第6章 この先につながる未来2
1.
7月8日。隼人の朝寝は、またしてもなごみの侵略によって――
「侵略なんかしてないもん」
わたしはお掃除に来たの。なごみはそう言うと、ぷうと膨れた。
今日はぴっちりしたキャミソールに、この間と同じ短めのフレアスカート。そういうキャミって最近流行ってるのかと聞くと、そうよとあっさり返された。
「どう? 似合うかな?」
理佐よりボリューム感のある胸と二の腕のおかげで、なんというか生々しい。
「何よ生々しいって。色気があるって言えばいいのに」
「だから心を読むなっつうの」
どうやら隼人が寝ている間にまたも掃除が完了していたらしく、きれいに片付いた部屋をみて隼人は素直にお礼をなごみに言った。
そのまま朝食タイム。今日はなめこ汁。いつ食べたか隼人はもう憶えていないくらい。記憶を手繰っていると、なごみが話しかけてきた。
「お兄ちゃん、女の子とお付き合い始めたの?」
「なんで?」
身に覚えがございません、と否定する隼人。
「だって、お泊りしたよね? 誰か」
「してないよ」
さらなる平然とした否定に、ふーんと疑わしげな声を出したなごみは、話題を変えてきた。
「お父さんのところに、これが来てたんだけど」
そう言ってなごみがトートバッグから取り出したのは、1通の圧着ハガキ。隼人がもらって内容を読むと、隣野市役所からのお知らせのようだ。
なになに? 『健康保険使用履歴通知』?
「そこの中にね、6月13日に浅間会病院、その翌日に浅間市民病院って書いてあるんだけど、どうして2日連続で違う病院に通ったの? お兄ちゃん」
ギクッ。
隼人は即座に思い出した。フレイムとの決戦で体力切れにより入院して、その翌日無理して倒れて市民病院に救急搬送されたことを。こんなものが来るのかよ。市役所のお節介め。
隼人は慌てて弁解する。ボランティアで作業をしていたらめまいがしたので浅間会に、その翌日退院したら塾でやっぱり体調が悪くなって市民病院にかかったと。なごみはまた、ふーんとうなった。
「……お兄ちゃん?」
「はい」
「わたしに何か隠してない?」
無だ。無。なごみに心を読まれるな。
じっと隼人を見つめていたなごみは、しばらくして息を抜いて横を見やった。
切り抜けた。
隼人は安堵して、なめこ汁をすする。
「そっかぁ、優菜さんかぁ」
不意討ち! 隼人は盛大になめこを吹いた。ゲホゲホとむせたあと顔をあげると、してやったりと顔に書いてあるかのような義妹発見。
「な、どうして……?」
隼人は心底恐ろしくなった。全て見透かされているのか?
「あのね」となごみは話し出した。
「お風呂の排水溝周りを掃除してたら、栗色の髪の毛を見つけたの。お兄ちゃんのじゃないから、あのメンツだと優菜さんかな、って」
解説の後、普段の顔に戻ったなごみが隼人に問いかけてきた。
「お付き合いしてないんだったら、何があったの?」
「……しゃべるなよ」
なごみに口止めをした後、隼人は説明した。先日の土砂降りの中、傘もささずに道を歩いていた優菜を偶然見つけて家に上げたこと。シャワーを浴びさせて着替えを貸して送っていったこと。
「それだけ?」
「ああ、それだけ」
また隼人を見つめてくるなごみ。先ほどより長い時間をかけて沈黙したのち、なごみはふっと息を吐いた。
「お兄ちゃんがそう言うなら、そういうことにしておくね」
なんだその持ってまわった言い方。隼人はそう毒づこうとして止めた。幸いなごみの追究はそれで沙汰止みとなり、一転彼女の表情が気遣わしげに変わった。
「お兄ちゃん、お金、溜まってる?」となごみの心配を隼人は笑って受け止めた。
「ん? ああ、なんとか授業料は払えそうだな。家賃もこのところ払えてるし」
塾の夏季特別講習が終わったら、講師のシフトが通常に戻る。なので、バイトをがっつり入れてある。この時期にお金を稼ぐのが毎年のパターンだ。
「お前、そういえば、受験勉強進んでるのか? 俺の部屋の掃除なんてしてる場合じゃないんじゃ」
「良くぞ聞いてくれました!」
目を光らせたなごみがトートバッグからいそいそと取りいだしましたるは、分厚い参考書。付箋がいくつか貼ってある。
「これ、教えてほしいの。ね? お願い」
しようがねぇなぁ、と言いながら隼人は特別講習を始めた。
2.
