六話
瑞希は宿の部屋で一息をつく。
あの後、キュアと連絡先を交換したいと思って、しばらくの間ギルドの中で探したものの、見つけることが出来ず、仕方がないので外に出た。
そして、何箇所か地図のマークを確認しながら宿に向かったが、どこも満員で、結局、最後に職員の人が言っていた「おすすめの宿」に向かった。
地図が指し示した場所は、ちょっと薄汚い雰囲気の小さな建物だった。だけど中は綺麗で、人は少ないけれど、陰険な雰囲気があるわけでもない。瑞希が泊まりたいと言うと、オーナーのディナは少し驚いた顔を見せた後、快く了承をくれた。
部屋は二階にある。風呂トイレ完備で、意外と広い。でもかなり安めの値段で、懐に優しい。
ディナとビル、夫婦で営んでいる小さな宿らしく、二人は若く見えるが、恐らくおばあちゃんとおじいちゃん程の年齢だ。
ここは宿としてより、食堂としての知名度が高いらしい。確かに、看板には食堂と書いてあったような気がする。実際、中にいた数人は泊まっているわけではなく、ご飯を食べに来た近所の人が大半のようだった。
よそ者が行く場所じゃなかったかと緊張したが、ご飯を食べていないと言うとすぐに料理を用意してくれたし、瑞希の汚い服を見て、着替えなさいと服を渡してくれた。
「いろいろ、疲れた」
渡してくれた服を着て、ベッドに腰掛ける。少し小さいけれど、服がかなり汚れていたのでありがたい。しかも洗濯をするからと汚れた服を持っていってしまった。
今日起きたことはあまりにも非現実的なのに、なぜか順応している自分がいる。
急に殴られて、街から追い出され、瑞希の記憶がもう一度入ってきて……。ヴォルのあの顔を思い出して、思わず背筋が寒くなる。
殴られた所は痛くないし、怪我もない。殴られた時の記憶さえ無くしてしまえば、何もなかったと同じなのに。
でも、殴られている時はかなり朦朧としていたので、記憶がないのとほぼ同じ……かもしれない。
着替える時に見た身体は、良く知っている「ミズキ」の身体だった。細身で骨ばっている男の体。間違っても女の体じゃない。
「変な感覚だ」
これまでのことを纏めるとつまり、一つの体に二つの記憶がある。というより、「ミズキ」の身体に何故か「瑞希」の記憶があるといったほうが正しいのかも知れない。
「人を形作るのは、記憶?」
考えすぎて、変な考えがよぎる。「瑞希」の記憶がある「ミズキ」は「瑞希」なのだろうか。ある男女の中身が入れ替わるアニメを見たことがあったが、中身が入れ替わっているというより、記憶が入れ替わっているという方が厳密には正しいんじゃないだろうか。
ミズキは男だ。昔は自分の性別の認識が曖昧だったが、やっぱり男なのだ。一方で瑞希は女だ、間違いなく女だった。
二つの記憶を持っている今の瑞希は「瑞希」であり、「ミズキ」……なのだろうか。頭の中がぐるぐるしてよくわからない。
ふとミズキの昔の記憶を思い出す。小さな頃のミズキは、あることを考えていた。
――人は案外、見た目、外面しか見ていない。
ミズキの中にもう一つの記憶があっても、他人はそれを理解出来ないし、確認することも出来ない。
ダジルはイケメンで、たまに女の子に話しかけられているのを見たことがあるが、それはイケメンだからであって、男だからじゃない。仮にダジルが女であっても、女の子に話しかけられることはあるんじゃないだろうか。
大人っぽいなんて言葉があるが、それは子供にしか掛けられない言葉だ。
子供が「自分には大人の記憶がある」と言っても、周りはそれを信じないし、実際そうだった。小さな子供が言う荒唐無稽な言葉は、ただの冗談と考えるのが普通だ。
暴力を受ける前から、ミズキはヴォルに恐怖を抱いていたが、それは自分よりも大きな体だったからだ。
アルバイトをしていた時、瑞希は客によって対応を変えることがあった。乱暴な客には刺激しないよう振る舞うし、優しい人には優しく振る舞う。
もし乱暴な客が実は焦っていて、なんて言う事情があったとしても、それはどうでもいいし、興味もない事だ。迷惑客として頭の中で記憶するのが普通だろう。
