第二十九話:ち:終わり
第二十九話
過去一度、血を一切吸わなかった吸血鬼がいたらしい。それって吸血鬼なのか?と言われればなんとも言えないもんだけど身体調査によるとちゃんとした吸血鬼だったそうだ。血を吸わない吸血鬼がどうなるか…答えは簡単、本来の吸血鬼の寿命よりはるかに劣る年齢で衰弱、死んでしまう。ただまぁ、吸血鬼の寿命なんて本人が生きようと言う意思があれば何とかなりそうなもんだけどな(長い年月の間で心変わりし、死を望む吸血鬼もいるそうだ)、その吸血鬼は八十四歳で天に召された。
俺のお泊まりを青木家の面々は喜んでくれた。特に、妹の由香ちゃんが一番喜んでいるようにも見えた。
「あ、あの、今日してくれるんですよね」
以前こんな事を言われたら千華からどんな目にあわされているか想像した自分がいたことだろう。
「由香、駄目よ。義人君はそんなことしないんだから」
「え…でも吸血鬼は仲間を増やしたがっているって義人さんとお友達の老吸血鬼に言われたもん」
「……由香ちゃん、詳しい事を教えてくれないかな?」
俺の推測が正しければあの老人から言われたのだろう。だとしたら、やはりあの吸血鬼を討たねばならない。吸血鬼の事は普通の人間に教えるべきものじゃないのだ。
その理由の一つに迫害の歴史がある。みんながみんな吸血鬼を滅ぼしてしまえなんて思わないだろうが、少しの期間だけそう言った事があったらしい。NKKの古株は『あの頃は怖かったよ、だって十字架逆さまに担いで追っかけられたんだからな』と語っている。
「その老人は他に何を言っていたのかな」
「うーん、吸血鬼になったらすごく楽しい人生が待っているんだって言われました」
「そんなバカな…」
「ああ、それならあたしもそう思うなぁ」
「千華まで何をバカな事を言ってるんだよ。人間を吸血鬼にするのは色々と面倒なんだぞ。由香ちゃんがさらにやる気になってるじゃないか」
妹の教育によろしくないだろうに。
「だって、義人君とか空飛べるし、すごく強いしこれなら正義の味方になれるんだもん」
「確かに、空は飛べるし、すっごく強くなれる。でも、日光が危険なものになるし、日中ねむくなったり面倒なことになるんだぜ?」
「でも、義人君は日光平気じゃん」
「そりゃまぁ、日焼け止めを塗っているからな」
「日中も眠ってないじゃん」
「それは慣れだな」
「じゃあ慣れれば……」
由香ちゃんが俺に首筋を見せるが俺は首を振った。
「そうもうまくいかないんだよ。吸血鬼になった時点から慣れないといけない。慣れた俺だって一カ月に一回ぐらいは昼間に猛烈に眠くなってその場で寝ちゃうぐらいだからな……」
「でも、私を吸血鬼にしたら義人さんが……世話をしてくれるんでしょう?」
そう、それが一番面倒な事なんだよ。人間を吸血鬼にすると吸血鬼が人間の世話をしなくてはいけないのだ。以前にも言った書類等の世話から規則事項、吸血鬼になってから何年の間は新たに吸血鬼にしてはいけないなどなど…自分の世話すらまともに見る事の出来ない人間が犬を飼ったらどうなるか想像はつくだろう。
「俺は嫌だね。由香ちゃんは人間のままの方がいいと思うぜ…」
「……ぶぅ」
「膨れても駄目だ」
不満そうに俺の方を見る由香ちゃん。面倒みるのが苦手な俺は絶対に人間を吸血鬼にしないだろうな。
「じゃああたしなら吸血鬼にしてくれるの?」
突如として飛んできた横やり。
「は?」
「だ~か~ら、あたしなら吸血鬼にしてくれるの?」
「なんで?まぁ、千華の場合は『空を飛びたい』とか『正義の味方になりたい』とかそんなのばっかりだろ?」
「まぁ、そうだけどさ、この前の学校事件で義人君の力になれたらなぁって思ったんだよ。すっごくかっこよかったもん」
「……はぁ」
「あの事件、その老吸血鬼の人が起こしたって言ってましたよっ」
「え、本当かい?」
由香ちゃんはこっくり頷いた。
「うん、手引きしたのは自分だって。獲物を横取りされたのが悔しかったから滅茶苦茶にしようとしたって言ってました。私が聞いたのはこれで全部です」
「獲物……?」
俺がこの町にやってきて他の吸血鬼の獲物を奪い取った事はない。大体支給された血で我慢していたからなぁ。
横から俺の事をジト目で見てくる人物がいた。
「な、何だよ」
「義人君、この町の吸血鬼を捕まえるとかいいながら女の子襲ってたんだ?」
「お、襲ってねぇよ。そりゃ俺だってちゃんと活きのいい血を飲みたいけど我慢してパックの奴を飲んでいたんだからな」
