第4章 サポートの日常、あるいは平穏な非日常
1.
夕方の支部。隼人は、絞れそうなくらいの汗をTシャツに滲ませながら荷物運びをしていた。
「ごめんね、隼人君」
と永田が汗を拭いながら声をかけてくる。オモテのボランティアさんたちが仕入れた大量かつ重量級の資材を前に、途方に暮れていたらしい。
「遅くなりました……あ、隼人先輩、チィース」
サポートスタッフの伊藤が、これも汗を拭き拭きやってきた。さっそく頭にタオルを巻いて、荷物運びに加わる。
今日は横田が家庭の事情でお休み。だから永田が仕切っているのだが、さすがにエレベーターのないこのビルで、女性スタッフが荷物抱えて2階まで往復はつらい。だから隼人の登場とお手伝いの申し出は歓声を上げて迎えられて、上下往復は隼人と伊藤、階段下までの荷物の搬送は女性スタッフがペアでふうふう言いながらやって、40分ほどで2階の倉庫に資材はすべて吸い込まれた。
冷房の効いた食堂で、みんなでとろける。シャワーを浴びたいところだが、あいにく着替えは1着しかなく、出動が入ると汗だくで帰らねばならなくなるのは必定。
(2、3着準備しといたほうがよさそうだな)
でもそんなに服持ってないしな、などと隼人が考えながら冷えた麦茶を飲んでいると、永田と伊藤の会話が耳に入ってきた。
「はあ、オモテの人たちにも困ったもんだわ」
と永田がこれも麦茶をすすりながらぼやき、
「業者も業者ですよね。ついでに2階の倉庫に搬入してくれればいいのに」
と伊藤も合わせている。隼人は口を挟んだ。
「それって、前に横田さんがオモテの人たちに申し入れしてませんでしたっけ?」
永田が肩をすくめて答えてきた。
「してたね、そういえば。でも横田さんじゃ押しが弱いから、やっぱ支部長からオモテの支部長に言ってもらったほうがいいかもね」
オモテ、つまり『あおぞら』の表向きの業務は介護支援ボランティアである。もちろん、ウラのことも知っていてもらわないと何かと都合が悪いため、支部長はウラの経験者である元スタッフが配置されている。
「でもね」と永田が続ける。
「オモテの支部長さんも、まさか本当のことをボランティアさんたちに言えないから、けっこう気苦労が多いみたいよ?」
男子学生が2人辞めちゃったみたいだし。永田はそう結ぶと麦茶を飲み干した。
そのまま、無言で皆茶をすする。耐え切れなくなったのか、伊藤が腕組みをして首をかしげた。
「そういえば、永田さんってどうしてボランティアになったんですか?」
ああそういえば聞いたことなかったな、と隼人は思い、そして次の瞬間気付いた。女性スタッフたちが固まってしまったのだ。その表情は実に気まずげ。
「……いろいろあってね」
そう語る永田の表情は、どこか遠くを見ているような感じ。
普段あけすけな、というかオープンな永田の言動からすると、あきらかに“何か”がある。そんな風情だったが。
「なーんてね。大した理由じゃないわよ」
いつもの豪快な笑いで場を流され、ついぞ真相は聞けずじまいだった。
「おはよーございまーす。あれ、隼人早いじゃん」
挨拶とともに優菜と双子が食堂に入ってきた。ああ、もうそんな時間か。今夜は“介護ボランティアの日”なのだ。
隼人たちフロントスタッフの身分も、書類上は『あおぞら』の介護支援ボランティア、それも夜間対応スタッフである。実際に依頼の電話がかかってきた時にはサポートスタッフで対応しているのだが、HPの『活動状況』ページに載る写真の主がいつも同じ人では都合が悪い。
