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山成大河は弟との約束を忘れない②

「到着だよ」と黒水(くろみず)蔵人(くろうど)が声を潜めて囁く。


中折れ帽子を右手で押さえながら薄暗い空を見上げている蔵人。

彼の視線を辿る様にして首を上げると、星の隠れた薄闇へ伸びる廃ビルが視界に線を引いていた。

灰色のセメントが打ちつけられた外壁は黒ずんだ汚れや剥離した凹凸面が目立つ。

人の気配は微塵も見つけられず、整然と配置された窓枠はどれも暗い。

取り残された侘しさだけが纏わりついている廃ビルの敷地へぐいぐいと踏み込んでいく蔵人。

「ちょっと、蔵人さん?」

無言で突き進む彼の背中を、慌てて呼び止めた。

「どうかしたかい?」

探偵ではなく殺し屋でもなく、仲介屋ですらなく何でも屋なんだと名乗った蔵人。

━━弟君の消えた理由が知りたいなら、ついておいでよ。

太陽の部屋で遭遇した蔵人は俺にそう切り出していた。

彼は詳細を何も語らないまま代わりに女子高生の話ばかりを延々と吹っ掛け、そうこうしている内に足が止まったのだ。

廃ビルを目の前にして「ここが目的地さ」と一方的に彼は告げた。

信用してない。と言ってしまえば、ならついてくるなよ。と完結してしまう訳だが。

だからと言って、信用しているのか?と尋ねられれば、首を縦に振る事が出来ない。

半信半疑……どうしたって躊躇いが生まれる。正常な判断力によるものだと思いたい。

「見て見ぬふりも大事だよ」

と不意に。

蔵人は片手をひらひらと振りながら呟いた。

「上手に生きたいなら……嫌な事は忘れてしまう。という選択肢もあるんだ。それが正しいのかどうかは別としてね」

忘れてしまう。

それはあまりにも酷な言葉だ。

行方不明となった弟の事を忘れ、今まで通りの日常を過ごす事が本当に上手な生き方と呼べるのだろうか?

俺は知りたい。

どうして太陽が消えてしまったのか?

あいつがどんな問題を抱えていたのか。

知らなくちゃいけない。

使命感でも、義務でもないんだ。

もしあいつがたった一人で何かへ立ち向かっていたとするなら、俺はその何かへ……たった一人の兄として関わりたい。

「今ならまだ引き返せる。僕なんかの戯言に付き合わず、コンビニにでも寄ってジャンプを買って帰ればいい。そうすれば、明日からは今まで通りの日常が待っているさ」

君はどうしたいんだい?と、無言で意思を確かめてくる蔵人。

俺は目を瞑ると深く深く……一度だけ息を吸って吐いた。

目蓋の裏に蘇る過去。

思えば、あまり兄らしいなんてしていなかったな。

ゲームに負ければコントローラーをぶん投げて癇癪を起したし、ちょっと苛立ちが重なると暴力に出たし、そんな幼少時代を加害者である俺が覚えているんだから、太陽の頭の中にはもっと鮮明に残っていただろう。

だから、きっと俺の事は好きじゃなかったと思う。

あいつは大学に通っているのに、俺は高卒で就職もせずふらふらとフリーター暮らし。

そんなんだから、山成太陽にとって……山成大河という兄の存在は消し去りたい汚点でしかないのかもしれない。

どうしてこんなにも最低な兄になってしまったのか。

自分でも上手く説明できない。ただ、振り返ってみれば後悔塗れの道だけが残っている。

「たぶん、罪滅ぼしなんです。今更、上手に生きようとはあんま思ってないし、自分勝手な自己満足でしかないんだと思ってる。けど、俺はあいつの為に何かをしてやりたいんだ」

