どうしよう」

 あおいが両手を後ろに、うなじの方まで回して、首輪タグを抱えるように組むが、すぐにそれを解いて前を向く。

「あおい、無茶はするな。あと、使わないなら首輪タグ切狭きりばさみを貸してくれ」

「どうするの」


 ボクはもらったあおいの鋏を左手に持ち替えて言う。

「二刀流で防御力が二倍になる」

「こーちゃんって本当に馬鹿なの?」

「あと、これで、首輪タグられても、そのあと、敵の首輪タグれば相討ちに持ち込めるしな!」


 ラジオペンチのような首輪タグ切狭きりばさみを左手でパチリパチリとやりながら、敵が近づいてくるのを待つ。

「こーちゃん、本当に馬鹿ね。そんなコトされても、全然っ嬉しくないんだから」

 そう言うあおいの右手には文房具史上、ホチキスと双璧をなす最悪の凶器と名高いコンパスが握られている。

「絶対に、無事に戻るわよ」

 あおいの声が少し震えていて、初めて可愛いと感じる。

 ボクも無事に帰ろうという点について異存はない。


「ああそうだな、あわよくば首輪タグって帰りたいもんだ」

 ようやく、敵が目の前に近づいてきて、首輪タグ争奪戦の雰囲気が漂うと、巻き添えを恐れたさっきの若いサラリーマンが脱兎のごとく逃げ出す。

 それに続いて何人かが席を移動して、車両の最前部に舞台が整った。


 敵は見るからに喧嘩っ早そうな男子五人、対するこちらは男女二人。ハードボイルドで心優しい男子と可愛くも粗暴な女子のペア。

 結果は火を見るより明らかだが、敵も鬼畜なものでリーダー格らしき男子生徒が、いけしゃあしゃあと言ってのける。

「もう、時間がない。手荒なことはしないでやるから、一本寄越しな。抵抗するなら二本とも切る」

 ボクはドキリとして、すぐには見当たらないその言葉の真意を探った。


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