第六話
「よし、着いたぞ」
ババルルに揺られること五分程で、宿に到着する。その道中。ジンが「マリが妊娠中なのに動き回るせいで、一度倒れかけたことがある」と。「だから、開店準備をすると言って聞かなかったマリを頑張って説得したんだ」と、ため息混じりに教えてくれた。
瑞希はぎゅっと握った手を下に降ろして、目をつぶったままジンに降ろしてもらう。
それでも怖くてぎゅっとジンの服を掴んでいると、マリがババルルを遠くに移動させたと教えてもらって、ゆっくり目を開ける。
「ありがとうございます」
「気にすんな。ああ、今日のチップを渡すから、はい」
「……ありがとうございます」
日雇い労働や短期のバイトをすると、たまに依頼者から給料とは別にチップを貰うことがある。でもそんな事をする依頼者はかなり少なく、瑞希もジンで数回目の経験だ。
やはり、ジンはかなりの人格者だ。
「マリさんにも、ありがとうございましたと伝えてください」
「おう。明日も朝から大変だろうが、よろしく頼む。もし何かあったら気にせず休んでくれていいから。体を一番に考えてくれ」
「はい」
言い終わると、じゃあな、とジンは踵を返す。
ジンがマリの元へ向かうのを見ながら、瑞希は物思いにふける。
(いいな)
瑞希とミズキ、どっちも結婚願望があったわけじゃないが、幸せな人生というものに憧れはあった。
ジンとマリは、とても仲睦まじい様子だ。破天荒なマリと、それをどうにか制御しようとするジン。予想とは違ったが、ああいうのが深い
愛し、愛される。瑞希の両親とミズキの両親、どちらも仲が良くて、幸せな家族だったと言えるだろう。瑞希も家族というものに憧れがあるが、実際どっちに憧れているのか、自分でも分からなかった。
(女の人と結婚して、子供を作って。男の人と結婚して、二人でのんびり過ごして……)
どちらもしっくり来ない。二十二年間ミズキとして生きていた記憶の中でも、その答えをついに見つけることはなかった。
(一人でのんびり過ごすのも悪くないんだけど)
愛する人と出会えるのは奇跡だ。それは性別云々とは関係ない。瑞希だって二十二年間、他人と愛で繋がることはなかった。
まあでも、人生は長いのだから、そういうのはもう少し気長に考えべきことなのだろう。
(のんびりしてたら、瑞希は死んだんだけどね)
瑞希の記憶が次々と頭に浮かんできて、瑞希の家族に会いたい気持ちが湧き出てくる。
(戻ろう)
ぼうっと考え事をしていたが、とうにジンとマリはいなくなっている。明日のためにも早く休もうと、瑞希はようやく宿に向かった。
◇
「よし、今日も終わったな」
「これで、殆どの荷物はなくなりましたね」
二日目のアルバイトは特に問題なく終了した。大きな荷物は全部なくなり、小さな荷物がいくつかホコリまみれの床に散らばっている。
「今日は、マリに『家から出るなよ!』って言ってるから、悪いが他ので帰ってくれ」
「はい。マリさん、体調は大丈夫なんですか?」
「ああ。あの様子だと動き回ってるうちに、ポンと赤ん坊が生まれそうだって医者に言われてるから、頑張って家に閉じ込めてるんだ」
ジンの言葉だけ聞くと、確かにDVの二文字が頭によぎるが、マリジンの言っていることが理解できてしまう。
「大変ですね」
「ああ。大変だよ」
困り眉で笑うジン。仕事中、マリは冒険者としてなかなか派手に生活していて、昔から振り回されるのが常だと教えてくれた。
苦笑いで「いつも、物足りないって言ってひたすら魔物を狩るもんだから、ついていくだけで大変だった」と答えるジンは、少し嬉しそうだった。
今日はキュアが会いに来る日だ。帰る頃には七時になっていると伝えたが、それでも会いたいと言われたのできっと来るのだろう。
瑞希は急いで帰宅の準備を始めた。
◇