何が悪いって、フロントスタッフの家族がHPを見て『うちの子がまったく働いとらんじゃないか』となるのだ。実際そういった問い合わせが優菜の家族から来たこともある。
よって、バルディオールが現れない時を狙って、フロントスタッフも書類上の仕事をこなすこととなっている。
「これで全員ね。今日はすでに依頼が入ってるから、さっそく行きましょうか」
永田が立ち上がり、さっそく号令を飛ばした。
「「ふぃ~、疲れた」」
双子が食堂の机に突っ伏して、ぐったりしている。
独居老人宅を2軒、要介護老人がいる家を1軒回って、隼人たちは帰ってきた。もう既に夜の10時。時間がかかったのは、最後の要介護老人宅で依頼者をベッドに寝かすのに手間取ったから。
「お疲れさん。はいこれ」
永田が外の自販機で買ってきてくれたアイスコーヒーがなによりのカンフル剤となったようで、双子はようやく息を吹き返した。
「はぁ、ほんまに重たいおばあさんやったな」と美紀が苦笑いで言えば、
「ほんまやな。あんときどんだけ『変身して持ち上げたろ』って思ったか」
真紀も苦笑で返した。
「そうそう、意識のある人であんだけ重いんだから、死体なんて大変なんだよ?」
永田さん。いきなり何言い出すんですか。
「そうそう、はらわた抜けば血抜きもできるし、ちょっとマシになるけど」
「むしろ皮全部剥いで10キロ減したほうが楽ちゃう?」
「ミキマキちゃん、笑えないんだけど」
隼人がげんなりして双子を止めたが、永田の発言はなんなんだろう。また固まってしまったほかのスタッフの顔を見て、隼人も疑問を口に出すことができず黙った。
しばらくして、伊藤が空咳をして話題を変えた。
「しかし、隼人先輩も物好きですね。早く来て暇だからって、荷物運びを手伝うなんて」
「ん、まあ、な」
曖昧に返事をした隼人だったが、すぐに混ぜ返された。
「女の子が困ってると助けたくなるって聞いたわよ? るいちゃんから。だから物好きというより、難儀な性癖っていうべきね」
女性スタッフの一人がニヨニヨしながら言い、ほかのスタッフの爆笑を招いた。
「いや性癖て」
「んじゃ病気?」と優菜。
「いやいやいや」
「優菜ちゃん、ちょっとそれはないんちゃう?」と美紀が優菜に絡む。
「確か馴初めは隼人君に助けてもらったことやなかったっけ?」
「馴初め言うな」
隼人は優菜に合わせてチョップを美紀の脳天に軽くお見舞いした。優菜はまだ足りないようで、今度は言葉で美紀を攻める模様。
「馴初めっていうなら、美紀ちゃんだってオリエンテーションの時、隼人にいろいろ助けてもらったんだろ?」
「そうそう、うち、ねーやんと別の班に入れられてもうて。このとおりのシャイガールやさかい、おろおろしてたら、隼人君が手ぇ引いて連れてってくれたんよ。うちらの班まで」
「手を引いて、ねぇ……」
眼を潤ませてる美紀をほったらかしにして、優菜が隼人を横目でにらんできた。
「なんだよ」と隼人が優菜を肘で突付くと、優菜も負けずにやり返してくる。
「あの……妹のシャイガール発言を無視せんといたってぇな」
両手で顔を覆ってシクシクし始めた美紀をかばって、真紀が眼を怒らせた。
「そーいうこと素でできるんだよね、隼人君って」
「ほんと、この歳で何人泣かしてるんだろうね」
「ああ、そういえば横浜支部にモトカノがいるって聞いたよ! その子にメールで問い合わせてみよう!」
「や め て」
女性スタッフたちのかまびすしさに隼人はギブアップ。優菜はクツクツ笑い、真紀が叫んでる。
「おおおーい! うちらを無視せんといて~!」
2.
