第二章 第4話 中押冴朱の秘密、京美深姫の本当の目的 (DAY 2)
中押冴朱への不信感が隠せないするあおい、千茶、灰音、そして主人公。
そんな中で開かれる作戦会議。会議は踊るまま、解散を迎える。
その後、冴朱の真意を確かめる主人公はさらに交戦監視員の深い闇を知らされます。
「虹都、どうしたの? ねぇ?」
京美さんのいなくなった廊下で立ち尽くしていたボクを、気の毒そうに心配してくれるのは灰音だ。
「い、いや、何でもない。昇降口がラッシュになる前に早く出よう」
早々に昇降口を出たボクは、やや意気消沈気味の灰音に訊く。
「元気ないようだけど、情報教室のほうは、どうだった?」
「やっぱり、僕、あおいさんが怖いよ」
「な、何がどうしたんだよ、灰音」
「……さっき、情報教室のほうに行ったとき、千茶さんがネットワーク管理ソフトっていうのを使って忙しそうにしてて、僕から声をかけづらかったんだ。だから、離れたところにいたあおいさんに話しかけたんだけど、ずっと窓の外を見て、全然、相手にしてもらえなくて」
「……彼の国の諺なんだけどさ、銃に撃たれる覚悟がないなら、銃に触れてはならない、っていうのがある。元々、あおいは、自分の知らないところで物事が決まったり、自分が重要なことに絡んだりしてないと機嫌が悪いんだ。灰音は悪くない、タイミングが悪かったんだよ」
「え? 銃に撃たれる覚悟とかはないけど、あおいさんって銃みたいに危険なの?」
「間違いなく、あおいは、不機嫌になると拳銃より危険な存在だよ。おそらく、今回も千茶が先走って何でもやってしまうから置いてけぼり食わされたんだろう……そこに灰音が来たから、慌てて格好をつけて考え事をしているフリをした、ってところじゃないかな」
「そ、そうかな?」
「大体、さっきの粗暴なメールもそうだけど……」
西條あおいについて灰音に講義を始めようとしたところに後ろから声が掛かる。
「あら、こーちゃん、今日は早いじゃない」
話の俎上に上がっていた当人の登場で、話には、即ピリオドが打たれる。
「ま、まぁさすがに二日目だから学習するさ」
「……ふうん」
あおいは千茶の陰からこちらを窺いながら、なにか言いたげな素振りでいたが、喫茶店「フレッサー」の前まで来ると、扉を開いて中へ入るように促す。
レディーファーストと言うことでもないのだが、千茶が先に入りボクと灰音が後に続く。
いつもの定位置の奥の四人席に着くと、千茶が一番奥に鎮座し、手前にボク、灰音が座る。
最後にあおいが紅茶を五つ持ってきて、空いている奥席に収まる。
「さぁて、それじゃあ作戦会議を始めようかしらっ」
西條あおいは既に作戦会議を進める気満々でいたようだが、灰音が穏当なサジェストを入れる。
「あのさ、あおいさん。冴朱さんがまだみたいなんだけど」
「灰音君、どうしよう。アタシたち、待ったほうがいいのかしら? 学校では、無視すればいいなんてことを聞いたような気がするんだけど」
あおいは昨日からのボクへの原因不明の怒りが収まらないせいか、少し、口ぶりが優しくない。
しかし、外を見ると中押さんが歩いてきており、これ以上、時間稼ぎをする必要はなさそうだ。
「あ、冴朱さんが来たよ。椅子を出してくるね」
勝手知ったるとばかりに、灰音が店の奥からカウンターチェアを引っ張ってきてテーブル前に置き、そこに座る。
当然、ボクの隣が空席になるので、中押さんがそこに座るはずなのだが、これを何故か面白く思わない人間がいる。
そう、西條あおいだ。
「灰音君、どうしてあなたがカウンターチェアに座るのよ。最後に来た人がそこに座るべきじゃないの?」
ううん、究極にどうでもいい。
灰音もさらっとあおいに答えて、返す刀で中押さんを迎え入れる。
「このカウンターチェア、脚をかけるところがないから、女の子は大変だよ。あ、中押さん。こっち、こっちだよ」
中押さんは、灰音に会釈をしてあおいに謝罪の言葉を掛ける。
「ごめんなさい、私、遅くなっちゃって」
「気にしないで、冴朱。もう少し遅くても良かったくらいよ」
あおいが不穏な空気を醸し出しているせいで、折角の紅茶の香りが三割程度ひかえめになっている気がする。
「こんにちは、『虹都君』。千茶さん。失礼するわね」
さらっと言った中押さんの一言で、あおいの感情がざらりと逆撫でられたようだ。
顔を下に向けて、静かに粗暴モードで再起動するのが感じられる。
「……」
おい、あおいっ。お前が黙ると誰がこの会議をしきるんだよ。
