プロローグ
中学3年生になって引退がかかった最後の試合が始まる二日前、真夏のグラウンドでバットを振りながらなんとなく思い浮かんだことがあった。
俺はこのまま野球をして将来何になるのだろうか。
自分には色々な未来の可能性があって、今はその選択肢を選ぼうとしている。
そんなことを担任の国語教師は言っていた。
では、こうして素振りをしている今は何になろうとしているのか。
プロ野球選手になろうとは微塵も考えなかった。
いや、なれるとは思わなかった。
自分には競争心と言うものが欠けている。
他人を蹴落とし、自分を磨き続けるという野心がない。
なんとなく始めた野球を中学に上がっても続け、なんとなく練習してたらそれなりの実力が付いていて。
人数の少ない野球部だから一応試合に出してもらっている。
これのどこで競争心を発揮すればいいのだろうか。
だが、原因は環境だとは思わなかった。
例えば俺が野球の強豪校にいたとしても同じような毎日を過ごし、レギュラーとして試合に出れなくなってそのうち野球部を辞めていたはずだ。
俺に競争心がない原因なんてものは存在しないのだろう。
それでも理由を付けるというのであれば、それは俺がそう言う人間だからと言うことでしかない。
上を目指す意思のない俺はこの先も同じような人生を歩むのだろう。
そこそこ努力すれば入れる高校に入って。
多少頑張れば入れる大学に行って。
もしくはほどほどな企業に就職して。
そして、そのまま意味もなく年を取り続けるのだろう。
意味もなく、生き続けるのだろう。
案の定そこそこ努力して入った高校生活も2度目の冬を迎えた。
朝布団から出るのと登下校が苦痛になる季節だ。
今日も一日頑張れる気がしないと思いつつ布団を出てカーテンを開けると寒さとは対照的な陽射しが俺を突き刺した。
光から目を逸らしつつ椅子に掛けていたパーカーを羽織、朝ごはんの用意してある食卓へと向かう。
フローリングの床と階段が冬の寒さを痛いほどに教えてくれた。
小さく悲鳴を上げつつ吐く息も白い。
リビングに行くとソファに座りながらパンを齧る妹に迎えられた。
「空兄さんは今日も髪ボサボサだねえ。おはよー」
「土乃ちゃんは今日も朝から元気だな。おはよ」
いつも通りのやり取りをしながら俺も朝食を取るために台所に向かう。
箱型の機械に手を向けると蓋が開きそこから菓子パンが2個とホットココアが出てくる。
最初は不思議な箱だなあと思って使っていたが、17年も使っていればそれが普通だと思うようになった。
昔の人はテレビに映像が映るのさえも驚いていたと言うが、やはり時間は不思議を普通に変えてしまうのだと実感する。
2078年の今、50年前では考えられない程技術は進歩していた。
正確に言うと技術を支えるためのシステムが進化していた。
2052年のある日、パン屋でアルバイトをしていた青年が突然意識を失い倒れた。
予兆も前兆もなく本当に急に倒れたため救急車で運ばれた青年だったが、診る限り異常は見られなかった。
意識を取り戻さないかと思うと突然目覚め、ぶつぶつと呟きながら病室を飛び出し向かった先は隣の病室だ。
心配する医者たちの静止を聞きもせずなにをするかと思えばその部屋で出されていた病院食に手を向けた。
倒れたときのショックで頭を打って目覚めたときにパニックに陥っているのだと止めた医者を振り払い彼は全ての病院食に手を向ける。
気味悪がっていた医者たちだったが、同時に自分の口から溢れるよだれを止めることが出来なかったのも確かだったという。
医者たちは本能の赴くままに病院食に手を伸ばすと、箸も使わずそのまま口へと流し込むように食事を始めたという。
それを見て我慢が出来なくなった患者たちも同じように食事を始めた。
後にその光景を見ていた看護婦は語る。
それは食事などと言う文化ではない。
喰う、ただそれだけの欲望を満たす為だけの本能だった、と。
彼の手をかざした病院食を食べた患者たちはそれから二日した頃に揃って退院したという。
その中には骨折した者やアキレス腱を切った者など原因は様々だったというのに揃いもそろって同じ日に退院した。
これは間違いなく異常な事態だった。
これが世界で観測されているうえでは一番最初の「神様の落し物」を貰った人間の起こした奇跡の一部始終だ。
もちろんこんな貴重なサンプルを研究機関が放っておくはずもなく彼のこの後の人生はモルモットのように研究に追われることになる。
しかし、いくら研究した所で彼の持つギフトの謎は解明されなかった。
ただわかったことは「彼が手をかざしたものは元々の力を超えた栄養価を引出し、食した人間の体に眠っている機能を呼び起こす」と言うどうしようもない事実だけだった。
彼を皮切りに世界中では数か月に1回ほどの間隔でギフトを受け取った人間が見つけられる。
それは例えば、
「いかなる腐敗からも物を守り、再生させる力を持つ者」だったり、
「犯した罪を確実に償わせるために、自白させる力を持つ者」だったり、
「環境による体温の変化を限りなく抑えることができる力を持つ者」だったりと様々見受けられた。
共通してこれらの能力はどれだけ研究しても「理屈じゃない現象」としか説明がつかず、技術の革命的な進歩を前にして指をくわえてみているしかないという研究者たちの身を焼くような日々が続く。
