第二章 第5話 コーヒー、コスプレ、アインシュペナーの昼下がり (DAY 3)
報じられる一人の少年の死が主人公の気持ちを暗くします。
そして、様々な気持ちを上手く消化できないまま校外の喫茶店で京美との一騎打ちに。
交わされる言葉の中で、主人公は交戦監視員の京美を挑発してしまい、窮地に立たされます。
交戦三日目、痛ましい事件が報じられた。
地方の交戦地区で敗者となった十四歳の少年が自ら命を絶ったという。
報道管制が布かれているせいか、詳細な情報は通信社が配信した情報以上のものはない。
もちろん、少年の交戦情報やさまざまな背景情報は捨象されて、事実のみが淡々とつたえられた。
ボクが、どうしても社会保障権争奪戦を好きになれないのは、パパの言う制度メリット以上に、弱いものにシワ寄せが行く制度デメリットが許せないからだ。
おそらく、制度擁護論者は最大多数の最大幸福と社会保障システムの適正な運営のためには、こうした犠牲はやむを得ないことだと切り捨ててしまうのだろう。
しかし、そうした制度があるがために失われなくて良い生命が失われている現実は否定されるべきじゃない。
人が幸福に暮らすために、他人の命を犠牲にしていいはずがない。
そんな弱者に優しくない世界はハードボイルドじゃない。
ボクは、不愉快なニュースを、朝食の食パンと一緒に紅茶で流し込む。
今日は昼から京美さんとのコーヒータイムが控えているせいか、ボクはちょっと緊張している。
京美さんとの対峙は、怖いだけではなく楽しみでもある。
この馬鹿げた首輪争奪戦を終わらせる望みがあるとすれば、ルールである法律でも、道具である首輪でもなく、運用している人だ。交戦監視員、社会保障権争奪戦を運営する要であり、大きな裁量権を有している。
この交戦監視員が連携して反対すれば、制度を止めることが出来るかもしれない。
金曜日というせいもあるのだろうか、学校全体から少し浮ついた空気を感じる。
晴れて気温が上がっているせいもあるのだろう、ともすれば、首輪争奪戦という苛烈な現実を忘れそうになるような交戦三日目だ。
と言っても、ほとんどの生徒は学校の敷地に夕方五時まで籠もっていて交戦なんてしていない。
かく言うボクも、情報収集の名のもとに戦闘忌避をしているのだから、他人をとやかくいう資格はない。
でも、志は違う。他人を蹴落として勝ち名乗りをあげようという気持ちはない。
とにかく、人を幸せにしないクロスアウト方式の首輪争奪戦に終止符を打つという矜持を持ってボクは行動している。
そして、放課後になると、中押さんは渡り廊下のほうへ、ボク、灰音、あおいと千茶は情報教室のほうに向かう。
千茶とあおいは、ネットワーク監視ソフトのバージョンアップをしてて、怪気炎を上げている。その隣でボクは灰音と打ち合わせをする。
「京美さんとのコーヒータイムなんだけどさ、やっぱりお説教なのかな?」
「お説教だったら、コーヒーに誘うなんてことはないと思うよ。ふつうに廊下で叱られて終わりじゃないかな」
「やっぱり、ただのお説教じゃ無いよな……でも、ボクを呼び出してコーヒーを飲んで、時間潰しするほど京美さんも暇な人じゃないよね」
「そうだよ、何か情報収集だけでも、ずっと画面に張り付いたままだからね。でも、そんな中で虹都を呼び出したんだから、よっぽど、なにか目的があるのかな?」
灰音の一言で、京美さんの延髄斬りが目に浮かぶ。
でも、自分の校区の生徒のために敵を倒しても京美さんの得にはならないんじゃないかな、ボクは不確かな情報を手繰りながら考える。
「京美さんがボクと会うのに目的があって、一番リスクが高いのは首輪を奪られることでさ、どうしたらそれを防げるかだけど……」
「え? 京美さんが本当に虹都の首輪を奪ろうとしてるの? どうして?」
「いや、あくまで可能性の話だけだから……そう、万が一のことがあったら大声をあげるから、そのときは、養護教室に入ってきてくれないかな」
「え、でも僕じゃ頼りにならない……よね?」
「そんなことはないよ。誰かが見てるとなれば、京美さんもそんなに無茶はしてこないだろうし」
灰音は何も出来ないと謙遜しながらも、イザというときのために廊下で待機してくれることになった。
まぁ、九割九分、京美さんがボクを倒しに来ることは無いとは思うんだけど……
四人で情報教室の前まで来たとき、あおいが言う。
「虹都クン、今日の段取りはどうなってるのよ?」
「段取りってほどでもないけど、これからボクが京美さんに会いに行く、その間、灰音が養護教室の前で万が一に備えて待機。それだけだよ」