「……こーちゃんっ」
あおいの声が震えている。
「は、はいっ」
ボクは蛇に睨まれた蛙、いや、蛙に睨まれた蛞蝓のように身体の自由を奪われる。
あおい殿、何をそんなにお怒りなんでしょうか。
頭を振って上げた、あおいの顔は、絵に描いたような作り笑顔だ。引きつってさえいる。
「さ、さっさと、今日の報告を、して」
「あぁ、それじゃあ早速だけど、京美さんに……明日、コーヒーに誘われました」
「なによ、ソレ、またモテ期でも来たの? 年中発情してられるなんて、おめでたいわねぇ」
「違ぇーよ、あおい。ボクが言ったじゃなくて、京美さんからのお誘いだよ」
「なによっ、京美にまでモテたって言いたいのっ、こーちゃん、あなたの敵でしょ? そう言うからこっちも探り入れてるのに……ってなんで、京美にまで誑しこまれてるのよっ、どう言うこと?」
なんだか、作戦会議とは名ばかりの、あおいの、あおいによる、あおいのための鬱憤晴らしの席となっている観が否めない。
ボクは怒りの矛先をかわすべく、説明を尽くす。
「いや、ボクも全くわからないんだよ。お前からメールもらった直後、いきなり、京美さんが教室から出てきて、お説教されたんだ。『観察も大事だけど見極めができたら踏み込んで闘え』って。そして、今日は時間がないから明日にでもコーヒーをご馳走するって言われてさ。なんなのかサッパリ分からない」
「……馬っ鹿ねー。ムダに情報収集なんてするより、闘ったほうが早いってことじゃない。それでもこーちゃんが改心しないから、京美サンが明日は養護教室でじっくり説教してくれるんじゃないの〜。良かったじゃない」
あおいに全力でバカ呼ばわりされた上、京美さん善人説を展開されると、もう『能書き垂れてないで職員室に早く行けよ落ちこぼれ』って感じが半端無く漂うんですけど。
「でも、ボクにだけ言うのはおかしくない? 他にもまだ闘ってない人はたくさんいるよね」
「アタシには都合がいいから、お説教の順番なんて細かいことはどうでもいいわ」
あおいが何故、自棄なのか分からないが、発言が暴走気味だ。
そこに、隣で中押さんが呟くように言う。
「私は反対だわ。京美深姫が何を考えてるか分からないもの。あの養護教室の中に隔離された瞬間に、虹都君が倒されるかもしれないじゃない。そうすると虹都君、負けちゃうかもしれないわよ」
中押さんのボクを心配する言葉に、あおいの引き攣った笑顔が、限界まで強張っており、崩壊寸前のように見える。
「ふ、ふん、仲の良いことだわ……そうね、冴朱の言うことも尤もね。首輪争奪戦はもともと、攻撃は部隊で協力、守備は個人で責任をもつ仕組みよ。今回は守備の問題だから、虹都クンの判断に任せましょう。それで、いいわよね」
あおいは、なおも嫌味を引きずりながら粗暴に語っている。
どうして中押さんに合わせて『虹都君』って呼ぶのかも、ボクには分からない。いつもは『こーちゃん』のクセに、とボクは心の中で少し反発する。
そうした空気を読んでか知らずか灰音が言う。
「え? 首輪を守るのってみんなで協力は出来ないの?」
「ええ、みんなで守る意味がないの。敵は一本でも首輪を奪れば勝ちだからね。みんなでいれば、弱い順、いや、運の悪い順に狩られるわよ」
「でも、一人よりみんなでいたほうが安心じゃない……かな?」
灰音が少し弱気になったところを、意気揚々と腐臭をあげて千茶が襲う。
「ぐふふふ、灰音君。それなら私が一緒にいてあげてもいいわよ。友だちだし」
「え、本当? 千茶さん! やっぱり一人より二人だよね。よかった」
にっこり微笑む灰音に、武闘派の千茶は容赦がない。
「私、灰音君の首輪が取られたら必ず仇を取ってあげるから」
「あ、僕も千茶さんが首輪取られたら、絶対に取り返してみせるからね」
「ぐふっ、灰音君ったら純真なんだからー。冗談よ、冗談。灰音君の首輪を奪った敵はね、もう私を襲ってこないの……だって、もう襲う理由がないから」
腐臭と汗が控えめな今日の千茶は、となりのあおいに中てられたのか、少し言葉に毒が入っていて怖い。
「あ、そうか。敵は勝ったんだもんね。へぇ、すごいね、千茶さん」
「ぐふっ、でもね、灰音君。ルール上は交戦監視員がチェックするまで、彼らは勝者じゃないの。まだ交戦当事者なのよ。だから、その子の首輪を取っても私の部隊の残りのメンバーは勝ちになるわ」
「あ、本当だ」
感心してる場合じゃないでしょう灰音。
ひょっとして、最初に灰音が首輪を奪られた事になってる設定を忘れてはいませんか?
