第二章 第3話 敵と味方と交戦監視員と (DAY 2)
中押冴朱は裏切者にしか見えない、と言う西條あおい。
その冴朱は京美深姫には注意しろと主人公に告げる。
そして、ついに主人公は京美深姫につかまってしまうことに。
始業式の翌日から学校では、容赦なく通常授業が始まった。
そして、放課後になると中押さんが三階渡り廊下の方へ、ボクと灰音、あおいと千茶が情報教室の方に向かう。
もしも、運命の分岐点というのがあったのなら、今日の分岐点は、情報教室前の階段の踊り場ということになる。
「こーちゃん、ちょっと来てっ」
粗暴な言葉で呼び止められて、情報教室に入ったボクは後ろで教室の鍵がかけられるとドキリとした。
「あのね、驚かないで聞いて欲しいんだ……灰音君も」
あおいが話をする間、千茶が廊下のほうを見張っている。何か二人の様子がおかしい。
「……じつは、中押冴朱はアタシたちを裏切ってるかも知れないの。昨日、冴朱は保健室にいたって言ってたでしょう」
ボクと灰音は黙って、首肯く。
「でも、今日聞いたら、昨日、保健室に来たのは新入生の男子二人だけだったって、保健の先生はそう言ってたわ。少なくともベッドを使って休んだ人はいないって」
どうしよう、言うべきなのかなあ、ボク。
でも、どうして中押さんが昨日、保健室に行かなかったのかっていう理由を訊かれると答えなくちゃならなくなるよなぁ。
京美さんの延髄斬りが脳裏をよぎる……マズい、と思った刹那、あおいが言葉を紡ぐ。
「それだけじゃないの。まず、最初の登校日に冴朱が言った陵日中の『さるルート』から情報を入手して盗聴機を仕掛けたって、胡散臭い話、あったじゃない。ずいぶん手回しのいい話だと思わなかった? こーちゃん」
「い、いや確かにそうだけど……どうしたんだ、一体」
「大丈夫、天網恢恢疎にして漏らさず、冴朱の吐いた嘘なんて、まるっきりお見通しよ。こーちゃん、『さるルート』って言われて、ああ冴朱の弟か、とか思わなかった? 思ってたら大間違いよ」
「えっ、違うの?」
ボクは意表を突かれた。あおいは名探偵登場とばかりに謎解き芝居を始める。
「コレを見て。千茶が、さる同人ルートから入手した陵日学園中等部の去年のクラス別名簿ファイルよ。全学年、検索しても中押の苗字の生徒はいなかったわ」
おい、何だよ、その『さる同人ルート』って。
男子校中等部の名簿ファイルにも価値が出るもんなんだなぁ、北雲千茶。
「でも、中押さんの弟だったら、去年いなくても今年の新入生って可能性は無いの?」
そう言うと灰音がうつむき加減で、ボクに言う。
「虹都、それはおかしいよ。新入生って入学式に来るのが初登校だから、三月の僕たちの登校日に間に合わないよ」
「……そうでしょう。と言うことは、彼女は今一体、何を盗聴しているのか、まったくをもって謎だわ。仮に『さるルート』があったとして、交戦監視員の情報を流すとか、盗聴機を仕掛けてもらうとか、そんなのありえないでしょう。そんなの体の良い二重スパイだわ。マタハリとか、リヒャルト・ゾルゲとか、スプリンター・セルなのよ」
マタハリからのホップ・ステップ・ジャンプの最後でトンデモナイとこまで飛躍した気がするが、ボクはボクで、一応、中押さんのために訊いておきたいことがあった。
「いや、中押さんの弟って思ってたのはボクたちだけで、従兄弟とか別の関係者だっているんじゃないかな」
「ぐふふふ、東大路君、その点については私がちゃーんと本人に訊いたの、どんなルートがあるのって」
手回しの良いことに、千茶があおいの手先となって、その点は調査済みのようだ。
報告の内容は荒っぽいが、千茶の鼻息はもっと荒っぽい。
「中押冴朱が言うには、陵日中の生徒や先生に親戚とかそんなのは全くいないんだって。私がそうしたら『さるルート』ってなんなのって訊いたら、それは言葉の綾だとか言ってごまかそうとするのよ。ありえないわ。どうせ、今頃、渡り廊下でひとりでサボってるのよ、そうに決まってるんだからっ」
ボクはアタマの中で情報を少し整理して言ってみる。