永田は、部屋の暑さに負けてむくりと起き上がった。時計はすでに午前11時5分前を指している。
スリップの肩紐を上げ直し、額にかいた油汗をぬぐう。違う。これは、暑さだけじゃない。
(まさか夢に見る日が来るなんてね)
あの時の。
彼の。
息をしない彼の、重み。
そして、自分に迫るオーガを串刺しで屠ってくれた、白いエンデュミオール。
以来彼女はサポートスタッフとして、エンデュミオールたちを、西東京支部を支えてきた。支部は、今ではオーガの親玉・バルディオールを倒せるまでになった。だが、まだまだ敵の攻撃は続くという。
(がんばってもらわなきゃ。じゃないとあたし……)
悪寒に囚われて、永田は剥き出しの肩を抱きすくめた。
許さない。オーガなんて。バルディオールなんて。
あたしの彼と、産まれてくるはずだったあたしたちの子供の命まで奪ったあいつらなんて。
絶対に。
ふっとため息一つ。永田は前髪を掻き上げると、水を求めてベッドを降りた。
その後、昼ご飯を買い置きの食パンで済ませて、永田はコンビニに出勤するべくマウンテンバイクを漕ぐ。
日差しが強い。帽子かぶってくりゃよかったな。そう思いながら永田はふと気が付いた。やけに親子連れが多い。理由など想像もつかなかったが、そのうちの1人、4歳くらいの女の子がかぶってる紙製のハットを見て、ようやく合点がいった。少女向けアニメ、なんていったか忘れたが、それの劇場版を観に行った帰りなのだと。
映画館の前を通り過ぎて、ビンゴ。その出入り口に群れる家族に思わずマウンテンバイクのベルを鳴らして、永田は人ごみを避けながら通過した。
イライラする自分にイライラする。なんだろう? 生理前だからかな。
永田は便利な言い訳を頭の中でつぶやく。理由なんてわかりきってるのに。そうこうしているうちに、バイト先のコンビニに着いた。
昼下がりのコンビニは客もまばら。この店、そのうち潰れるんじゃないかな? そんなことを考えながらレジに突っ立っていると、
「いらっしゃいま――あ」
入ってきたのは、横田とその家族だった。にこりと笑って、横田が黙礼してくる。奥さんもそれに続いて、店の奥へと移動していった。そしてその後ろを、トテテテと娘さんが付いていく。確か2歳だったよな。
(あの子が産まれてれば、今頃同じくらいに――)
頭に浮かんだ考えを、永田は頭を振って追い払う。
カップラーメンやアイスクリームを手に持って、横田一家がレジに来た。会計処理をしながら、永田はどうしても幼な児のほうに眼が行ってしまう。かわいい。さくらんぼの飾りをつけたオチョンボも、細目の横田に似ずくりくりとした両目も、父親の足にしがみついて半ば隠れながらこちらをじっと見上げる仕草も。
「934円になります……横田さんの家ってこの辺でしたっけ?」
聞いたがどうやら違うらしい。家族で映画を見に行った帰り、子供が大人しく映画を最後まで見たご褒美にアイスを買ってやることにして、立ち寄ったのがたまたまこの店なのだと、横田は愛娘をチラチラ見ながら言った。
「そうなんですか……えらいね、よくできました」
言われて、さっと父の脚の陰に隠れてしまう娘。よくわかるよ。あたし、きっと怖い眼してる。
「こらこら、ちゃんとおねーさんにご挨拶しなさい」
横田の妻が娘に無理強いさせるのを、永田は笑って止めた。もうすっかり母親の貫禄だ。
永田は彼女と面識がある。横田と結婚するまで、彼女は西東京支部の食堂で働いていたのだ。あそこで働くということは当然“ワケアリ”で、もとは北陸のとある市に暮らしていたようだ。そこでバルディオールが暴れた際に被害に遭ったところを会長に拾われて、『この街で働くのはつらいから』と西東京支部に雇われたらしい。
『らしい』というのは、食堂で働く人たちは皆自分の過去を語ろうとしないからで、彼女の身の上話は酔った横田の問わず語りから知ったことである。
「じゃあ。あ、今日はオフだっけ?」
「ええ。たまにはまじめに稼がないと、ね」
横田は家族を連れて店を出て行った。後に残ったのは、去り際にされた幼子のチラ見に胸を締め付けられた、コンビニバイトのおねーさんだけ。
店内に流れる有線の調子っぱずれなラップすら耳に入らず、永田は目を硬く閉じ続けていた。
夜10時。交代のバイトにお疲れさんと声をかけて、永田は大きく伸びをした。
(あ、いけない。ビール買うの忘れちゃった)
振り返って店内へ戻ろうとした永田は、後ろを通って同じく入ろうとしていた人とぶつかってしまった。
「わっ! ごめんなさい! ……あれ? 伊藤君じゃん」
「あ、永田さん。チィース」
伊藤もバイト帰りらしい。部屋の冷蔵庫に缶チューハイが切れていたのを思い出してと皆まで言わせず、永田は伊藤の首に腕を巻きつけた。
「よし! 呑み行こうぜ! 伊藤君!」
「え、ちょ、ちょと、オレ視たいアニメが――」
そんなの隼人君にでも頼んどきなさいよ。永田は伊藤の抗議にそう答えると、居酒屋へと足を速めた。鬱屈と悔恨とマウンテンバイクを、コンビニの駐輪場に置き去りにして。