失ってしまってから、その大切さに気付かされるなんて。あまりにもベタで、あまりにも薄っぺらで、あまりにも普通な動悸だ。

だけどそれで充分なんだよ。

波乱万丈な人生だったり、奇想天外な展開だったり、非現実的な日常だったりを求めたりはしない。

「いいじゃないか。いかにも人間っぽい。どこかの司令官だって言っていたよ。君達の恋は君達を救う……世界はそれに乗っかって勝手に救われるだけだってね」

「恋とかじゃないけど」

「ははっ例え話だよ。恋愛も家族愛もラブには変わりない。君達が兄弟で近親相姦だなんて結末(オチ)は僕も御免被りたいさ」

それに近親相姦はあの二人だけでお腹一杯だよ。と蔵人は小さく言い洩らした。

「それじゃあ行こうか」

「はい」

茫々と生え茂る雑草を踏み慣らしていく。

出入り口らしき回転式の扉は、ガラスが粉々に砕かれ散っており、錆びついた鉄枠だけがかつての面影を残している。

腰を曲げて扉の枠を潜ると、長い間放置されてきた場所特有の埃臭さが鼻の奥を突いた。

口で呼吸すると、身体に悪影響を及ぼす不純物が入り込みそうで、思わず唇をぎゅっと固く結んでしまう。

鼻孔に纏わりつく埃がくしゃみを誘発させる。

「大丈夫かい?」

蔵人の平坦な声色に頷いて返しながら、足元へ目線を落とした。

建物の内部まで浸食している草の隙間で小型の昆虫が(うずくま)っている。

昆虫を踏まない様にと大股で避ける。

照明も機能しておらず薄暗さに覆われている建物内は奥行きも掴めない。

薄っすらと暗順応してきた視界に荒廃した内部が浮かび上がってくる。

複数のテナントを隣り合わせで配置していたのだろうか。

細く伸びる通路の脇には一面ガラス張りの区壁が付き添っていた。

俺の足取りなどお構いなしに、隅の階段へ向かっていく蔵人。

廃棄されたビル内には、コンクリート片を踏み潰す二人の乾いた足音だけが響いている。

内部に陳列された缶が傾いている消灯した自販機を横目に、蔵人の背中を追って階段を上がり始める。

「八階まで上がるよ」

「わかりました、あの」

「ん?どうかしたかい?」

中々口に出せずにいた……というよりも、女子高生について熱弁する蔵人に気圧され口に出せる隙がなかった疑問を今更に至って投げ掛けてみた。

「蔵人さんはどうして俺の弟の……山成太陽の行方を?」

「言い方は悪くなるけど、君の弟君の行方というのはあくまで過程だよ。僕は君の弟君を助けるつもりなんてないし、君の弟君を見つけようとも思っていない。ただ、弟君の痕跡には僕の目的に対する手掛かりがあると読んでの行動であり過程なんだ」