「そうすると、中押さんに何かの『さるルート』があっても言わないのは怪しいし、仮に『さるルート』がなかったら、それはそれで、なにか嘘を吐く理由があるってことか」
「こーちゃん、一応、頭回ってるじゃない。そうなの、どちらにせよ、彼女は現時刻をもってスパイと認定するわ。問題はアタシたちがどう対処するか、なんだけど、ここで一つ残念なお知らせがあるの」
何故かここで、西條あおいが、粗暴のオーラを燃やしながらボクに向かってくる。
「……こーちゃん、昨日、冴朱と一緒に仲良く帰って行ったわよねぇ。そう言えば、ラブラブって感じ? 何かこう、抱きつかれてませんでした?」
気のせいか、あおいの丁寧な口調とは裏腹に、殺気だった目つきが超怖いです、はい。
「あれは、中押さんが気分が悪いから肩を貸してくれって言うもんだから貸したまでで、そんなラブラブとか……イヤらしいものじゃないよ」
「それじゃぁ、何も無かったって言いたいわけねっ」
「あおいは、何があったって言いたいんだよ」
「昨日の晩ね、たまたま、こーちゃんのママからメールもらってて、虹都は何時頃戻りますかってメールだったんだけど、こっちから六時過ぎに出ましたって送信したら、七時半にご丁寧に帰宅なう、メールが帰ってきたわ。どうしたら、昨日のルートで一時間以上も帰宅に時間がかかるのよ。納得できる説明を聴かせていただこうじゃないっ」
しまった、昨日、ママがなにか言ってたような気がしてたのを、少し思い出しながら、鬼気迫るあおいをどうにか説得できないか、ボクは必死だ。
「あおい、疚しいところは全くない。中押さんに肩を貸したのも二分もなかったし、まっすぐ駅前まで送って行って帰って来ただけでさ」
「……そう、それだけで一時間以上もかからないわよね。それでっ?」
まったく納得できない説明を聴かされたあおいは、粗暴を超えて凶暴な存在に進化しているように見える。
「……ぐう」
とりあえず、ぐうの音も出ないというところは回避した。
「じゃなくて……」
こういう時の言い訳の定番があったはず、そう、ありましたとも。
「考え事をしててさ、ほら、京美さんのことで引っかかることがあったから」
速攻で、胡乱げな、あおいの双眸がこちらに向けられる。
「……嘘でしょ。本当に適当なことばっかり言っちゃってぇ。少しモテ期が来たとか色気づいて考えたりしてたんでしょう。どうせ、冴朱に言い寄られてハイハイ何か変な約束でもしたんじゃないの〜このエロ猿っ。脳みそもないのに考え事してましたって、どこの誰が信じるっていうのよ」
確かにモテ期っぽいカン違いもしたし、ハイハイと口約束もしたし、いろいろと考え事もした。
なるほど、当たらずといえども遠からずだ。
いや結構、あたってるぞ、あおい。
大噴火を起こしたあおいを灰音がなだめてくれている。
「……あおいさん。虹都が何もしてないっていうのって、いわゆる、悪魔の証明だよね。ちょっと冷静になれば何か見えてくるかもしれないし、ここは落ち着いたほうが……」
「灰音君、冷静になったこーちゃんが見つけるものって、言い訳か屁理屈かのどっちかなのよっ、もう時間の無駄だわっ。こーちゃん、このままだとこーちゃんは冴朱派になるってことになるけどいいの?」
「ちょ、ちょっと待て。冴朱派とか何だとか言っても当面の敵は交戦監視委員会だし、百歩譲って交戦することになっても同一校内は交戦禁止だろう。そんなに中押さんが気になるなら無視しておけばいいじゃないか。ボクは、まず京美深姫の正体を見極める。必要なら中押さんの嘘の理由もつきとめる。とりあえず、いまのところはそれでいいんじゃないかな」
「……そんなので、ごまかされないわよ。それで結局、こーちゃんはどっち派なのよ?」
ノータイムで、灰音派と答えたいところだが、回答は二択なのだろう。
「冴朱派じゃない方の……あおい派?」
「なんで最後……一番イイトコが疑問形なのよ」
あおいのジト目がボクをとらえる。そんなにイイトコなの? あおい派って。
「まあいいわ。とりあえず、冴朱については何を言ってきても相手にしないことにしましょう。こーちゃん、分かった?」
「わ、分かった」
なんだか、ボクだけ責められてるような気がするんだけど、他の人たちはどうなのかな?