「……それで、無事戻って来られるの? その後、アタシたちの『スマートモニタリングウォーカー』が万全の体制で京美の端末に干渉する予定だから、京美との話がすんだら直ぐにアタシに連絡してよ、絶対だからね」
あおいの指先と視線が斜め下四十度からボクを照射するようにグリグリと迫ってくる。
真剣に心配されてるのかなぁ、これって……
「あ、ああ。約束するよ」
「あおいさん、任せておいてよ。虹都が忘れてたら、僕が連絡するから」
「うん、灰音君。とっても頼りにしてるわよ!」
灰音には、とても優しく接しているところを見るとボクの立ち位置がよく分かる。
とりあえず、今日のところは京美さんの真意を確かめつつ、首輪を守りながら無事やり過ごすことに重きを置こう。
あおいたちを情報教室の前まで見送って、ボクと灰音は養護教室に急ぐ。
今日は京美さんに会いに行くという大義名分があるので、目標を偽装する必要がない。
さっそく、養護教室前の廊下まで来ると灰音が言う。
「そ、それじゃあ、僕はここで見てるから……何かあったら絶対に大声で呼んでね」
震えるような唇でそんなこと言われると、ただでさえ高鳴っている心臓の鼓動が、絶叫を超えて途絶しそうじゃないですか。
「あと、虹都は気付いてないようだけど、あおいさんも本当に心配しているみたいだし」
え? そんなはずはないでしょう、そう思って灰音に言う。
「いや、さっきも聞いてて分かってると思うけど、あおいは自分の作戦重視だから、さっさと戻って来いって言ってるだけだよ」
「うん、それもそうだけど……、あおいさんってとっても不器用なんだと思うんだ。よく考えてみると、あおいさんって結局、虹都のことしか見てないんだなぁって思う。昨日も、窓の外を見て僕の話を聞いてなかったのかなって思ったんだけど、今、考えてみると、ちょうどそのとき窓の外で虹都と京美さんが対決していたんだって思ったら、なんだか納得できちゃって」
思い当たるフシはないでもないが、とりあえず、否定しておこう。
そのほうがボク的には、納得できる部分が多い。
「……でも、それも、あおい派の頭数が減ったら困るってだけだよ。多分」
「虹都、そんなにあおいさんって冷たい人じゃないと思うけどなぁ……」
「ありがとう、灰音。どっちみち、無事帰ってこないと、あおいに怒られそうな気がしてきた。それじゃあ、行ってくるよ」
「そうだよ、それじゃあ」
灰音が心配そうに、左手を小さく左右に振ってくれているのを、とても愛おしく感じながら、ボクは養護教室の扉を開いた。
「失礼します」
養護教室の奥のほうから京美さんの声がする。
「ちょっと待って……扉を閉めて、そこにいてもらえるかな」
京美さんの口ぶりと、養護教室の入り口と中央に置かれたパーティションの奥からする衣擦れの音から着替えの途中と見て間違いない。
とんでもないときに、着替えをなさっていらっしゃる。
な、何かの罠なんですか。
ハニートラップって思春期男子には入れ食いだと思いますよ。はい。
ボクは慌てて扉を閉めて、することも無いので、制服のネクタイを整えてブレザーのボタンを確認する。
「いいわよ、もう入って」
ボクは情報端末で作り上げられた秘密基地を左に見ながら、パーティションの奥に足を踏み入れる。
「失礼しま、うっ……コスプレ?」
ボクは、京美さんの制服ブレザー姿を見て絶句してしまった。
そりゃぁそうだろう。交戦監視員が学校の制服を着て、ご丁寧に模造の首輪まで装着しているんだから。
ロリ顔、巨乳の京美さんの長所を見事なまでに活かしたコスプレとでも言おうか、まず、校内の巨乳信仰者とロリ顔好きの心を鷲掴みに掴んで離さないのは容易に想像できる。
特に、サイズの合わないブラウスに窮屈そうに押し込まれた胸の膨らみが、活路を求めてブラウスのボタンを弾けさせようとしている点は、何とも形容し難く、思春期男子のドストライクにハマっている。
「どうかな? まずまず、といったところだろう。虹都君」
「京美さん、いったいどうして本校の制服を着ているんですか?」
「決まってるじゃない。君と出かけるために合わせたんだから」
「出かけるとおっしゃいますと?」
「コーヒーを御馳走すると昨日言ったでしょう。そして君はうけた。だから、少しでも安全に付き合ってもらうために、この格好が必要になるのよ」
「どうして、そうなるんですかっ。訳がわかりませんっ」
「これなら、外を出歩いて交戦当事者に遭遇しても、私のダミーの首輪を差し出せば、一時的に君を逃がすことができるでしょう。それじゃあ、行こう」
え、外を出歩くの? これから?
