絶望からの帰還
気付いたら、俺は闇深い草原にいた。
ボロけたスラム街の人間が着るような衣服を身に纏い、身震いするほどの肌寒い風が体を打ち付け、膝ほどまで伸びた雑草がしなり緩やかな音を出す。
今の俺の状況は、端的に言うと、捨てられたんだと思う。実感だとか何だとか、もうどうでもいい。
俺は天を仰いだ。人生の中で光に照らされた事があっただろうか。
少ないだろう。
全て虐待と苦痛の記憶で塗り替えられた。平民ではそのような話は存在すると聞いていたが、裕福な貴族ではありえないと言われていた虐待。ただの妄言だろう。隠し通せるか否かの問題だ。
どうしてこうなったんだろう。小さい頃は家出して町へ繰り出して平民共と乱闘してリーダーになってガキ大将を気取っていたのに。今じゃその面影すらない。
ひたすらに暗鬱としている。
10歳から現在の15歳まで虐待は続き挙句に捨てられた。名門貴族としていいのだろうか。良いのだろう。俺はパーティなどの催し物には参加してこなかったから露出も少ないし貴族間の知り合いもいない。兄がいるから俺はいいかなと遊びほうけていた。勉強はちゃんとした。物覚えがいいと褒められたが、それ以上に問題を起こしていたのかもしれない。
だから虐待何てされたのだろうか。
俺が一番光に照らされていたのは、6年前に人を助けた事だろうか。
もう覚えていない。顔なんてわかりっこない。性別は確か女だ。
だからだろうか。今はその輝かしい記憶だけが眩しく主張する。思い出せないくせに気持ちのいい思い出に縋ってる。
それが俺の現状。
今は夜だから星が見える。あれだけだ。今現在俺を照らしてくれる光は。
どうしてこうなったんだろう。
俺はただ普通に単純な幸せが欲しいだけなのに。
虐待により家出した時に出来た友人全てを失った。空きすぎた時間の所為でもう彼らは俺の事は覚えていないだろう。そう。俺には何も残っていない。過去を美化するのはやめよう。
でも、それでも幸せだった日々が辛くのしかかる。前はあんなじゃなかったのに取りつかれたように家族は俺を虐げて虐待の限りを尽くした。
我慢に我慢したのにも関わらず今こうして捨てられた。
何が一体いけなかったんだ?
そんな事は考えてもわからない。やめよう。もう幸福を掴む機会なんて与えてもらえないのだから。もう終わったんだ。
俺は目を閉じた。
どれくらいかわからないけど、ずっと目を閉じていれば死ぬだろう。
そう思って閉じた。
暗闇の中、得体の知れない恐怖が襲ってくる。開けようかなとか、未だに考えてしまう事が笑える。
でも。どうしてだ。焼けるように熱い。それに轟音が引っ切り無しに目を閉じた辺りから聞こえてくる。何なんだこれは。
少し薄目を開けた。
隕石だった。多分そうだ。赤黒い物体がどんどん大きくなっていく。
そうか。生かす気何て毛頭ないんだな。
はぁ、もう一度昔の家族や友人に会いたかった。
俺はもう一度目を閉じようとした。
しかし、出来なかった。
すぅぅぉぉぉぉぉぉぉ。
どうしてだろう。何故目の前の隕石は俺の右目に吸い込まれていってるんだ。
意味が分からない。でも今更考える事なんて。
隕石を吸収する俺の体は、完全に取り込み終えると赤黒い風を纏って俺を起点として風を破裂させた。
それからだろうか、疲労感が一気に押し寄せて意識を失ったのは。
あぁ、変わった死に方があるんな。
◆◆◆◆
気が付くと俺は見覚えのある場所にいた。
そう。自分の部屋だ。俺の部屋。昔、虐待を受ける前に設けられた俺の部屋だ。
虐待が始まってからは豚小屋のような小汚い場所に閉じ込められていたんだ。
身体も綺麗に拭かれている。衣服も上質な物へと変わっていた。見なくても動かさなくてもわかる。気持ちの悪い。もう慣れてしまったごわごわとした感触がないからだ。
5年ぶりの体験に違和感覚えた。
薄く開けられた俺の目に映るのは、清潔で白を基調とした部屋にベッド。天蓋なんかもついている。
目を横に向けると、唐突に暖かさに包まれる。
「よかった。ごめんね。ごめんね」
この人は母。よく見れば父や兄に姉までもがいる。
みんな俺を虐待して蔑んできた人達だ。
今更何だろう。あぁ、上げて落とすのか。酷い事をするな。でももう期待なんてしていない。
どうせこの後も虐待をするのだろう。そんなのは目に見えている。
だからお前達は変な顔を今すぐ辞めろ。
演技をするな。本当の事のように思えてしまう。