「つまり、蔵人さんが今、抱えている依頼?には俺の弟も関わっていたって事ですか?」

「ちょっと日本語としておかしい気もするけど、まぁそうだね。君の弟君は中でも珍しい事例なんだ。行方不明としての結果が浮き彫りになる事自体が他と異なっているんだよ」

「行方不明が珍しい?」

曖昧としたままに蔵人の言葉を復唱してしまう。

「そんなに焦らなくても大丈夫さ。もうすぐ嫌でも知る事になるんだからね……それよりも、僕は君について少し聞いてみたいな」

「俺の事ですか?」

「そう、なんでもいいよ」

なんでもいい。その言葉は俺にとって(いささ)か重苦だった。

「すいません、特に何も思いつかないです……俺は誰かに語れるほど苦労した人生を送ってきてないですから」

「そうやって楽な方へ、楽な方へ逃げてきて今に至るって事かな?あとさ謙虚が美徳だと思っているなら、改めた方がいいよ。君の場合、それは諦めや放棄に近い」

「……すいません」

「それだって諦めだろ?君は自分の意思を他者へ理解して貰おうと思ってない。最初から諦めてるからこそ、すいませんだなんて言葉が当たり前のように出てくる」

今度は何も言い出せなかった。……すいませんとも。

「あんまり辛気臭くなるのは好きじゃないから、そうだね。うん、それじゃあ弟君の好きだった事とか探偵っぽく聞いてもいいかな?」

「あいつはゲームが好きでした。俺の影響もあるんだろうけど、実家に暮らしてた頃から一緒にネットゲームをやったりもしてましたから」

「ゲームか……成程ね」

途中の踊り場には花火の燃え滓がセメントの灰褐色と混じって散乱していた。

誰だよ、こんな場所で花火なんかしたのは。と心の中で毒気吐いていると蔵人が再び訊ねかけてきた。

歩みを止めることなく詰問は続く。

「弟君のPCの検索履歴に残ってた意識混濁性消失障害について、彼は君に何か話していたりはしなかったかい?」

太陽と最後にやり取りしたのは、もう一年ぐらい前だ。

当時の会話を思い出そうと、必死に記憶を掘り起こす。

「たぶん、そんな長ったらしい言葉を聞いた記憶はないです。最後に話した時だって、確かネットゲームで仲良くなった友達とオフ会をするんだとか、そんな他愛のない会話しか交わした覚えはないですし」

「オフ会ってのはネット上で仲良くなった人達と実際に会う事を指す言葉だったね。ふむ、気になるな」

それにしても……と蔵人は嫌らしい響きを含めて呟いた。

「大切な弟だと言う割に、全然連絡とかしてなかったんじゃないか。薄情だねぇ」

だからこそ後悔も大きいんだと、せめて心の中で反論してみる。

蔵人は背中を見せたまま、そんな俺の心中を見透かしたような口振りで続ける。

「今更、あの時どうすれば良かったのかなんて考えるだけ無駄だよ。時間の無駄。そんなの手懸かりにもならないさ」

まだ今までに見てきた女子高生のパンツを思い出していた方が有意義だよ。そうきっぱり言い切る蔵人。

「過去は教訓にすべきではあるけど、振り返ってしんみりする為のものじゃあないからね」

大人になれば大人になる程、過去の執着というのは強くなるし、この世の中〈黄泉返り〉なんて神様の需要もまだまだ高い訳だ。

文面を読み上げるかのように淡々と言葉を繋げていく蔵人。

「あぁ、着いたみたいだ」

薄暗い床にやんわりとした明かりが何やら図形を模って滲んでいた。

不変の薄闇を照らす光は、どうやら階段横の部屋から漏れているらしい。

内部の照明が、扉の枠の隙間、それに上部に設けられた不透明なガラス窓から通路まで伸びていた。

「なんだい、これ。ドアノブが外れているじゃないか」

静寂の中、蔵人の溜息が浸透する。

「誰か……居るんですか?」

部屋の照明が点灯しているという事は……誰かが扉の向こうで待っているのだろう。

「言うなら協力者?共犯者?……そうだね、相手は魔術師なんだ」

「はっ?」

何かの仇名(あだな)か?