想定外の出来事で頭が混乱する中、ボクは京美さんに手を握られて、養護教室の奥側裏手に設けられた養護教室用の裏口から連れだされる。
「いったい、どこに行くんですか?」
「インスタントコーヒーは無粋だからね。私は通り向こうの喫茶店が気に入ってるの。あと、建物二階の雰囲気もいいから、黙ってついて来てみなさいって」
ギュッと握られたボクの右腕が京美さんの下乳と腕と腹部の幸福の横四方固めから解放されたときには、ボクはもう校門を抜けて階段を登り切っていた。
通りはガランとしていて金曜日の午後の活気はどこにもない。
「虹都くん、見てみなさいよ。交戦中っていうのに、誰一人、外に出ていないでしょう。意外と交戦突入最初の週は、こんなものなのよ」
「へぇ」
ボクは驚きながら校舎の外で思いっきり深呼吸をして、通りを眺めて平和な光景を満喫する。
「それじゃあ、三百メートルほどだけど冒険してみましょう」
それでもボクは、いつ狩られるのか、おっかなびっくりで京美さんの後をついていく。
しばらくすると、大通りを渡った角にある喫茶店が目に入る。店の名前は「ルイス&キャロル」と書かれている。
二階建ての小ぢんまりとした佇まいだ。
「さて、ここのコーヒーは一級品よ。御馳走してあげるから、遠慮なく入りなさい」
その言葉に促されるようにボクは店に入り、店員の誘導に従って二階に上がる。
二階は屋根裏部屋のような作りで、ちょっとした隠れ家のようだ。
二つの天窓と北窓の磨りガラスが柔らかい日差しを取り込んでいて、北欧の豪邸のロフトのような感じがする。
「ご注文はお決まりでしょうか」
ウェイトレスに訊かれて、カフェオレでも注文しようとした矢先に、京美さんが言う。
「虹都君、ここのウィンナーコーヒーは、なかなか絶品なのよ。しかも、本場のアインシュペナーを提供してくれるの。試してみない?」
ウィンナーコーヒーって、あのコーヒーフロートのホイップクリーム版だよね、と思いつつ、ブラックでなければ良いボクは首肯いて、注文を合わせる。
「ウィンナーコーヒー、二つでお願いね」
ウェイトレスが階下に下がって、二人きりになると少しずつ緊張感が増してくる。
京美さんは、唐突にボクに質問を投げかける。
「虹都君、今日で交戦三日目だけど、どうなの闘う準備の方は?」
「まだ、情報を集めてるだけです」
「ふうん、何の情報を集めてるの?」
「……交戦に関する情報です。一般的な」
「……だぁかぁらぁ、私の情報を集めてる目的は何なの?」
京美さんは気付いてたの? 交戦監視に熱中して全然見てないと思ってたのに……
ボクはどう答えていいか分からず、目の座った京美さんを前に固まってしまう。
「うーん、別にお姉さん、怒ったりしないから正直に言いなさい。私だって、ただの交戦監視員なんだから、君の思想信条の自由を侵してまで首輪を取り上げる権限もその心算もないんだから」
何となく見透かされているようなモノの言われ方をされると、さすがに隠したり演技したりしているのが馬鹿らしくなってくる。
「今日、ボクたちの同い年の子が自殺をしました。首輪争奪戦の敗者だったそうです……もし、社会保障権争奪戦なんてものが無ければ、少なくともその子は死なずに済んだはずです。ボクはこの間違った首輪争奪戦を止めさせたいと思ってます」
ボクは一気に喋ってから後悔した。そう言えば、この首輪には盗聴機能が付いていて、今も動いているはずだ。
もし、首輪争奪戦を止めることができたとして、今の音声データが決定的な証拠になったらどうしよう。
そんな詰まらないことを考えていたとき、京美さんからさらに問い詰められる。
「うん、それで、この三日間で君はどれだけ情報を集められたのかな? 交戦を止める方法にたどり着けそうなの?」
「どうして、そんなことを聞くんですか?」
「何度も言ってるじゃない。私は君に期待しているのっ」
京美さんの笑顔にボクはドキリとしたが、何を期待されているのかがわからない現状がとても怖くて、また固まりそうになる。
階段の下のほうから足音がして、さっきのウェイトレスさんが透明のグラスに立派に盛られたウィンナーコーヒーをコトリ、コトリと置いて、ごゆっくりと云うようなことを言って去っていった。
