七話
トイレの中でズボンを降ろし、瑞希は今日何度目かわからないため息をつく。
股間にぶら下がる男性器。いつも通りのはずなのに、瑞希の感覚が強いせいか、少し違和感がある。
その違和感を忘れるように、硬いような、柔らかいような、不思議な触り心地のそれを支えてさっさと生理現象を処理する。
そういえば、ミズキは今までこれを排泄以外に意識して使ったことがなかった。
(これが勃起不全ってやつ?)
大きいのか、小さいのか分からないそれをしまって、瑞希は手を洗う。
今まで、性欲という感情が希薄だった。それはミズキと瑞希、どっちも同じだ。
瑞希は二回、男と交際したことがある。高校生の時と、大学生の時。でも、高校生の時はごっこ遊びのようなことしかせず、受験勉強が忙しくて自然に別れてしまった。大学生の時は、その相手が付き合って一週間も経っていないのにやたらと体を接触させようとしてくるのが気持ち悪くて別れ、それっきり誰とも付き合っていない。
だから、瑞希とミズキ、どっちも性的なことは未経験だ。
ミズキは一度だけ女の子に告白されたことがあったが、小さい頃だったので、子供をそもそも恋愛対象に見えず、曖昧な返事をした記憶がある。
じゃあ男が好きなのかと言われるとそれも微妙だ。カッコいいとは思うが、それ以上の感情を抱けない。
そもそも、瑞希が付き合った相手は、どっちも向こうから告白されて何となく付き合っただけで、その相手が特別だったかと言われると違う気がする。高校生の時に付き合った相手はそれなりに仲良かった記憶はあるが、キスさえせずに別れてしまったから、それが恋愛感情だったかどうかは分からない。
……まあ、そんな事、今はどうでもいい話だ。
瑞希はベッドに戻ると、横たわり目を閉じる。
(こっちに移住しても良いかも知れないな)
どっちにしろ、パーティーから追放されたミズキにあの街での居場所があるとは思えない。「銀の覇者」はそれほどまでに有名で、ダジルにバレたらまた街の外に放り出されてしまいそうだ。
もうあんな暴力を受けるのは懲り懲りだ。いくらすぐに治るからって、痛みがなくなるわけじゃない。
リバーの街は、見た所雰囲気が悪くなさそうだし、それも良いかも知れない。戦うなんてできないし、いっそのことここでのんびり生活するのもいい。
瑞希はそんな事を考えながら眠りについた。
◇
暖かい日差しを身体に感じて、瑞希は目を開ける。
(朝……?)
ゆっくりと体を起こすと、大きなあくびが出る。
体をぐんと伸ばすと、ビキビキと身体の内側から音が鳴って、ぼうっと壁を見つめる。
ここは、瑞希の家でも、ミズキの家でもない。違う景色が視界に映って、ぼんやりと「ここはどこだろう」と思考する。
(ああ、そうだ、死んでから、追い出されたんだ)
車に突っ込まれて、追放されて、殴られて……。昨日はいろんなことがあったが、こうして宿で一夜を明かすことが出来た。
(というか、やけに落ち着いていたな)
こういう状況になった人は、もっと混乱して「うわああ」みたいに叫ぶものじゃないんだろうか。
やけに冷静だった自分が少し面白くて、思わず笑いが溢れる。
寝ぼけ眼をこすって、瑞希は顔を洗い、下に降りる。
「おはよう。よく眠れたかい?」
「おはようございます」
「昼まで寝てるから起こしに行こうかと思ったけど、疲れてるだけだったみたいだね。ほら、よかったらご飯食べなさい。サービスだよ」
「ありがとうございます」
オーナーのディナに声を掛けられ、今が昼時だという事を知る。確かに周りには客らしき人がいて、静かにご飯を食べている。
少し驚くが、それだけ疲れていたのだろう。
ちょっとまってね、と言われて席に座って待っていると、ぐぅ、とお腹の音がなる。
「ああ、おはよう。やっと起きたのか」
ビルがやってきて、瑞希の隣に座る。その手にはなにか大きい荷物、恐らく獲った魚だろう。
ビルはディナと一緒に店を営む一方で、魚の卸販売をしているそうだ。
ビルと会話しながら少し待つと、ディナがご飯を持ってきた。
焼き魚と味噌汁――瑞希に馴染み深い、日本の家庭料理そのものだ。
どうやらリバーの街は、かなり日本食に近い料理が食べられるみたいで、今のところそれが結構気に入っている。
