第五話
「マリさん?」
「……私のことを知ってるのか?」
ますます訝しむ表情になったマリの誤解を解く為に、説明しようとする。
すると「ミズキの荷物も持ってきたぞ」とジンの声が聞こえてきて、マリがその方を向く。
「あとチップ渡すから……、って」
ジンがマリを見ると、「なにしに来たんだ」と低く声を掛ける。
(もしかして、修羅場?)
確かに、マリのお腹はかなり大きくて、臨月と言われても納得するほどだ。
そんなお腹の大きな妊婦を働かせようとするのはいくらなんでも酷いと言わざるを得ない。やはり、ジンはこう見えてちょっとアレな人なのかも知れない。
「何しにきたって、様子を見に来たんじゃないか」
「来なくていいって言っただろ?」
「なんで私がお前の言ったことに従わなきゃいけないんだ」
「俺はマリの事を思ってだな……」
二人の会話を聞いていると、ジンが瑞希の方を向いて、「ああ」と声を出す。
「これがマリだ」
「これって言い方はないだろ!」
「いってえ!」
ゴンとマリがジンの頭を叩く。
(なんか、想像していたのと違うな)
その光景からは、マリの方が力関係の上に立っているように見える。
「で、そこの……嬢ちゃん? は誰なんだ」
「僕は瑞希です。あと男です」
「男ぉ?」
マリはそう言うと、瑞希の全身をじっくり眺めて顔をしかめる。
「マリ。そういう風に見るのは良くないぞ」
「……そうだな。悪い」
ミズキの体は少々頼りないが、女と間違われたのは今日が初めてだ。ジンに子供だと勘違され、マリに女だと勘違いされる。瑞希は今日二回も初めての景観をして「はは……」と乾いた笑いを見せると、マリは笑顔を見せる。
「それで、どうして子供がここにいるんだ?」
「……僕は二十二歳です」
「……そうか」
思わぬ二段構えの勘違いに笑いが抑えられず、瑞希は小さく口元をニヤつかせた。
マリは瑞希の返答になにか言いたげな表情を見せるが、口にすることはなかった。
「マリが言ったんだろ? ギルドに募集をかけろって、それでミズキが来てくれたんだ」
「へぇ、そりゃあ悪いことしたよ」
バンバンと肩を叩かれ、瑞希は思わずよろける。「相手を見ろ! お前が叩いたら骨折するだろ!」とジンが叫ぶ。
(やっぱり私の勘違いか)
どっちかと言うと、ジンの方がやられているように見える。
妊婦をこき使う夫というのは違うのだろうか。でもマリのお腹はかなり大きくて、妊娠したことのない瑞希に詳しいことは分からないが、しんどそうにみえる。
「悪い悪い。私はマリ、そこのポンコツの妻だよ。ジンが迷惑をかけただろうが、どうか許してくれ」
「俺は迷惑なんて掛けてないぞ」
まるでコントのような二人に思わず笑いがこぼれる。
マリは高身長だが、流石にジンよりは背が低くて、ジンと並ぶと……か弱い女性、には見えない。
でも、二人の仲は割といい雰囲気だ。
「仲が良いんですね」
「そりゃあな! これでも五年以上の付き合いなんだ」
アッハッハッと豪快に笑う姿はジンとよく似ている。勘違いもお揃いだったし、お似合いな二人というのがぴったりだ。
そうこうしていると、六時半が来たのか、ジンが「もう帰るの時間だ」と声を出す。
「ミズキはどこらへんに住んでるんだ?」
「住んでるというか、旅中なので宿にいます」
この仕事中、瑞希は「旅中なので、日雇いやアルバイトをしている」という設定で話した。よく考えたら友人に街から追い出されたなんて話、初対面でするべきじゃない。
言ってしまったのは仕方がないが、適当に誤魔化すほうが楽なので、これからはそうしようと思っている。
「へぇ、どこの宿なんだ?」
「えっと、『こもれび』ってところです」
「まだやってるんだな。まだ店主はディナなのか?」
「はい」
「そこまでなら、送ってやるよ」
「えっと……」
送るという言葉に、嫌な予感が浮かぶ。