「どう? アインシュペナー。ウィンナーコーヒーって素敵でしょう」
京美さんは、さらにテンションが上がっているようだ。
真っ黒なコーヒーの上に、このボリュームの生クリームが載っていると、確かにボクでもワクワクしてしまう。
「ここのウィンナーコーヒーはね、綺麗にコーヒーとクリームが分かれて出てくるの。本当はゆっくり溶かしながらコーヒーを飲むんだけど、クリームが美味しいから先に少し食べちゃってもいいわよ」
京美さんは上手い具合にスプーンでコーヒーの通り道を作って、底に溜まったザラメを突きながら、早速、ウィンナーコーヒーを愉しんでいる。
ボクはブラックコーヒーが苦手なので、グラスの上に出たクリームを少し掬って食べると、残りのクリームをあら方溶かしてしまう。
「あらら、勿体無い。白黒はっきり分かれてるのがイヤなの? でも、首輪争奪戦は白黒はっきりするまで続くわよ」
「続かないようにする」
「どうやって?」
「……」
「止めることが出来ないなら、さっさと首輪を誰かから奪って勝たなきゃダメよ。今日、目処がつかないものは、明日になっても目処がつくことはないわ。早々に方針転換したほうが部隊のみんなのためよ」
「……でも」
「デモも、ストも、サボタージュも無しよ。成果のない情報収集なんて、時間の無駄ね」
「そんな、闘う理由がないのに誰かを不幸にするのは間違ってます」
ボクは精一杯の反論をする。だけど、情報収集に成果が見いだせないのは否定出来ない。
防戦一方だったボクは会話が途切れた間隙を突いて、京美さんに一番訊きたかった質問をする。
「どうして、京美さんは交戦監視員なんてやってるんですか? お父さんが警察庁の長官だからですか?」
「どうしてかしらね。私のほうが知りたいわね」
「三年前の鷹飼事件のときの被害者って京美さんですよね。どうして非道い目に合わされたのに、こんな首輪争奪戦に関わろうとしているんですか?」
「非道い目かぁ、そんな話もあったわね。私は私で理由があって交戦監視員やってるんだけど、一番の理由は父の推薦ね。おかげで交戦監視機構に入って半年で交戦監視員に登用されて、いろいろやらされたわ。ところで、もう一度聞くわ。君はどうして私を調べようとしているの?」
さっき、ボクが固まった質問だけど、今なら、訊かれても答えられる。
「それは、交戦を止めるためには交戦監視員を止めればいい、そう思ったからです……社会保障権争奪戦のシステムの中で、ルールや使用されてる道具には隙がなさそうなので、システム運用の中で一番権限を持たされている交戦監視員を止められればと思っただけです」
ボクの話に聞き入っていたと思った京美さんは、ボクの視線を感じると繕ったように意地悪に言う。
「私を止めても代わりはゴマンといるわよ。そもそも、交戦監視員なんてタブレット一つ持たされて、現地で交戦情報をチマチマ入力するだけの本当にツマンナイ報告者に過ぎないのよ。そんなもの止めても交戦システムは止まらないわよ」
「それじゃぁ、どうして京美さんはツマンナイ交戦監視員になっているんですか? お父さんの強い推薦でも嫌なら断れたんじゃないんですか?」
「うーん、どうして君は、私にこだわるのかなぁ」
京美さんは困ったように呟いて、ようやく琥珀色になりかけたコーヒーを口に運ぶ。
「京美さんは変です。交戦監視員なのに、率先して陵日中の生徒を倒すなんて普通じゃありません」
京美さんは一切、動じることなくグラスについた口紅を気にとめながら、コーヒータイムを愉しんでいる。
「京美さんは変です。端末で全国の交戦情報を集めるなんて正気の沙汰じゃありません」
京美さんは微笑って答える。
「それは仕方がないわ。交戦監視員としての正当な権限行使だもの」
「……でも、交戦情報を使って賭博をするのは正当な権限じゃありませんよね」
「少し黙りなさいっ」
ぎろっと京美さんの大きな目で睨みつけられて、おもわず、ビクリとする。
京美さんの手がボクの首輪に伸びてくる。
(ヤバい、奪られる)
そう思って、声にならない悲鳴を上げる。
ボクの首筋に温い汗が流れていくのを、不思議なくらい冷静にボクは感じていた。