「……アタシもそれが一番あり得るパターンじゃないかと思うわ。勝ったと思って油断してる隙にその相手から首輪を取るの。相手はもう攻めても意味が無いから逃げるしかないわ。そこを後ろから延髄斬りでも食らわしたらどうかしら。アタシ、向かってくる敵とは五分だけど、逃げるしかない敵には九割九分、追い詰めて勝つ自信があるわ」
もはや、あおいによる情け容赦ない殺戮劇でしかありませんよ、コレ。
ボクは会話を止めた方がはやいのか、放ってやり過ごすべきなのか、瞑して語らずにいると、あおいの方から話しかけてきた。
「それで、虹都クンはどうするのよ、京美深姫のお誘いを」
あおいが、いたずらな瞳でボクを挑発しているが、ボクの答えは決まっている。
「行ってみるよ、このまま眺めているだけじゃ、確かに埒があかないかもしれないし、当面の敵である京美さんとサシで話せるのは、何かの情報を得られるまたとないチャンスだからね」
このボクの答えに、明らかに狼狽しているのは中押さんだ。
確かに中押さんとは、京美さんの正体が明らかになるまでは気をつけようということになっていた。
「大丈夫さ、京美さんがボクを陥れようと思っていたなら……」
ボクは思う。今日のボクは灰音がいなくなってから隙だらけだった。たとえるなら、甘いフレンチトーストのようなものだ。
そんなハードボイルドに徹しきれないボクが、京美さんとは対峙できるのか、多少の疑問はあったが、廊下で京美さんと話した感じではボクに悪い印象を持っているとは思えなかった。
「……幾らでもチャンスはあったからね」
ボクは中押さんに言ったつもりだったが、あおいのほうがまじまじと反応する。
「そうね、もし京美が敵なら、あんな体勢じゃ、首輪が幾つあっても足りないわ……」
そう、不機嫌そうに窓の外を見ながら、あおいが呟いたのがボクには聞こえた。
見てたのか? あおい。
それを訊こうとした途端、話は次へと向かっていた。
「さて、それじゃあ、次は冴朱の番ね」
あおいが次に指名したのは、冴朱だった。
「私からは、特に何もないわ。愉快なことでも言えれば良いのだけれど」
「あ……あわぁぅぅ……」
血気にはやる千茶の口を抑えて、あおいが代わりに穏やかに訊く。
「冴朱、愉快でも、そうでなくても何でもイイから聴かせてもらえないかしら」
「ええ、いいけど、今日は首輪に動きはなかったし、しいて言えば部隊編成のことぐらいかしら……」
そう言って、冴朱は、昨日ボクに話してくれた首輪をあと一つ失うと、部隊編成を変えなければならないことを話す。
「なるほど、ホントにどうでもイイ話ね」
その話をしろと言ったのは、あおい、お前じゃないのか?