「へぇ~って、冗談だよ。多分、あたしと最初に会った時の吸血鬼がそのおじいさんだったんだよ」
「……あ、そうか」
なるほど、吸血鬼が吸血鬼の邪魔をしたと言うのなら…そして、放課後一緒に登下校しているのなら獲物を盗られたと思うだろうな。
「でも、今更あたしを狙ってくるなんてどうしたんだろ」
「……古い考えの吸血鬼だろうからな。どうしても血が欲しかったんだろ」
「え、あたしの血ってそんなにおいしいのかな?ああ、若いからか…うんうん、そう考えるとちょっとだけ嬉しいな」
俺としては千華の血なんて飲んだら熱血フルパワーになって頭がおかしくなるんじゃないかと思う。青虫だってキャベツの葉を食べずに人参食べていれば色が変わるんだからそうなるだろうに……まぁ、吸血鬼がどうなるかは知らないけどな。
「ともかく、今日はそろそろ寝てくれ。俺は屋根にいるから」
「え?一緒に寝ないの?」
「寝るわけないだろ」
しっかりと準備された三つの布団を指差される。
「寝ようよ」
「じゃ、行って来る」
寝ようよーという声を無視して俺はさっさと屋根まで登った。ここなら吸血鬼が来ればすぐにでもわかる。
しかし、屋根の上には既に先客がいた。こんな時間帯に人さまの家の屋根に昇っているような奴に碌な奴はいない。
「……」
「ほっほっほ、若い頃の自分を見ているようじゃ」
月明かりに鋭い犬歯がきらりと光る。芸能人は歯が命ってCMそういえば前にあったなぁ…。相手が吸血鬼なのは間違いないだろうから俺はさっそく説得コマンドを選んだ。
「質問があります」
「わしがお前さんの話に付き合ってやるのは五分間だけじゃぞ」
勝手な爺さんだ。ともかく、全く素性のわからない相手だから下手に断ったりしたら面倒だ。説得できるものも出来なくなっちまう。
「あなたがこの町の吸血鬼事件の犯人ですか?」
「そうじゃ…と、言いたいところだがこの町で事件を起こしていた吸血鬼は別の吸血鬼によって滅ぼされたわい」
「……本当ですか?」
「本当じゃ。この近くの高校、そこで息の根を止められたどころか血痕しか残らんほどに滅茶苦茶にされたんじゃよ」
一見すると目の前の老人が嘘をついているようには見えなかった。ただまぁ、やっぱり怪しいので心の奥底から信用はしていない。
「じゃ、じゃああなたは何者ですか」
「血に狂って事件を起こしまくった吸血鬼の相棒じゃよ。わしの寿命ももう少ない……ばあさんをやった吸血鬼に仕返しをしたくて関係のないお前さんを襲おうと考えておったんじゃ」
とんでもねぇ爺だ。
「そろそろ時間じゃな」
「ちょ、ちょっと待ってください」
「そこに剣がある」
爺さんが指差す先には二振りの銀の剣が屋根に突き刺さっていた。月明かりを受け、眩く輝いている。
剣を握り、俺に切っ先を向ける。子供の頃はちゃんばらで遊んでいたもんだが……それはあくまでおもちゃであって本物ではない。
「わしという吸血鬼をその身に恐怖で刻んでやろう……」
先ほどまでの優しそうな爺さんはどこへやら……狂気に満ちた瞳はしっかりと俺を捉えて離さない。
「ま、待ってくださいってば。俺はあなたと争う気なんて…」
「別にわしはそれでも構わんよ。吸血鬼にもできなかった人間の小娘なんぞにもはや用もない。それを決めるのはお前さん次第じゃ」
「……」
別に手元にいなくたって吸血鬼がその気になれば屋根を貫いて下で寝ている人間を一発で昇天させることぐらい簡単なことである。
ともかく、爺さんの都合で由香ちゃんの事を吸血鬼にしたかったらしい。
「…なんで由香ちゃんの事を吸血鬼にしたかったんですか」
「簡単じゃよ。さっきも言った通り、わしの寿命はもうないと言ったほうがいい…わしという存在を覚えておいてもらう為の伴侶も吸血鬼に殺され、このままではわしはこの世界から存在しなくなってしまう」
死んだら……そうなるんだろうけどな。狂気に満ちた者が何を言っても理解できないし、理解しようとも思わない。
「お前さんにはわからんじゃろう。長く生き過ぎた、考え方の違いかもしれん」
呆然と立ち尽くす俺に爺さんは一瞬だけ優しい笑みを見せた。
瞬きを終えた俺の瞳に映るのは狂気に満ちた爺さんだった。彼は剣を構え、迷うことなく一歩踏み出してくる。俺も慌てて剣を引っこ抜くととりあえず構えてみた。一応、心得はあるんだけどな。
互いの剣が触れるか、触れないかの時に爺さんは大きく体を動かし、へたれな俺は後ずさり、体勢を勝手に崩した。
