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Intermission

1.


 週末の夜。土砂降りの中、優菜は全身ずぶ濡れで家路をたどっていた。

 傘なんてそもそも持ってきていなかった。だって、彼が久しぶりに車で迎えに来てくれたから。一緒に選んだ、赤いスポーツカー。違和感は、助手席の位置がずれていたことから始まった。

 激しい雨にフロントウィンドウや屋根を叩かれる車内に流れる、聞いたことのない曲。取り付けてあったはずのドリンクホルダーも、ドアポケットに入れてあったはずの観光ガイドブックもなくなっていた。

 全ての違和感は、彼の運転する車が向かっている方向でさらに増した。優菜の部屋でも彼のでもなく、ラブホに向かうルートだったから。

 結論が見えたのは、むりやり大学の裏山近くの道路わきに車を止めさせ追求した彼の告白。

「ごめん、俺、ほかに付き合ってる女がいるから」

 だから最後にもう1回だけ。そこまで言わせて、優菜は彼の、いやモトカレの左頬に拳を叩き込んだ。ドアを開けて雨の中へと飛び出すと必死で走って、5分ほどでようやく一息入れた時、あふれ出てきたのは涙と嗚咽。

 マンションの前で待ち伏せされてたらとも考えたが、ほかに行くあてもない。理佐のマンションはここからだと遠いし、るいは……なにより、こんなずぶ濡れでよその家に上がるのは迷惑だから。そう自分に言いわけして、今こうして雨の中をとぼとぼと、本当に足取り重く歩いている。

 殴ったせいで、右の手の甲が擦りむけて痛い。多少強化されているとはいえ、変身している時は手袋してるし。雨が染み込むとこんなに痛いんだ。優菜は、その痛みに逃避している自分が悲しい。

 四つ角で少し顔を上げて現在地を確認。たしかこの辺りって……心に浮かんだ顔を振り払うと、優菜はまた下を向いて歩き出した。何考えてんだあたしは。リアルタイムで振られたのに……。

 後ろから来た原付が、盛大に水を跳ね上げる。その飛沫は優菜にもかかり、お気に入りのフレアスカートに広がる暗色のしみが、彼女の心をさらにささくれさせた。

 くやしい。くやしい。くやしい。

 気配に気付いたのはその直後。顔を上げると、さっきの原付が止まって、運転者がこちらを見ている。

 なんだよ、水跳ねなんて謝られても、いや、話しかけられても迷惑――

「優菜ちゃん? 優菜ちゃんだよな?」

 ヘルメットのバイザーを上げて優菜に呼びかけてきたのは、隼人だった。


2.


 優菜はシャワーを頭から浴び続けていた。もうどれだけこうしてるか、わからないほど。

 ためらう優菜の手を隼人は引いて、部屋に上げてくれた。

『風邪引いちゃうから、すぐシャワー浴びて。シャンプーとか使っていいから。俺ちょっとコンビニに買い出しに行ってくる』

 隼人はそう言い残して部屋を出て行った。ご丁寧に鍵まで掛けてくれて。

 ああそうだ、頭とか洗わないと。優菜はシャワーを止めて頭を洗い、続けて身体も洗った。暖かいシャワーを再び浴びると、シャボンの泡とともに心に溜まったもやもやも洗われていくように思える。

 そういえば、お風呂にお湯入れればよかった。風呂桶のほうを見やった優菜はしばし呆然とした。よく見る操作パネルがない。蛇口から直接お湯を風呂桶に入れる方式のようだ。

 てことはシャワーを止めないと、お湯が張れないのか。優菜は身体にシャワーをかけながら考える。家賃が安いんだろうか、ここ。ユニットバス全体が煤けているというか古ぼけてるし。

 仕方なく風呂から出て、用意されていたバスタオルで身体を拭いた優菜はまた呆然とした。

(着る服ないじゃん! ずぶ濡れだし)

 服や下着を摘み上げてみると、大量の雨を吸ってぐちゃぐちゃ。どうしよう……

 ガチャ。

 玄関の開く音にビクリとした優菜は、思わずまたユニットバスの中に飛び込んで戸を閉めた。バスタオルを身体に急いで巻きながら耳を澄ますと、なにやらリビングの引き出しを漁っているような音がする。隼人、だよな?