とさりげなくツッコミを入れようとするが、あおいと中押さんの間には、何か対立する火花のようなものが散っていて、口を挟むと、もれなく感電しそうで怖い。
ピリピリと、と言うより、ビリビリとした剣呑な空気の中、あおいが言葉を発する。
「それじゃあ、最後にアタシたちから報告よ」
あおいの目が爛々と輝いていて、早々に退散したいほどだが、隣に中押さんがいるのでそれも叶わない。あおいの声は一層張りを持って響く。
「聞いて驚きなさい。アタシたちは今日、ネットワークセキュリティに管理者権限でスマートモニタリングウォーカーをしていたわ」
(?!)
あおい、すまないが、まったく理解が出来ない。
灰音に至っては、両眼の焦点が合わず、椅子から半分ずり落ちそうになっている。
「……千茶、アタシたちがネットワーク管理者の権限を先生から借りて何をしたのか、分かりやすく言ってあげて」
まるっと説明役を投げられた千茶が意外と健闘する。
このあたり、千茶の女子剣道部主将の片鱗を見る思いだ。
「今日、校内ネットワークに接続してる情報端末を監視ソフトウェアを走らせてチェックしていたの。そのソフトの名前が『スマートモニタリングウォーカー』って言って、それを扱うためにはネットワーク管理者権限が必要なのね。それをあおいが交渉して情報主任の先生から借り受けてくれたの」
千茶、すごいよ、なんとなく分かる。日本語バンザイだ。
「京美深姫の持っている端末の量からして、校内ネットワークを使用していると思ったの。そうしたら、思ってたとおり挙動不審なポリシー違反端末が稼働してたから、警告を出したわ。でも京美は、警告を無視したのよ」
憮然として千茶は話を続ける。
「だから、強制的にポリシー適用プログラムを送って端末を乗っ取ろうとしたら、ポリシー適用しても向こうの端末が言うことを聞かないの。そういう訳で、最後の手段、荒っぽいんだけど、端末の情報接続をカットしたわ」
そこに、何くわぬ顔であおいが割り込んで来て説明を加える。
「これって重要だから、虹都クンにはちゃんとメールで連絡したでしょ、端末に干渉するって」
「いや、あれ一分前だし、注意しろって分かんないしさ。結局、京美さんの端末は一瞬、止まったように見えたけど、動いたまんまだったよね」
「そうなのよ、でもそれだけじゃないの、他の端末の状況を見たら別の端末IDがズラリと並んでて何が何だかわからなくなったわ。あれだけエントリーを展開できるってどんな端末なのよ、異常だわ」
その前に、どうして、いきなり情報接続のカットとかいう物騒なことになったのか、分からなかったのでボクは千茶に訊く。
「それで北雲さん。その情報接続をカットして何をどうしようとしたの?」
「東大路君、ネットワーク管理者の管理者権限で出来る一番強いことが情報接続のカットなの。でもできなかった……それが通用しないってことは、『スマートモニタリングウォーカー』って監視ソフトのセキュリティホールが敵に掴まれているってこと。だから、明日は『スマートモニタリングウォーカー』の最新版にアップデートしてあの端末を抑えこんでやるわ」
灰音が、千茶の並々ならぬ闘志に思わず声を上げる。
「千茶さんはどうしたいの? 京美さんを困らせて見たいとか、かな?」
「違うわ」
代わりにこたえたのは、あおいだった。
「端末を監視ソフトの支配下におくことができれば、端末の画面情報や接続情報をいろいろ見ることが出来るの。これで、京美深姫の収集してる全国の交戦情報が入手できるわ。交戦情報を分析できたら、来週からの闘いに備えられるでしょう」
なるほど、ぼくはそう思ったのと同時に、心の中で冥々と一つの考えが沸き起こる。
「北雲さん、監視ソフトで端末を支配するって、どんな感じ?」
「それはね……そうね、たとえば、開場前のコミケ会場でめぼしいサークルの本を再優先に買える感覚とか、たとえば、美少年しかいない学校の校則を意のままに操れる感覚ってとこかしら、ぶふふふ」
おい、千茶、そんな個別主観的な情報なんて欲しくないよ。
「じゃなくて、具体的にどういうふうに向こうの端末を動かせるのかってとこなんだけど……」