結局、皆見た目や外面で人を判断しているし、瑞希もそうだ。それが自分を守る為、生きるために必要な考え方でもある。
だって、誰かの心の内なんてその人以外にはわからない。
言っている事、やっている事と思っていることが違う事は珍しいことじゃない。「嘘」という言葉があるくらいなのだから。
よかったのは、瑞希はそこまできらびやかなものを好まなかったことだ。一応、男女で身につけるべきものが違うという価値観がそこまで凝り固まっている世界ではないようだが、女は可愛い格好をしている人が多いし、男はかっこいい格好をしている人が多い印象だ。
キュアみたいに可愛らしいものが好きだったら、もうちょっと悩んでいたのかも知れないが、男として生きることに不便を感じたことはない。髪型も短いほうが好きだ。
ただ、恋愛観というのが微妙なもので、ミズキは男女どっちにも恋愛感情を抱くことが難しかった。
この世界の恋愛の考え方は、ミズキが生まれた田舎の方だと結構古臭い考え方だが、中心街などに行けば、結構先進的だ。
先進的と言っても瑞希から見たら先進的なのであって、この世界では普通のことだ。
男同士で恋愛している人、女同士で恋愛する人、そもそも結婚という制度が曖昧なので実際の数がどうなのかは知らないが、そこら辺の差別みたいなのはない……と思う。むしろ開放的な人が多くて、一度マウントの街の冒険者ギルドで「俺はこの魔物と結婚する!」と言って、死にかけの魔物を掴んでいた女を見たことがある。流石に止められていたが、それも「危ないので許可できない」という理由だった。
それより、この世界は「能力至上主義」なところがある。
凄い能力をもっていれば崇められるし、そうじゃなければ凡人扱い。他人を害する能力を持っていれば、国から保護、監視されることもある。
ミズキは一般家庭に生まれたおかげで能力の内容で何か言われることはなかったが、家柄の良い人だと、そこら辺で結構な苦労があるらしい。
「一人だな」
マウントの街に帰るべきなのか考えて、瑞希はため息をつく。
ミズキの母は小さい頃に病気で亡くなって、父もちょっと前に亡くなった。
父はミズキの為に前からいろいろと準備をしていたようで、手続きをしていくと、終わった頃には、実家が綺麗サッパリなくなってしまった。
父が死んだ頃にはとうに一人暮らしをしていたので問題はない。ただ、小さい頃に住んでいた家が無くなっただけだ。
でも、そのせいかマウントの街にそこまでの未練というものがない。
ただ、形見の時計と、家族の写真は取りに帰りたい。今、帰る勇気はないけれど。
幸い、家賃は自動的に払われるはずだから、しばらくは大丈夫だろう。
(瑞希は死んだってことだよね)
あの時、確かに死を実感した。即死だったのだろう。じっくり痛みを感じながら死んだわけじゃないのだから、それで十分だ。
瑞希の両親は健在だ、今頃死んだ娘を見ているのだろうか。
行動を確認されるだろうから、兄は自分の漫画を見ている妹を見てショックを受けているかも知れない。
「はぁ」
瑞希のことを考えても無駄だ。だって死んだのだから。死人に口無し。ミズキのことを考えよう。
(なんかおかしい)
ダジルはちょっと口が悪いところはあるが、あんな風に人を罵るのはあの時が始めてのはずだ。
それに、ヴォルの反応に違和感がある。ミズキはヴォルと会話をしたことがないのに、あそこまで嫌われる理由が分からない。それはシルヴァも同じだ。
そういえば、ここは瑞希の見ていた漫画の世界に似ている。じゃあ、ここは漫画の中の世界ということなのだろうか。
なら、この世界は作り物とでもいうのだろうか。でも、これまでの二十二年間の「ミズキ」としての記憶は本物だ。
「はぁ……」
いろんな考えが無数に湧いて、頭の中を埋め尽くしていく。考えてもわからない、取り敢えず今日は休みたい。これからどうするのか、考えるのは明日でいいだろう。
寝ようとした瑞希は催したものを処理するべくトイレへ向かった。