「ああ、あったあった。これとこれと……優菜ちゃん、もう出られる?」

 音と声の主が隼人であったことに安心と不安をない交ぜにして優菜が返事をすると、脱衣所の戸を開ける音がした。

「わ?! ダメ! 入ってきちゃ!」

 ごめんごめんと隼人の声が小さくなる。脱衣所の扉を少しだけ開けてしゃべっているようだ。

「じゃあ、俺のジャージとTシャツ、そこに置いておくから。あと下着と、濡れたものを入れる袋も」

 そう言い置かれて、戸は閉じられた。

 ジャージとTシャツは当然のことながら大きかった。ショーツはちゃんと女物だけど……未開封で、いかにも今買ってきましたとばかりの新品だった。

(もしかして買い出しって、これ?)

 そりゃ隼人のパンツを履くわけにはいかないけど。優菜はくすりとしてそれを履き、ブラを探したが、用意されてない。

(さすがにブラは売ってなかったんだ。こんな時間だからお店も開いてないだろうし。しようがないよね)

 一人で納得して、Tシャツだけを羽織る。閉め切った脱衣所は蒸し暑いため、あとはジャージのズボンを履いて出ようとした優菜は、ふと下を見て赤面した。

 ブカブカのTシャツ、その襟元から中をのぞくと胸が丸見え。危なかった。優菜はジャージの上着を着ると、ファスナーをきっちり閉めた。暑いが仕方がない。

 仕方がないんだってば。

 脱衣所を出ると隼人の姿はなく、声がキッチンのほうから聞こえた。言われるままにテーブルの前に座ることしばし、隼人がマグカップを2つ持ってきた。そこから立ち上るのはコーヒーの香り。インスタントであることを謝る隼人に無言で首を振って、優菜はコーヒーを口にした。

 しばらくそのまま、お互いに無言でマグカップをのぞき込んだまま、中の苦い液体をすする。

 落ち着かない。でも、わけを話せない。気まずさをごまかそうと、優菜は部屋を見回した。

(散らかってきてるな)

 お礼に片付けてあげようか。そう言おうとする自分を必死で抑える。なにアピールしようとしているの、あたしは。代わりに優菜が選んだのは別のお礼だった。

「ありがとな。その、下着まで買ってきてくれて。恥ずかしくなかったか?」

 言って、葛藤している自分に気付く。男口調で話すのなんか止めろよというあたしと、なにもう別の男に媚び売る気なのというあたしと。ああもう、なんでこんなこと考えてるのよ。

「ん? ああ、結構恥ずかしかったぞ。でも俺のパンツ履かせるわけにもいかないし。コーヒーの粉も古くなってたから」

 ありがとう。それだけ言って、優菜は再びコーヒーをすする。ふいにまた激しくなった雨音が耳を捉えた。記憶が甦る。嫌。いや……

 涙が溢れ出して止まらない。隼人に見えないように顔を背けた優菜の背後で、立ち上がってキッチンのほうへ行く足音が聞こえた。


3.


 隼人はキッチンに戻ると灯りは点けず、持ってきたマグカップからコーヒーを一口飲んで、流し台にもたれかかった。

(振られたんだな、優菜ちゃん)

 最近上手くいってないとは理佐たちから聞いていた。だからそのことに意外感はない。

(余計なことしちゃったかな。でも会っちゃった以上ほっとけないし)

 右手もなんか擦り剥いてたな。でもきっとそのごたごたのせいなんだろうし。

 ……そういや千早が何人めかの男に振られたときも、あんなふうに雨の中歩いてたな。俺は自転車で通りかかって。

(あ、原付回収しに行かないと)

 優菜と出会った場所に置いてきたままの原付のことを思い出し、隼人は思案する。泣き止んだようでリビングは静かだ。今からちょっと行ってこようか。でもあんまり1人にするのもよくないし。かといって雨が止まないことには送ってもいけないし。

(千早のときはどうしたっけ? ……ああ、そういえばあの時は――)

 その記憶が甦ると同時に、現実の視界に人影が映る。

 洗いざらしの髪。泣き腫らした瞳。きつく結ばれた、でも濡れた唇。握り締められた両の手。少し震えている、ジャージに包まれた脚。

 部屋の外に降る雨は激しく、止みそうにない。

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