マウントの街の食べ物が不味いというわけではないが、特徴的なスパイスの味がして、ミズキの単純な舌には刺激が強かった。
「美味しい」
「それならよかった。マウントの街から来たって聞いたから、口に合わないかもって考えてたんだが、気に入ってくれたみたいだね」
「はい。毎日食べたいくらいです」
「おいおい、ディナを口説くつもりか?」
「はは……」
「馬鹿なこと言ってミズキを困らせるな」とディナがビルの頭をゴツンと叩く。「痛ーい!」とビルの声が響いて、瑞希は思わず笑う。
「それで、ミズキはここに住むのかい?」
「うーん。考え中です。それもいいかもしれないなとは思ってます」
「そりゃあいいが、そんな簡単に決められることじゃないだろ」
「まあ、親も亡くなって、そこまで未練がないので」
昨日、瑞希がここへ来た事情を少し話すと、ディナがそれならこっちに住んだらいいと冗談交じりに言った。
リバーの街でもマウントの街は冒険者が沢山いる街だという認識で、マウントの街出身だと言うと、ミズキの体をじっと見てから、「苦労したんだねぇ」と励まされてしまった。
「友達とか、心配してるんじゃないのか?」
「あー、その友達に追い出されたので……」
「そりゃあ、災難だったな」
「はは……」
リンナは少し心配しているかも知れないが、ダジルに説明を受けているはずだ。きっと今頃「ミズキの自業自得ね」と納得しているだろう。
ご飯を食べながら、二人と会話をしていると、入口から若い女性が入ってくる。
「あ、来てくれてたんですね!」
その女性は、昨日、瑞希に対応してくれたギルドの職員だった。
昨日はオレンジ色の長い髪を一つにまとめていたが、今は下ろしている。
なんでここにいるんだろうと驚いていると、その女性がこちらに向かってくる。
(この世界の人の髪は、やけにカラフルなんだよな)
漫画の中の世界だからなのかも知れないが、鮮やかな色が髪の根本から生えている人を見ると、不思議な気持ちになる。
ミズキは瑞希と同じ真っ黒の髪だから、余計にそう思うのだろう。
「この二人は、私の祖父母なんです。あ、自己紹介がまだでしたね。私はメグって言います」
「ミズキ、です」
だからここを「おすすめの宿」なんて言っていたのかと納得していると、ディナが呆れたようにため息をついた。
「また、お客さんへここにくるように言ったのかい?」
「違うよ! 宿を探してるって言ったからここがおすすめって言っただけ!」
「職権乱用ってやつじゃないのかい?」
「違うから!」
メグはムッとした顔でディナに言い返す。
なんとなく、裏の顔を見てしまった気がして少し目を逸らすと、メグが瑞希を見てえへへ、と照れたように微笑む。
「僕も、いい宿だと思います。ご飯も美味しいし、部屋もきれいだし。メグさんに教えてもらって感謝してます」
「ありがとうございます!」
「なんでメグが感謝するんだい……」
ディナの呆れたような声が響く。
「ところで、ミズキさんの着てる服……」
「ああ、なんかボロボロの服を着てたから、メグが置いてた服を渡しちゃったよ」
「え」
思わずメグを見ると、「き、気にしないでください」と気まずそうに微笑まれる。
「ごめん」
「大丈夫です。大きすぎてあんまり着てない服なので……」
まさか、メグの服だとは思わなかったので、謝罪の言葉を口にするが、気を使われてしまったようだ。
ディナも、善意からの行動なのは分かるが、せめてビルの服にしてくれればよかったのに。
文句を言える立場じゃないのでそれ以上は言及しないが、メグはチラチラとこっちを見ては、なんとも言えない表情をしている。
「今日はギルドに行かれるんですか?」
気まずい雰囲気が流れる中、メグが新しい話題を投げかけてくる。
「……取り敢えず、街を見てみようかと」
「そうなんですね。確か、ミズキさんってマウントの街出身なんですよね」
そんな事を言っただろうかとメグを見つめると「あ」と声が聞こえる。
「……すみません、ギルドカードを見ちゃって」
「ああ、気にしないでください。二人にも事情を話しているので」
すると、メグがそわそわとこちらを見るので、瑞希は簡単にここへ来た事情を説明する。