この場にいる人間全員がすすり泣いている。
そんな奴らを見ていると、今までの辛みが表に出てじんわりと涙が浮かんできてしまう。
何だろう。今までと違って凄く暖かい。
それから俺はある場所に連れていかれた。
外に出ると暖かな日差しが肌を照らす。昨日の陰鬱とした感情を煽る寒さではなく、祝福されるような暖かさだった。
普通の気温なはずなのに。虐待をされていないと、こうも変わるのだろうか。
大きな屋敷の門を潜り、前に広がる花園を抜け、街道を通り、城近くに立てられている白塗りの屋敷にたどり着く。
それは病院だった。
親に手を繋がれて連れていかれたのだけれど、震えが止まらなかった。
そして、周りの挙動に一々ビクビクしてしまった。
その度にいつもとは違う周りの反応に何だかもやもやした。
今までのは私達じゃない。家族はそう言ったんだ。これを直ぐに信じるにはあまりにも時間が経ち過ぎた。
無駄話を聞き流している間についてしまったんだ。
俺の家は上級貴族という階級にある。だからだろうか。順番を待つことがなかった。
あまりにも横暴だけど、父と母の気迫を見ると注意何て出来ない。
いや、俺の心配をしてくれているんだろうけど、何て言うか今までの事があって……こわい。
そんなこんなで俺の順番は簡単にやってきた。
部屋に入ると、白を基調とした空間だった。いつ振りだろう。この白の病院に連れてこられたのは、虐待されている時はどんなに苦しそうにしていても放置されていた。
だから久しぶりだった。その所為か少しだけきょろきょろしてしまう。
そんな俺を見て目の前の女性が手を振った。もちろん医者だ。
「こんにちは、私はアリア・クラークだ」
笑顔で話しかけてくれたのは優しそうな人だった。
何だか若々しい女性だ。母も若々しいがこの人も負けていない。
俺も自己紹介をしたかったけど、上手く口が動かない。どうやら内気な人間にになってしまったようだ。だから必死にとはいかないが、小さく頷いておいた。
「全身見てくれという事だけど。傷のあるところを見せてくれるかい?」
外傷を見せろという事らしいが、傷がありすぎてどうすればいいかわからない。
俺はとりあえず下着を残して全ての服を脱ぎ去った。
それを見て……。
「これは……」
目の前の医者は心底驚いている様だ。当然だ。全身痣や内出血に切り傷まであるんだ。しかも、全てが人為的な物。
それを見て一気に顔を歪めたが、医者は取り乱す事はなく冷静に聞いてくる。
「何があったんだ?」
「……」
何があったのか。そう聞かれた。別にただ単に説明すればいい。それだけなのに思い出したら震えと嘔吐が止まらなかった。
優しくされたのが久しぶりだからびっくりしたのかもしれない。
そんな俺の姿を見た医者アリアは急いで部屋から飛び出すと、両親と会話を始めた。
しばらくすると怒鳴り声が聞こえて来て、あぁアリアって人は普通なんだなと思った。
それからまた少し時間が経つと、アリアがごめんなさいね。と言って戻ってきた。
家族は俺の姿を見た。そこで一気に泣き出した。
その姿は、本当に自分達がやった事を理解できていないようだった。
みんな落ち着いた頃に俺はルーンという力で傷を治してもらった。家族を見てみると何だか全員顔を腫らしている。明らかに殴られた跡だ。
みんな傷を治そうとはしなかった。
次に行くのは、ルーン研究所らしい。
少し離れた場所にある。たどり着くまでに結構な時間を要した。
病院の裏側から出て狭い通路を通ると広々とした公園が広がっていた。
そこの端の方に馬車乗り場があった。そこにアリアと俺の家族は乗り、目的地まで馬を走らせた。
たどり着いたのは古びた教会を改装した建物だった。
その改装の仕方の所為だろうか、建物は酷く不気味な雰囲気を放っていた。
入口の受付で案内を受けて長い廊下を笑った先の一室に通される。
様々な機器があり、話に聞くこの国といざこざを起こしている機械仕掛けの国にありそうな物が沢山あった。
ここで検査を受けるそうだ。ルーンの器や魔力に異常はないかどうか。
俺は部屋の中央に設置されている台に乗せられて検査を受けた。
台に寝っ転がると、ただの台だったはずの物が形を変えていき俺は筒状の空間に閉じ込められた。
この状態で医療用魔道レーザーという物を使うらしい。初めて見る機会に緊張していると、程なくしてが検査が開始された。