帰り道、馬車に乗って帰ると、宿の前にキュアが待っているのが見える。
今日は珍しく白色のワンピースを着ているが、ピンク色の髪の毛によく似合っている。
「こんばんは。もう来てたんだね。待った?」
「う、うん。ちょっと早めに着いちゃっただけ」
「それは良いんだけど……」
そういえば、なにか用事があるのだろうか。聞こうとすると、キュアが寒そうに腕をこすっている。
今日は少し肌寒い。外でずっと待っていたのであれば尚更だ。
「寒いよね。よかったら、僕の部屋に入る?」
「え、っと。うん。ミズキがよければお邪魔します」
そう言って、二人は瑞希が泊まっている部屋に入る。
「ごめん、多分臭いよね」
部屋に入る前、キュアが足をとめてこちらを見る。外だと流れていくかも知れないが、屋内だと瑞希の汗臭い匂いが充満してしまうだろう。
「う、ううん。そんな事無い! いい匂いだよ」
「……いい匂いではないと思うけど、臭かったら言ってね」
変な気の使い方をされて、思わず笑いがこぼれる。
「それで、なにか用事があったりする?」
「え、えっと、その……」
「あ、一応言っておくけど、もう高価なものは受け取らないからね」
「……わ、わかった。その、今日は特に用事とかなくて、ただ会いたいなって思っただけなの。駄目だったかな」
「いや、それなら良いんだよ」
ただ話をしたいだけなら通信時計でもよかったんじゃないだろうかとも考えたが、キュアなりの友情の示し方なのだと考えると、少し嬉しい。
「ごめん、やっぱり先にシャワー浴びてもいいかな。ちょっと身体が気持ち悪くて。ちょっと待ってもらうことになるんだけど……」
「全然、いいよ。こっちこそ急に来てごめんね」
瑞希はキュアに「くつろいで待って」と言ってシャワーへ向かう。
「ふぅ」
温かいシャワーを頭から被りながら、ため息をつく。
汗と汚れが流れ落ちていく感覚にぼうっとしていると、お湯が目に入りかける。手で払っうと、鏡に映ったミズキの体が視界に入った。
細めで、骨ばった体。かといって肋が浮き出ているわけではない。
ミズキは昔から食べるのが少し苦手だった。沢山食べれば食べるほど、身体が大きくなる人と違って、過剰に食べた分だけ気持ち悪くなってしまう。そしてその元の容量も小さかったせいで、出来上がったのがひょろっとしたこの身体だ。
男になったのなら、ムキムキになってみたい。そう思った時期もあるが、それならまずは食べなさいと父親に出された食事の量を前に、ミズキはあっさり諦めてしまった。
ふと新しい考えが頭に湧いてくる。――いっそのこと、メグのように、女装してみるのはどうだろう。
そう考えたのはいいものの、そんなに可愛い服を着たいかと言われると別だ。かといって瑞希の好きな格好をしたら、どうしても男に見えてしまう。
中途半端な身体だ。自分の体が嫌いなわけじゃないが、少しおかしくて思わず笑ってしまう。
顔は、瑞希とよく似ている。左目の下にあるほくろ、右目だけ少し狭い二重幅。どっちも瑞希と同じ特徴を持っている。
「お母さん、お父さん」
目を閉じれば、思い出すことが出来るが、この世界に瑞希の両親の写真なんかはない。きっといつかは忘れてしまうのだろう。
「お兄ちゃん」
兄とは、瑞希が大学進学して一人暮らしを始めてから、会う機会が減ってしまっていた。
兄妹仲は普通か、そこそこ良い方だった。瑞希にとって、兄は当たり前の存在で、「お兄ちゃん」という言葉以外で表すことが出来ない。
ミズキはもうほとんど顔を忘れてしまっていたが、もう一度瑞希の記憶が入ってきたおかげで家族の顔が鮮明に思い出せる。
「ごめんね」
先に死んだこともそうだが、突然の死だったので、きっと皆に迷惑をかけているに違いない。
湯気が鏡を曇らせて、ミズキの体を隠していく。
瑞希は出しっぱなしにしていたシャワーを止めた。