夜9時過ぎ。アンヌ・ド・ヴァイユーは自室で電話を受けていた。エンゲランドにいる姪からの電話は、早30分にも及ぼうとしている。
「いいなあいいなあ、アンヌ叔母様」
「ん? なに」
と急に切り替わった話題に付いていけなくなったアンヌが問い直すと、姪は羨望を隠しきれない声色で一気にまくしたててきた。
「だって、日本に行かれるんでしょ? わたしも行きたい! アキバハラに行って、シブヤに行って、オダイバにガルガンを観に行きたい!」
ガルガンってなんだろう? アンヌには見当もつかない。姪の趣味から察するに、日本のアニメかマンガのキャラクターの類なのだろうが。
「あなたもいつかおいで。そうね、あと1年もすれば招待できるようになると思うから」
あと1週間ほどで、アンヌの日本行きの準備は整う。乗り込んで存分に剣を振るい、黒いエンデュミオールを初めとする邪魔者を斬って捨て、会長とやらを捕らえる。
あとは良い地脈の孔さえ見つければ、それもカードに鷹取家と交渉して、ヨコハマ辺りにでも自治権を獲得すればいい。ヨコスカに近いことをアメリゴが渋るなら、もう少し東京よりでどこか。そこが孔に近いなら願ったり叶ったりだ。
「ああ、いいなあ。マンガが日本の発売日に読めるなんて! 吹き替えのないアニメが放送日に見られるなんて! フィギュアを現地で買えるなんて!」
いや、そういうことをしたくて日本に行くわけじゃないんだけどな。計画の重要部分を姪にはもちろん教えてないのだから、勘違いされるのもしようがないとは思うのだが。アンヌは苦笑いして言った。
「フィギュアとは、要するに人形だろう? よければ、買ってあげようか?」
姪の歓喜の声を電話越しに聞きながら、アンヌはこの少女を不憫に思う気持ちを抑えられない。"侯爵"家の次女である彼女は、彼女こそが次期侯爵にふさわしいとする一派と、異母姉である長女を推す一派とによる暗闘に巻き込まれているのだ。彼女の意思にまったく関わりなく。
少女は日本行きを熱望しているが、それが叶わないのはそういった理由がある。もしかしたら、この少女は自分の置かれた状況を薄々察していて、そこから逃れるために、あの極東の島国なぞへ行きたいと言っているのかも知れないが。
なればこそ、せめて夢くらいは見せてやりたい。それが人形ごときで叶うのなら。
「出立までにメールで買出しのリストを送りなさい。日本語とフランク語を併記してね。どちらもちゃんと私が読めるように書くのだぞ?」
アンヌの要請は、少女の沈黙を招いた。
「……叔母様、ご自分でお買物なさることもあるんですか?」
「無論だ」
いくらこの身が伯爵家の嫡女とはいえ、身の回りのものくらい自分で買っている。アンヌはこれを潮に電話を切り上げることにした。
「では、夢を目一杯そのリストに詰め込むがよい。おやすみ。メアリ」
通話を終えると、アンヌはメイドに電話機を渡して灯りを消すよう命じ、就寝した。
3.