俺が台で体を調べられていると、辺りから悲鳴が上がった。
「どうして!10歳の時は確かにあったのよ」
「落ち着け!人間は日々変化する。そもそもお前達がこうしたんじゃないのか?」
「そんなわけないでしょ!」
声を荒げている三人を制するようにもう一人この場にいた研究員らしき人が手を上げた。
「見てください!クラーク卿!グレイシア卿!彼のルーンの器は喪失しましたが、魔力数値が異常です!」
そんな声が次々と聞こえて来た。
「ほう。将来有望じゃないか」
「いいえ。あの子は家から出しません。行かせるのは学校までです」
「あぁ、安全な場所で幸せに暮らすのが一番だ」
まただ。また鈍い音がする。誰かが殴られた音だ。
「君たちは本当に。いったいどうしたんだ。そんな事は彼自身が、フロウ・グレイシア自身が決める事だ!」
「だってこんな酷い目にあって」
「忘れるな。そうしたのは、君達自身だ。それにしても、あの右目の六芒星はなんだ」
「えぇ、巨大な魔力を感じます」
重い沈黙が続いた。
もう検査が終わったらしい。でも誰も出してくれない。忘れられてるのだろうか。
しかし、杞憂だった。
直ぐに検査台から降ろされて、現れたクラークの夫を交えての話し合いを終了したところで今日のところは帰路へと着いた。
その会話を耳を澄ませて聞いてしまったのだけれど、何だか恐ろしかった。
悪魔がどうとか。どういう事だろう。
◆◆◆◆
悪魔。そんなものに家族は取りつかれていたらしい。俺はその悪魔のターゲットにされたのだとか。
そして、その所為で魔力を失ったらしい。体に刻まれた。具体的には目に刻まれた六芒星が痛々しさを物語っているのだとか。
この右目の六芒星の所為で魔力はあれど、、もう魔法発動に必要不可欠なルーンを体内に取り込むことが出来なくなっている。
だから、ルーンを使うにはアイテムを使わなくてはいけないらしい。
しかし、それは致命的だ。俺の名前はフロウ・グレンシア。
この国の貴族であり、貴族はルーンに纏わる職業に着かなくてはならない。
そして、そのならなくてはならないのがルーン鑑定士。王政が経営する窓口に勤務するのが通例だ。
そこから留まるもよし他の役職に就くもよし。その後はそいつ次第という事だ。つまり通過点という事になる。
当然虐待から解放されて今までの愛情を現在受けている俺もそこに入る事になるだろう。だが、果たして俺は鑑定士になれるのだろうか。
色々考えている内に夜は明けた。
一週間が経った頃だろうか。家族との会話もそこそこできるようになってきていた。
元々はっちゃけていた俺だ。元に戻るのは早いかもしれない。
そんな日の夜中。事件は起こった。
就寝の為に布団に潜り込み目を瞑る。
久しぶりのフカフカベッドだった。しかし、環境が良くなったとはいえ安眠には程遠かった。よく眠れる日はまだ訪れない。
いつもの様に数時間後にやっとの事で眠りにつく。
それからどれくらいたっただろうか。寝付いてから、まだ深い闇に包まれて太陽が姿を現さないそんな時間帯。
俺は急に目が覚めた。
熱い。とてつもなく熱い。何かがこみ上げてくる。破裂しそうだ。
どうしよう。どうすればいい。混乱している中でただ一つわかる事は、この場に居てはいけないという事。
俺はベッドから急いで抜け出して叫んだ。
「開け!」
それは窓に向けて。窓は俺の言葉に反応して一気に開け放たれる。
無我夢中にやった事だが、成功してよかった。
何となく次どうすればどうなるかがわかる。俺は体を宙に浮かせた。
そして、空中を蹴り込んだ。すると、とんでもないスピードで俺の体が飛んでいった。。
何だこれは、赤黒い風が俺の体を包み、熱く煮え滾った焔の溶液が体から溢れていく。
窓から飛び出して100メートル程進んだ時、俺は本能的にもう一度叫んだ。
「下にいけぇぇぇ!」
このままでは本当にまずかった。
屋敷の敷地から出てどこかに飛ばされるのなんてごめんだからだ。
だから、叫んだのだが、俺の体はどうやら言う事を聞いてくれたようだ。
俺の言葉に従うように今度は垂直に落下していった。
地面との衝突の瞬間。とんでもない破砕音と爆風が周囲に広がった。
身を起こすと、周りには大きなクレーターが出来ていて、その中心に俺は居た。
そこで呆然と立ち尽くす俺の元に家族が駆け付けたのは、数分後だった。
翌日。俺は父上と共に国王から召集の命を受けた。