そう問い掛けてみると、蔵人は俺の予想を裏切る返答を見せた。

「いや、彼は間違いなく魔術師。らしいよ」

「らしいって……」

「ははっ、まぁ僕も初対面だからね。けど、魔術を扱う人間……魔女には会った事があるし、なら当然、魔術師も実在するだろうさ」

「手品でもできるんですか?」

「手品だったらどれだけ嬉しいことだろうね」

彼の名前は「メロウメロウ・フロウメロウ」━━〈可逆の魔術師〉と称される存在だ。

「なんだか……ふざけた名前ですね」

「まったくだね。しかし、困ったな。ドアノブがないんじゃあ、扉を開けることもままならないじゃないか。まったく管理者はどこを見てるんだい」

廃棄されたビルを管理する職があるとは思えないが、実際の所、どうなのだろうか。

孤独な管理人とやらを想像していると、蔵人が「よしっ!!」と何を思ったのか、片足を上げた。

「まさか?」蹴り飛ばすつもりだよ。

今度は予想通り。蔵人は靴裏で勢いよく扉を蹴った。

衝撃が通路内に響くが、扉は蔵人が蹴った部分が僅かにへこむだけで開く気配はない。

「別にそんなことしなくていいってー」

不意に室内より、男性とも女性とも言い難い妙に甲高い声が響いた。

次の瞬間。

前触れもなく、唐突に……扉は幾つもの線を無作為に引いてばらばらと崩壊した。

転がり落ちる扉の残骸を見下ろすと、鋭利な刃物に斬られたかのような滑らかな切断面を覗かせていた。

「よっ、どうも。おはこんにちばんわ」

なんだよ、その挨拶。

声の主を確かめようと……ゆっくり視線を上げる。

「……っ」

部屋の中央には弱々しい明かりを灯す電球式のスタンドライトが置かれており、その奥には安っぽいデスクワークが見える。

デスクワークの上に開かれたままのノートパソコンがあり、そのすぐ隣に尻を載せて座っている青年がいた。

そして……。

青年の足元。

幾つかの部品に切断されたパイプ椅子らしき破片に混じって、床に何かが散乱していた。

あれは……。

赤黒い液体、白い突起物、肌色の肉片、黒い毛髪。


━━人間……なのか?

そう気付いた瞬間、喉を逆流する感覚が続いて濁った吐瀉物を床に撒き散らしていた。

中々収まらない発作に目尻が涙ぐみ、口の中が酸っぱい臭いで満たされる。

「あーあ。汚ねぇの」

よっ。と青年は机から飛び降り、飄々とした足取りでこちらへ数歩滲み寄った。

「そこに散らばっているのは、メロウメロウ・フロウメロウだね?」

蔵人が無感情に問い掛けている。

「ん、あぁ。そうだよ。〈可逆の魔術師〉なんて呼ばれてるみたいだし、どれほどの奴かなって期待してたんだけど。期待外れも甚だしいね。あ?勘違いすんなよ。僕、俺はさぁ道楽で殺してる訳じゃないんだぜ。これも仕事だって。依頼だよ。ご飯食べる為に仕方なくやってんの。まぁ、これでまた、しばらくはゲーム三昧、ひきこもりニートライフを満喫できるぜ」

ようやく発作も落ち着き、メロウメロウ・フロウメロウらしき残骸をなるべく見ないようにしながら、青年の姿を確かめた。

自分と同年代くらいだろうか?

色素の薄い茶髪は耳元を覆い隠す程度の長さで、前髪の右側に黒いメッシュが二本混じっている。

右耳には痛々しいくらいピアスが隙間なく並んでおり、手首も右側だけ色彩豊かな石の輪を幾つも通している。

薄っすらと紫色の無地のシャツに赤と黒のチェックのベストを重ねており、下半身はほっそりとした黒いスラックスを履いている。

「殺し屋か」

蔵人の潜めた声に、青年は不敵な面持ちで名乗り上げる。

「ほとんど引退してるけどな。けど、これも何かの縁だし、もし殺したい奴が居たら遠慮なく言ってくれていいぜ。今はもう木葬家とは関わりもないから、名乗っても殺さなくていいしな。僕、俺は(くぬぎ)。殺すことでしか何も成し遂げられない人間放棄者だ」

「椚……?君が?」

俺はただ呆然と二人の会話の成り行きを見守っていた。

「ん、あれ知ってた?あんまりこっちの名前を知ってる奴は居ない筈なんだけどなぁ。あ、忘れてた。いや、全然関係ないんだけどさ、あんたら、メロウメロウ・フロウメロウが待ち合わせしてた相手なんだろ?いやさぁ、さすがの僕、俺も魔術師とか魔女ってあんま良い思い出なくて、ちょっと怖かった訳。で、生殺与奪?先手必勝?ガンガン行こうぜ?の作戦で、出会い頭に殺しちゃったんだ。だから、こいつがどうして僕、俺に殺されたのか、どうして、依頼人はこいつを殺したかったのか。ちょっとさ、興味があるんだよね。なぁ、あんたらに聞けば分かるよな?」

捲し立てる様に早口で、でも時折、言葉を選ぶ様に停止して、酷く不安定な話し方で椚は俺達にそう投げ掛け……愉快そうに笑った。






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