そんな彼らの前に一人の少女が現れたのは偶然と言うではなく必然だったのだろう。
日乃崎佳乃と名乗った少女は研究者たちに一本のUSBディスクを差し出した。
言われるがままにそれを開くとそこには最初のギフト所持者に対する事実が記録されていたのだ。
研究結果でも、理論でもなく、そこに記録されてあったのはただの事実であり、ただの結果だった。
どうやってこれを記録したのかと尋ねられた少女は楽しげに笑いながらこう答えたという。
『見たらなんとなく理屈がわかったから記録しといた』
最初のギフト所持者が現れてから3年も研究し続けていた彼らは刹那に悟る。
彼女は「見た物を瞬時にデータとしてまとめることができる」ギフトを持っているのだと。
佳乃が現れてからギフト所持者のデータが次々と記録メディアに纏められた。
記録するだけでは意味がなかったそれを実用化できるものにしようとの提案がされ、それからまた3年の月日をかけ生み出されたのがギフトの能力を普遍的にし、誰でも使用できるようにしたギフトボックスと言われるものだ。
最初に商品化され、世界中に普及されたのがさっき俺が使っていた「全自動配給調理箱」、通称ハイキューだ。
これは人間が一生のうちに最低限食べなくてはいけない食事量をポイント化し、それを消費することで自動で食事が出てくると言うもので、これにより世界での餓死率は急降下した。
その後、ハイキューは全世界1家庭に1つ無償で配布されることになる。
それからも数々のギフトボックスが生まれ、それ以外でもギフトを普遍化したものが多く開発された。
そのギフトボックスの中に「識別記号配布装置」通称コードメイカーと言うものがあり、それにより人間一人ひとりに本人にしか認識できない個人コードが配られた。
それは、食事量をポイント化したものやその他色々なギフトボックスで使うデータを管理するものになる。
コードは自分以外の人間には文字列として認識できず、見た者には自分のことだとわかるという、これまた科学では解明できない不思議なものだ。
このコードを一番身近に感じる瞬間と言えば。
「あ、そう言えば今日って予言リストの更新日じゃないっけ?」
今や日常となった技術の発展の経緯を思い出していた俺に妹の妙に高い声が届いた。
暖かいココアを啜りつつ、複雑な表情で携帯端末を見る土乃の方へ振り返る。
寝巻にしているジャージの前チャックが大きく開き、高校に入り膨らんできた胸の形がはっきりとわかった。
……気にする所はそこじゃない。
「はあ、よかった。今年も特に予言にコード載ってないや」
予言リスト。
これまた能力のシステムによって毎年3月最初の金曜日に更新される、その一年で何かが起こる人を表示するものである。
その項目は「異動になる人間リスト」などの軽度なものもあれば「感染症にかかる人間リスト」なんてものもある。
当たると言われているこのリストだが、結局は自分以外のコードがわからない以上他人がどうこう言っていても検証する術はない。
こんな時代になっても予言はあくまでオカルトの域を超えず、信じない人間も多数いた。
もちろん、こんなリストを確認しない人間も多数いる。
俺もそのうちの1人だ。
「兄さんは見ないの?」
「俺はこういうのは信じないんだよ。それに見ちまったら楽しみがなくなるだろ」
「信じなくていいから見ときなよ。せめてアレだけでもさ」
そんなオカルトと言われている中でも一つだけ全世界の人間が信じざるを得ないものがあった。
それが土乃がアレと呼ぶ「今年事故で死ぬ人間リスト」だ。
これも結局コードが載るだけな為、自分が載っているかどうかの確認しか出来ない。
しかしそれまで年間6000~7000人の間で不定数だった事故死する人数が予言が始まった年からピッタリと6500人になった事実がある。
それも数年ではない。
ここ十年、毎年ピッタリと6500人の事故死者が出ている。
そのデータを前に人々は信じざるを得なくなった、と言うのがこのリストに対する世間の正確な認識だろう。
「まあ、ないってわかれば楽しく過ごせるわけだし……見といて損はないか」
自分の所持する携帯端末で予言のリストのページを開き、最上部にあるそのページを開いた。
俺は今まで勘違いしていたのかもしれない。
なんとなく過ごしていればなんとなく生きられるのだと。
それなりにしか生きれなくても、それなりには生きれるのだと。
そのページの真ん中よりも少し下あたり、11月頃の死亡予定の欄に載っているコードに俺は見覚えがあった。
誰のかとは言うまでもあるまい。
コードを認識できるのは自分だけなのだから。
「兄さん……?」
不安そうな声音で呼びかける土乃の声は耳に届かなかった。
こんな寒い朝だというのに体中から冷や汗が流れる。
こうしてどうしようもない事実を突き付けられた俺は来年の6500人のうちに数えられてしまった。
他の6499人は今どんな気持ちでいるのだろうか。
全員とまでは行かなくても、そのうちの半分、いや、大多数はこう思っているのではないだろうか。
――――死にたく、ない。
「冗談に決まってんだろ! 載ってるわけないじゃん」
「だ、だよね! 嫌だなあ、そんな神妙な顔されたら勘違いするじゃん!」
ははは、と俺はいつも通り笑えていただろうか。
恐怖から引きつった表情をしていなかっただろうか。
俺、赤宮空が事故で死ぬまで、あと8か月。