この世界の交通手段は、一に徒歩、二に馬車、三に……。
「ババルルに乗ってきたんだよ。三人までなら乗れる大きさだから、心配するな」
ババルルとは、謎の生き物だ。乗り物としての扱いをされているがちゃんとした生き物だ。
ミズキはババルルが苦手だ。それはその見た目によるものが大きい。
ババルルの見た目は、ダンゴムシに似ているのだ。
虫が嫌いと言ってダンゴムシを挙げる人は少ないと思うが、瑞希にとってダンゴムシはゴキブリよりも嫌いな虫だ。
手に乗せた時の小さな足がうようよとするあの感覚。石をひっくり返した時に見える大量のダンゴムシ。ツルツルとした甲羅、ニョロリと伸びた触覚。何故か触ったら丸まる謎の性質。
その全てが生理的な嫌悪を催す。しかも、大きいときた。
始めて見た時、思わず号泣した記憶がある。子供の体だったから慰められたが、中身は成人女性がそんな事をしたので、とても恥ずかしかった。
今でこそ、街を歩いている時に見かけても「うっ」となるだけで済むが、乗るのはちょっと厳しい。
瑞希はどうにか断ろうとするが、それが遠慮ゆえの断りに見えたのか、ぐいぐいとババルルの前まで連れて行かれてしまった。
「ほら、大きいだろ?」
「そ、そうですね……」
目の前に居るのは、街で見かけるよりも一回りは大きいであろうババルル。「撫でてみるか?」とのマリの呼びかけに思わず首を激しく横に振る。
「……なあ、ミズキ。もしかしてババルルが苦手なんじゃないのか?」
隣にいるジンが、瑞希の挙動に違和感を覚えたのか、窺うような口調で問いかけてくる。
「ババルルが苦手なのか?」
「……う、はい。見た目がちょっと」
「そりゃあ悪かったな、でもここからだとこれが一番早いし……苦手なのは見た目だけか?」
「はい……」
小さい頃、ミズキはあまりにも泣き叫んだ結果、目を瞑って父親にしがみついてババルルに乗った記憶がある。
「それなら問題ないな、ほら、目を閉じな」
「え?」
「ほら早く」
急かされて瑞希が目を閉じると、「ジン、頼んだよ」とマリの声が聞こえる。
「わあっ」
「かっるいなぁ、やっぱりもうちょっと食べたほうが良いんじゃないか?」
抱きかかえられている感覚に、思わず目を開けようとすると、「まだ開けないほうがいいぞ」というジンの声が近くから聞こえてきて、背筋が震える。
しかも、目を閉じているから分からないが、多分、お姫様抱っこだ。初めての経験にこの状況でも感嘆してしまう。
ぎゅっと目をつぶっていると、足元に冷たいものが触れる。多分ババルルの甲羅だろうが、考えたくないので思考を止める。
腕を握られて、その冷たいものに手をつく。
「ちょっと俺が乗るまでじっとしてろ」
「はい……」
座る感覚が嫌というわけではないが、自分がババルルに乗っている光景を想像してしまい、鳥肌が立つ。
「よし、乗ったぞ。手を前に回せるか?」
目をつぶったまま、恐る恐る手を前に出すと、大きな背中に手が当たる。
「本当に苦手なんだな」
「……はい」
前から笑い声が聞こえてきて、恥ずかしさで顔が真っ赤になる。
「ちゃんと捕まってなきゃ落ちるぞ」
ジンはそういうと、瑞希のでをぐいっと引っ張って、自分の腹へ当てる。
(分厚い)
見た目から想像する以上に、ジンお腹は分厚くて、触れた所から体温の温もりが伝わってくる。
「臭いかもしれんが、少しだけ我慢してくれ」
「平気です。僕も多分臭いのでお互い様です」
「はは! そうだな!」
前から「出発するぞ!」とマリの声が聞こえてきて、思わず手に力を込める。ジンの背中にピッタリとくっついて、少し恥ずかしい。
汗臭いなんて言っていたが、嫌な匂いではない。何故か自分の匂いよりいい匂いに感じる。
瑞希は前に座るのがジンでよかったと思いながら、ジンの服をぎゅっと握った。