やられる……
そんな言葉が真っ先に頭に浮かぶ。次に浮かんでくる言葉は何故だか知らないが千華に対する謝罪の言葉だった。
目をつぶることなく、せめて切りかかってくる相手の顔を見続けようとしっかりと目を開けていた。老人の剣は俺のすぐわきへとそれ、屋根を貫いて爺さんはそこへと倒れ込む。
「………」
爺さんの体は全く動かず、俺も動けなかった。
俺は手に持っていた剣をへし折って捨てた。再び爺さんの方を見るとさっきまであった身体はどこにもなく、服だけが残っていた。
「まさか素っ裸になって逃げたとか……いや、ないか」
吸血鬼が寿命を迎えたらどうなるのか、俺はよく知らない。爺さんが死んでしまったのか、それともどこかへ行ってしまったのか定かではないけどこのまま屋根の上にいると言うのも変な話だろう。
事実上、これで羽津吸血鬼事件は終わったと言う事になる。
いまいち消化不良が否めない事件が終わり、二学期になった。
「というわけで、羽津吸血鬼事件は関係していた吸血鬼全てが死亡したと言う結果になりましたとさ」
「そうか、ご苦労だったな」
俺は二学期初日から学校をさぼってこうやってNKK理事である親父に報告していたりする。ここ一週間、ひっきりなしにかかってくる千華からの電話を全部無視。俺は事件が終わったと言う事を手紙で送っただけだ。そして、夜逃げに近い引っ越しをしてこっちに帰ってきたのだ。
「アパートのおばちゃんにはちゃんと挨拶してきたんだろうな」
「そりゃまぁしたけどさ」
「そうか、後はお前の問題だからな。別にあちらの高校でもよかったんだぞ」
まるでフランケンシュタインの怪物みたいな親父は顎を撫でている。
「いや、俺もあっちでよかったんだけどさ、色々とあるんだよ」
「色々って何だ?女絡みか」
「違う」
「ともかく、電話がかかってきているのだからちゃんと出てあげるのが紳士のたしなみだぞ」
にやにやしながらこちらの方を見てきている。何か企んでいるんだろうか。
「電話が終わったらまたこっちに来てくれ。新しい事件が起こったからな」
「わかったよ」
それだけ言って退室することにした。親父の言うとおりそろそろ電話に出たほうがいいかもしれない。
「………はぁ」
怒られるだろうなぁ、絶対に。ともかく、出てちゃんと謝ろう。
かかってこないのならそれが一番いい事なのだ。しかし、結局はかかってきた。
「……もしもし?」
『もしもしじゃないよっ』
鼓膜をつんざくような声が襲ってくる。耳をふさいで逃げ出したくなった。あの青空の向こうへ両手を広げて飛んでいきたい……。
『なんで電話無視するの?』
「いやー、ほら、説明するのが面倒って言うか…それに由香ちゃんから吸血鬼にしてほしいとか言われたらかなわないからな」
『じゃあ、なんで転校してるの?いきなり二学期始まって転校しましたとかクラスのみんながポカーンとしてたよ』
今世紀最大のポカーンだよ、千華は吐き捨てるようにそう言っていたのだが、俺にはいまいちわからない。
「いや、もう無理だって。俺もNKKの一員だからな。悲しい事だけど、また新しい事件があったんだよ。ほら、俺って正義の味方的な事やってるからしょうがないんだよ」
苦し紛れの嘘だったけど、千華に対しては絶対的な効果があるはずだ。
『そっか…』
電話の向こうからは納得していないけど諦めたような声が漏れてくる。少しだけ心がいたんだけどしょうがない。
『じゃあ、手伝うよ』
「え?」
『あたし、義人君の相棒だよっ。だからあたしも手伝うよ』
これに対してどう切り返したらいいのかわからなかった。そんな時、俺の手から携帯電話を取り上げる人物が約一名、いた。
「あー、もしもし、千華ちゃん。実はまた新たにそっちに吸血鬼が現れてね。ああ、そうだ。またそっちの高校に転校することになるから義人の事をよろしく頼むよ」
「お、親父っ」
片目をつぶって俺を笑っている。似合わないんだよっ。
「ああ、そうだ。じゃあ、よろしく頼むよ」
勝手に電話を切ってしまった。
「な、何してくれてるんだよっ」
「これは命令だ。今日中に支度をして、いや、後日荷物は送ってやろう。すぐに飛んで行け。今回は協力者が既にいるからな。こちらで下宿先を決めている」
「もしかして…」
「そうだ」
約一時間後、俺は千華に会って頬を思いっきりぶたれて抱きしめられた。
~終~
千華編終了です。短い間でしたが読んでくれた方々ありがとうございました。