そもそも千茶はあおいの腹心だからいいとして、灰音はボクと千茶の意見に引っ張られるから、なるほど、ボクが納得した時点で、あおい派の誕生というわけか。
「僕もそうするね、あおいさん」
「ありがとう、灰音君」
なんなんですか、この取り扱いの違いは。
「千茶、それじゃあ、情報収集に移りましょう。こーちゃんも灰音君も頑張ってね」
◇
情報教室を出て三階の渡り廊下の見える所まで来ると、日陰になる新館の近くのところで中押さんが立っているのが見える。三階の渡り廊下には天井がついてないので見通しがきいて、よく目立つ。
おそらく、あそこにいれば襲う側も、目撃者の存在を気にせざるを得ない。彼女なりの防御策なのだろう。
「中押さんが、裏切り者って感じはしないんだけどなぁ」
ポツリとつぶやいた言葉に灰音が反応する。
「僕も、そう思うよ。中押さん、いい人だもん。首輪争奪戦のことも敗者を選ぶのが嫌だって言ってたぐらいだからね。きっと戦友なら、なおさらだよ」
ボクも中押さんのことを信じているけど、灰音ほど無条件じゃない。
でも、京美さんがルールブレイカーなら、交戦監視員という地位も含めて圧倒的な脅威だ。
リスク管理の大原則として、リスクは見た目ではなく、脅威となる潜在的可能性をもって判断するという。
それならば、対応すべき脅威は第一に京美深姫だ。
中押冴朱の潜在的脅威は無視という手段により回避できるが、交戦監視員の延髄斬りは無視できない。
「そうだね、まずは京美さんを調べておいて間違いはないと思う」
そう言って、ボクと灰音は本館一階から新館一階の養護教室を窺うポジションにつく。
しかしながら、養護教室は前日同様、遮光カーテンで覆われており、どうやら出歯亀スタイルでなければ中を見ることが出来ない。
昨日と同じく、養護教室の前の廊下から覗いてみると、それぞれの情報端末がやはり昨日と同じく各地の交戦情報を忙しく流している。
京美さんはマグカップでコーヒーらしきものを飲みながら、画面を眺めている。
「ぶぅぅぅぅぅ」
スマホにあおいからのメールが届く。
(四時四十五分にそっちの端末の情報に干渉するから、注意して *あおい*)
あの、もう四十五分まで一分もないんですけど、あおい殿。あと、注意って具体的に何なの?
そう思っていると、京美さんの情報端末から一瞬だけ情報が途切れる。画面を凝視していないと分からない程度だったが、何かしたんだろう。
その後は、何もなかったかのように情報を流し続けている。
「何かあったの?」
「……いや、味方からだまし討ちにあった気分だ」
灰音にメールを見せると、灰音もキョトンとしている。
「ちょっと、僕、あおいさんに聞いてくるよ。情報教室で何をしてるのか気になるし」
颯爽と走って行く灰音に取り残される出歯亀スタイルのボク。
そして、養護教室の扉が開いて京美さんが出てくる。
「!?」
京美さんは小柄ながらに圧倒的な存在感でこちらに迫ってくる。
「第十八部隊、東大路虹都君。いったい、君は何をしているの?」
フルネームで呼ばれて吃驚する。
不意の延髄斬りに備えて、少しうなじのあたりを右手で庇うように掻きながらボクは答える。
「植物鑑賞をすこし……」
養護教室前のロッカーに置かれた観葉植物のポトスを指しながら、極めて適当なことを言う。
「植物鑑賞なら、養護教室の中にモンステラやオリヅルランなんかもあるわよ」
「……そうですか、ボクはポトス派なので」
千茶のような筋肉談義のできないボクは、草食派の王道を究めるしかない。
「東大路君、植物鑑賞も首輪も見てるだけじゃダメだよ。ま、最初のうちはそれでいいかもしれないけどね」
京美さんは小さな背筋を伸ばして大きな胸を強調すると、周囲に人影のないことを確認して小声でボクに告げる。
「でも見極めたら、踏み込んでいかないとダメよ」
声もなく首肯くボク。
「君はいい瞳をしている。君は与えられた規則を疑うタイプでしょう?」
「……は、はい」
「繰り返しになるけど、君には期待してるんだから。そうだ、今日はもう時間だから、明日、改めてコーヒーでも御馳走して上げましょう。いい?」
「あ、ありがとうございます」
「うん、もうすぐ昇降口が混むわ。早く行ったほうが無難よ。それじゃ」
何かいろんなコトがありすぎて、ピンチなのかチャンスなのかすら、よく分からないまま、ボクは五時のサイレンを聞いた。