東堂塾では、夏休み初日から始まる夏期特別講習前に、生徒に1週間ほど休みを取らせる。2週間続く特別講習前の"自習期間"、という名目の骨休めだ。
だから今日は休み前の貴重な授業。隼人は一通りの解説を終えると振り向いて生徒たちのほうを見た。
「というわけで、今解説したところは今度の模試に出る可能性が高い部分だから、しっかり憶えておいてな」
はーい、と生徒たちが元気よく返事をしてくる。いい子たちだ、と隼人は思う。教育してやるぜ。
「じゃ、記憶を確かなものにしてもらうために、今からテストやるぞ。テキストしまって」
えー、と生徒たちが元気なく返事をしてくる。ま、そうなるよな。隼人はかまわずテスト用紙を配った。
隼人の号令でテスト開始して、教壇の上からじっと見守る。あいつはスラスラ書いてるけど、確かめをやらないから10分前に全員に促す形で注意喚起だな。あの子は詰まってるなぁ。授業態度も散漫だし、あとでフォローするか。
20分ほどでテストを終了させて今日の授業はお仕舞いとした隼人は、講師控室に戻って待つ。しばらくすると、いつものように"あの子"が友達を連れてやってきた。しばらく参考書を挟んでやり取りをする。ちらとみた"あの子"、沙良の表情はやはりどことなく虚ろ。
「坂本さん、大丈夫?」
隼人の問いにようやく我に返った沙良は赤面してうつむいてしまった。沙良と一緒に来ていたみやびの顔がたちまち輝く。
「ほらほら、沙良ちゃん! ここで『ああ~んせんせ~、わたしもう、もう!』ってあの広い胸に倒れこまないと!」
「うん、なぜ俺?」
と隼人が首をかしげると、みやびはびっくりした様子で隼人を見返してきた。
「せんせ~、酷いです! 沙良ちゃんがこんなに悩んでるのに、抱きしめてあげないなんて!」
「ごめんな。青少年なんとか条例でまだ引っ張られたくないんだよ」
隼人が分かったような分からないような言いわけをすると、沙良はやっと顔を上げて微笑んでくれた。
「あの……ご心配かけてすみません。いろいろ気になることがあって、集中できてませんでした。以後気をつけます」
そう言うと、沙良はぺこりと頭を下げて講師控室をさっさと出ていってしまった。慌てて追いかけようとしたみやびを呼び止めて、隼人は尋ねた。
「木造さん、坂本さんって学校でも最近あんな感じなの?」
「え? わたし、沙良ちゃんとは学校違いますよ?」
みやびに真顔で言われて、ああそうだったっけと頭を掻いた隼人は時計を見て慌てた。もう9時過ぎじゃないか。みやびを急いで塾の玄関まで見送ると、隼人も帰り支度をするべく講師控室へとトンボ帰りした。沙良のことは、同じ学校の生徒がいたら何かの機会に聞くことにしよう。
4.
隼人が塾の戸締りをしていた頃。優菜が大学の裏山にある練習場に着くと、先客がいた。イエローとグリーンだ。
「ほな、行くで。イエロー」
「うん」
グリーンが手に持つのは、そこらで拾ったか折ったと思しき太めの木の枝。一方イエローは右手に、鈍く光る金属の棒のように見えるものを逆手にして持っている。長さにして15センチくらいか。
「やっ!」
掛け声とともに、グリーンがイエローに撃ちかかる。が、イエローに軽くかわされてしまった。
「グリーン」とイエローのまなざしが厳しくなる。
「もっと思いっきり来てぇな。治癒は自分でできるさかい」
グリーンはうなずき、そしていきなり動いた。斜めに棒を振り上げたのだ。もちろんイエローの身体を狙って。
「わ!」
イエローは不意打ちを受けた格好でかろうじて棒で枝を受け止めたが、枝の勢いに押されて腕を強打されてしまった。
ガキ、と嫌な音がして、イエローは腕を押さえてうずくまってしまう。優菜は慌てて走り寄った。
「うわ、折れてるじゃん! ちょっとグリーン! やりすぎじゃないのか?」
立ち上がった優菜がグリーンを詰問しようとした時、彼女の足元で閃光が起こった。
「ふう……」
治癒スキルを自分に対して発動したイエローはゆっくりと立ち上がると、姉に向かって言った。
「ねーやん、今の一撃良かったで。だいぶ質量のコントロール、できるようになってきたんちゃう?」
「ん、まあタイマンやしな。それにしても――」
どうしたのと優菜が尋ねると、グリーンは枝を持ち上げて言った。
「あんなに強打したのに、折れへん。質量操作系っていうけど、素材そのものの強度も操作してるというか、強化してるみたいやね」
なるほど。優菜は感心する。
「で、イエローはそれ、なんなんだ?」
問われたイエローは、ちょっと苦笑いをしながら右手の棒を優菜に見せた。
「これな、ただの金属の棒やねん。こないだ、北東京支部の応援で相手したバルディオールがナイフに電流を流して、ねーやんのバールを叩き落としてたやろ?」