「うーんと、『スマートモニタリングウォーカー』だと、リモート操作もできるから、ほとんどの端末操作ができると思うわよ」
「てことは、端末を交戦監視委員会のサーバにつないで交戦データの全消去するとかもできるの?」
「多分無理じゃないかな。交戦監視員の端末一つで全データが飛ぶようなシステム運用にはしてないと思うわ。ま、明日つないでみないと分かんないけど……」
「それは、京美さんが気付かないうちに出来ることかな?」
「いや、タブレットだと処理が中断しちゃうから、目の前でグリグリ動かすわけには行かないわ。だから、あおいの言ったタブレットに流れる画面を片っ端から取り込むのが精一杯かな。でも、時間があったら試せることはやってみるわね」
なんだか、今日は北雲千茶がいやに頼もしく見える。
千茶のキーボード操作を見た時に、その非凡さは感じたものの、ネットワーク情報システムにも通じているとは、改めて文武両道、いや、文武腐鼎立まで認めざるをえない。
「うん、時間があったら頼む、北雲さん」
「ぐふっ、いいわよ、虹都クン」
何故か、語尾の持ち上げ方まで、あおいに似ているように聞こえるのは気のせいだろうか。
「それと、いい加減、私のことは千茶でいいわよ。あおいと喋ってるときに、会話の中でだけ、私の名前がでるのも気持ちいいものじゃないしさ」
「あ、ありがとう……千茶」
作戦会議は終わり、家路につく。
今日も勉強会はないらしい。
その理由がぎこちない人間関係によるものなのか、錯綜する情報が不信感を生んでいるせいなのか、はたまた、まだ授業が本格的に始まっていないからと言うべきなのか。
言葉には出さないまま、四人があおいに見送られるべく、喫茶店の表の道に出る。
方向的には三人が駅方面で、ボクが橋向こうなのであおいの家の前で別れるのが正しいのだが、なぜか中押さんがボクの横に立っている。
「中押さん、家、駅のほうだったわよね」
「そうなんだけど、今日は私、こっちに用事があるの」
中押さんとご一緒できるのは感激の極みなんですが、物事にはTPOというものが有りまして、目の前にいるあおいの邪気をどうにか祓って頂きたいのですよ、ボク的には。
「冴朱は、こーちゃんに何か用なの?」
「……虹都君に用事はないわ。虹都君が、私に用があるっていうのなら別だけど」
「こーちゃんは、冴朱に何か用があるわけっ?」
「いや、ボクは特に……」
「あおい、取り調べが済んだんだったら、私たち、帰っていいかしら」
「取り調べって、そんなんじゃっ……そんなつもりは」
「それじゃあ、失礼するわね」
中押さんがボクの手を引いて強引に夕暮れの少し肌寒い住宅街をスタスタと歩き始める。
僕はそれにつられてズカズカと進む。
しばらくして、後ろのほうから昨日とはまた違った壮絶な音がする。
それは、もはや、ドアを閉めるとか言うような生活音ではなく、板で柱をぶっ叩くようなそういう音だ。
大丈夫か、あおい……
それにかまうことなく、歩を進める中押さんは少し表情がさえない。
そして、うつむき加減でボクに言う。
「虹都君……今日という今日は、私、交戦監視員が許せなくなったわ」
「えっ、京美さんのこと?」
「……京美深姫も、向こうの交戦監視員の鴨志田とか言うのも、みんなよ」
「今日、何かあったの?」
「今日は陵日中の五限が体育だったの。交戦監視員の鴨志田が着替えの終わった教室に入ったきり出てこないから、こっちも昼休みが終わりそうだったけど気になって、無線機の電源を入れたの。そうしたら、鴨志田と多分、相手は声の質から京美だと思うんだけど鴨志田が終始、頼み事をしているような感じの話しぶりだった」
「どうして、その鴨志田さんが京美さんと? 何かあったの?」
「大アリだったわ。鴨志田が言うには『初日に常山の十六番Cが陵日の三番Aを倒したのは認めるけど手元に金がない、次の給料日まで待ってくれ』って話だったの。それと『まさかA級がC級にやられるなんて思わなかった』とか『いきなり九倍目はツイてない』とも言ってたわ。これって、争奪戦を対象に交戦監視員が賭け事をしてるってことじゃない?」