自分も迎撃の手段が欲しい。そう思っていたイエローは、それを試してみることにしたのだと言う。
「といっても、光物は何かとうるさいやんか。ある程度の長さがないと意味がないけど、そういうのってお値段も張るし。で、職質されて、最悪没収されてもまた手に入れられるただの鉄の棒でトライしてみました」
「で、どうよ?」
優菜の問いに、イエローは首を振った。
「今見てもらったとおりやね。受け止める瞬間に電流を流さんといかんのに、あのざまや。受け方も悪かったし」
イエローはグリーンに向き直ると練習を再開し、優菜も変身して自分の課題をこなし始めた。
それから30分後。ブラックもやって来て、ひとしきりそれぞれスキルの訓練をした後、変身を解いてクールダウンしながら雑談になった。隼人が、妹が持ってきた健康保険関係の通知でドギマギしたらしい。
「「え?! そんな通知あるの?」」
「うん」と優菜はうなずいた。
「あたしもこの間入院したり治療受けたりしたじゃん? 親に聞かれたよ」
「「んでんで? どーやってごまかしたん?」」
「ふつーだよ。『ちょっとボランティアで張り切りすぎちゃってさ。るいにお酒をつき合わされたのと重なって、体調悪くなったから病院行ったらお泊りになっちゃった』って。あたしもちょっと疑われてるけどな。この半年くらい、病院行きが多かったから」
優菜の説明に追加された隼人の口ぶりだと、どうやら彼も入院をボランティアのせいにして、妹の追及を切り抜けたらしい。
「ほな、うちらもそれでいこか」
「せやな。でも……」
双子の片割れ――いまだに優菜には見分けがつかないが、変身解除前の立ち位置からすると、たぶん美紀――が姉に同意しかけてふと眉根を寄せて黙り込んでしまった。
隼人の無言の問いかけに、彼女の顔に浮かんでいるのは苦笑いか。
「うちな、実はおとんに反対されてんねん。『嫁入り前の娘がボランティアとはいえ夜出歩くとは何事やー!』て」
「ちょっと待て」と優菜の頭に疑問が浮かぶ。
「ねーやん、男のところにお泊りしてんじゃん。お父さんの前では猫かぶりか?」
「いやだから、うちだけだってば」と美紀が笑う。
「そうそう、うちはいらない子やねん」と真紀が鼻を鳴らした。
「そんなこと言うもんじゃないよ。お父さんだって、口に出さないだけで真紀ちゃんのことちゃんと心配してると思うけどな」
隼人のフォローはどこまで本気か知らないが、ちょっぴりやさぐれていた真紀の気持ちを持ち直させるのには成功したようだ。そのお礼と言うわけではないのだろうが、ミキマキの部屋で酒を飲むことになった。実家から日本酒が届いたが、それがどう考えても2人では飲めない量だからとのこと。
「ミキマキちゃん家って、酒蔵か何かだったっけ?」
部屋に向かいながら隼人に聞かれて、双子は首を振った。
「「ちゃうねん。うちらのおとんがな、何かに凝ると、やたら他人に勧めよるのよ。それも大量に」」
今回は日本酒だったが、以前磁気ネックレスに凝った時は1人につき2ダースを送りつけてきたらしい。
「また処分のしようもないもん送ってくるんだな」と優菜も苦笑い。
「あ! そうだ!」と真紀が思い出したように手を打った。
「るいちゃんも呼ばへん? お酒があると聞けば、きっと――」
優菜は手まで挙げて、真紀のいささか棒読み気味の投げかけを遮った。
「いや、いい。もうあいつのことはいいんだ」
なんでそんなに意地張ってるの? 双子の無言にもめげず、優菜はすたすたと歩く。その時、背後で大きなため息が聞こえた。隼人の声だ。
「……なんだよ。何か言いたいことがあるなら言えよ」
「まったく、しようがないな。と」
携帯を取り出した隼人を見て、優菜は思わずカッとなって詰め寄った。
「やめろって言ってるだろ!」
「ん? 違うよ? 連れへのメールだよ」
軽くいなされて、優菜はぶすっとしたまま再びミキマキの部屋へ向かいだす。
(……良しと。るいちゃんが食いついてくれるといいけどな)
「何か言ったか?」
「べつにー」
聞くともなく聞こえてきた隼人のいなしを問いただそうとした優菜だったが、ミキマキのほうが速い。
「「なー隼人君、ゼミの旅行行けそう?」」
「うん、なんとかバイトのシフト空けたぜ。塾も振替したから、帰ってきてからが地獄のロードだけどな」
隼人たちの所属する日本史学ゼミでは、10月の大学祭の折にゼミで研究発表をする。その準備が9月中旬から始まるため、その前に皆で旅行に行くのだそうだ。もちろん日本史に所縁のあるスポット巡りだそうだが。
「いいなあ。うちのゼミはバラバラでさ、担当教官なんか飲み会すらダルイって公言してるんだぜ」
「まあ、あの人たちは研究者でもあるからなあ、学生との付き合いが二の次になる人もいるだろうな」
隼人が笑って言ったが、どうにも納得いかない優菜であった。