「常山の十六番Cが……陵日の三番Aを倒した? それって郡司君の第十六部隊がC級の戦力で、京美さんが倒したのが陵日の第三部隊、そしてA級の戦力だったってこと……なのかな?」
「そうね、多分、推測でしかないけどC級が上位のA級を倒すとオッズが九倍になるんだと思う。オッズを決めてる胴元が誰で、どの程度の掛け金が動いてるのかは分からないけど、非道いじゃない……それも、自分の校区の生徒がてば、交戦監視員にお金が入るなんて、そんなのおかしいわよ」
「京美さんが、危険をおかしてまで生徒を倒したのは、そういうことだったのか。本当だとしたらA級って評価されてる部隊は、圧倒的に不利になるじゃないか……しかも金のため? 許されるはずないよ、中押さん。それって証拠はないのかな、そう、無線機に録音とかは残ってないの」
「……そう、証拠よね、証拠……証拠は無いわ。これから、無線機を録音するようにする……けど、何かほかに物証はないかしら。オッズ表とか、校区の部隊別の戦力評価とか」
「そういう肝心なファイルは、胴元が管理してるんじゃないかな。でも、情況証拠と確たる物証があれば、警察も動いてくれるんじゃないかな」
「そうよね、そうなってくれれば、少なくともこの醜い争奪戦から不正だけは消し去ることが出来るわ。ねぇ、虹都君。これって事情を話して部隊みんなに協力してもらうって訳にはいかないかしら」
交戦監視員が、首輪争奪戦を対象に賭博行為に手を染めているって、それだけで一大スキャンダルになるよね、とボクは思っていた。
でも、そのことを今の部隊、あおい派に、証拠もなく中押さんが話しても信じてもらえないだろう。
とくに、武闘派二人は全く耳をかそうとしないに違いない。
ボクは『さるルート』とやらについて、思い切って訊いてみることにした。
「中押さん、そのさ、疑ってるわけじゃないんだけど、あの……盗聴機とかを仕掛けたり、鴨志田さんって男の写真を入手したりって、誰にお願いしてるの?」
「ああ、それねぇ、千茶さんにも訊かれたんだけど、やっぱり言わなきゃダメ?」
中押さんが困ったようにボクを見ている。
「うん、京美さんが陵日中の生徒を倒したっていう話も含めて部隊みんなが信じられるかどうか、全ては『さるルート』の信ぴょう性にかかってると思うんだ」
「信用されていないなんて、やだなぁ。それでみんなの雰囲気がおかしいのね……でも、私もイヤなんだ。陵日中に付き合ってる人がいるなんて知られるの……あ、虹都君、これ、絶対ナイショよ、あおいにも言わないでね」
「ナイショって、それじゃあ、信じてもらえないし、協力もしてもらえないよ」
「分かってるわ。だから、必ず今日、聞いたことみたいな決定的なことを証拠として見せてあげる。虹都君は、そのときまで、今日聞いた内容も、何もかも、誰にも喋らないって約束してくれる?」
ボクは、明らかに動揺していたのだと思う。
どうにか答えられたのが二言だけだったのは情けない限りだ。
「分かった。約束するよ」
「うん、虹都君って、やっぱり頼りになるわ。ありがとう。私、明日から証拠集め、頑張るからね」
「うん、それじゃあ」
そう言って別れると、中押さんは別の道から駅の方へ歩いてゆく。
交戦監視員の賭博疑惑よりも、中押さんに彼氏さんがいることのほうが気になるボクは、まだまだ、ハードボイルドじゃない。
中押さんの彼氏さんって男だよね。どんな人だろう? いつから付き合ってるのかな?
ひとしきり考えたあと、もう一度、交戦監視員が賭博行為をしているとして、京美さんの行動を検証してみる。
まず、初日。
危険をおかして陵日中の生徒を倒して、郡司君を勝者に仕立て、賭博金を稼ぐ。
その後は、情報収集活動に徹する。
問題は初日の行動だ。
今回はたまたま大穴で九倍というところがクローズアップされているが、襲う相手は九時近くに登校してくる陵日中の生徒で京美さんが選べるわけではない。
それに生徒を襲っている現場を押さえられでもすると、即、逮捕、失職の上、父親の警察庁長官の名に傷がつく。
おそらく、賭博で稼いだのは片手間というか、ラッキーなだけで、京美さんの本当の目的は別にあるんじゃないだろうか。
その日は、夜の風が妙に生温く、ボクは暫く寝付けなかった。