プロローグ
アルバイトからの帰路、薄暗い道路を歩きながら、大塚瑞希はため息をついた。
「疲れたなぁ」
瑞希は今年で二十二歳。どうにも就職する意欲が湧かず、大学を卒業してからもアルバイトを続けて、今は一人暮らしのフリーター生活だ。
昨今、正社員で働いている人ばかりでもないし、世間体が気になる訳では無いが、やりたいこともない今の現状に漠然とした不安がある。
両親から最初のうちは「就職活動はしないの?」と言われていたが、あんまり言っても無駄だと思ったのか、最近は「今の時代、いろいろ考える時間があってもいいのかもね」と苦笑気味で言われている。
瑞希の五歳上の兄は小さい頃から「漫画家になる」という夢があって、最近、ついに自分の描いた漫画が出版されたらしい。
それに比べて瑞希の現状は地味だが、兄と比べられて嫌な気分になったことはない。むしろ兄の方が「漫画家なんて無理だ。とりあえず就職したほうが良い」と言われていたぐらいだ。
だから、兄の漫画が評価されているのは素直に嬉しい。
そんな兄と違って瑞希は小さい頃から飽き性で、特技というものもなく、ただのんびりした日常を過ごしていた。
だからといって、今更何かを極めようとも思えない。
(でも、このままだと、何年後も変わらないままだな)
今のアルバイト先は、何の変哲もない全国チェーンのカフェ。
コーヒーを淹れたり、いくつかの技能は身についたものの、特段優れた技術があるわけでもない。
そもそも、カフェにそこまでの興味がない。まあ、今は取り敢えず親の言う通り、あまりある時間を、いろいろ考えることに費やしてもいいのかもしれない。
そんな事を考えながら歩いていると、大きな古本屋が目に入る。
(久しぶりに覗いてみようかな)
小さい頃はよく古本屋で立ち読みしていた。
兄が漫画を読む隣で、女児向けの児童書を見るのが好きだった。
今の時代、立ち読みはモラル的に良くないのかも知れないが、少しくらいなら許されるだろう。それに、駄目そうだったら買ってしまえば良い。あの時悩んだ数百円くらいなら、余裕で出せる程には成長している。
瑞希は大きな欠伸をしてから、古本屋に向かって歩き始めた。
◇
古本屋の中は明るく、壁一面に不揃いな本がびっしり並べられている。
懐かしさに浸りながら本を眺めるが、見たことのない題名ばかりだ。
(最近は何も読んでないからな)
ぼうっと携帯を見て一日を消費する、なんてくだらない生活を過ごしているせいか、どれが有名な作品かさえ分からない。
一冊の小説を手に取ってしばらく、びっしり埋められた文字を見ていると、ただでさえ眠くて働かない頭が悲鳴を上げる。
(漫画でも見るか)
小説を棚に戻して漫画コーナーに移動する。
漫画コーナーはかなり広く、駐車場に面する大きな窓がある。窓の外は真っ暗で、車の往来が見える。
古本屋なので置いてある漫画の種類は多いが、どれも巻数が歯抜けだったり、古い絵柄のものが多くて惹かれるものがない。
「あ」
面白そうなものはないかと眺めながら歩いていると、思わず声が出て、瑞希は一冊の漫画を手に取った。
(これ、お兄ちゃんのだ)
つい数週間前に発売されたはずの兄の漫画がもうこんなところにある。
(原作者は違うんだ)
原作者とは別に漫画担当として兄の名前……、もといズッキーニンという名前が書いてある。
兄が中学生ぐらいの頃適当に付けた名前で、変えようにもいい名前が思いつかず、そのまま使い続けているらしい。
兄から「今度瑞希が実家に帰ったら、描いた漫画を渡すから」と言われていたが、瑞希は好奇心からその漫画を手に取った。
『ミズキ、お前をこのパーティーから追放する!』
『な、なに言ってるんだ。冗談よせよ』
『冗談? それはこっちの台詞だ! 今までお前のせいでどれだけの苦労を強いられてきた、わからないとは言わせない!』
最初から酷い言われようの主人公は、ミズキと言う名前の男のようだ。
自分と同じ名前が出て思わず顔をしかめたが、兄がそんな事を言っていたような記憶を思い出してため息をついた。
しかも、このミズキという主人公には左目の下にほくろがあるのだが、瑞希にも全く同じものがある。
(わざとだ)
もし原作にも同じ表現があったらとんだ思い違いだが、兄はよく描いた漫画登場人物に、周りの人を勝手に当てはめる悪い癖があった。
当てはめると言っても、ほくろや髪型など大したものではない。だけど、名前が自分と同じキャラクターだと少し変な感覚だ。
嫌な共通点を見つけてしまい思わず本を閉じそうになるが、それよりも続きが気になってページを捲る。
『ほら、パーティーの皆も、お前がいなくなるのを望んでいるんだ。分かるか? これがお前の行動の結果なんだよ。お前のせいで皆が嫌な気分になる。全てお前自身のせいだ』
『そんな……』
『その気持ち悪い目を向けてこないで。パーティーから抜けたら、この街からも出ていって頂戴』
『そんなの無理だよ!』
『……お前に拒否権があるとでも思っているのか? おい! こいつを街の外に放り出せ!』
まだ主人公がよくわからないまま責められているシーンが続く。
話の展開はいまいち掴めないが、とにかく主人公が嫌われ者だということがよく分かる。
(そもそも、どんな話なんだろう)
ちらりと携帯を確認すると。午後九時三十分を指している。
そろそろ帰宅しなくちゃな、と思いながらどんなタイトルだったか表紙を確認しようと本を閉じたその時。
先程まで真っ暗だったはずの窓の外が、急に明るくなったかと思った瞬間、猛烈な痛みが体中を襲う。
「な、に……?」
声を出すが、口の中に鉄臭い液体が溢れて上手く喋れない。
身体が痛くて、熱くて、苦しい。
ぼんやりとする頭で、状況を確認しようと下を向いたら、大きな塊が視界に入る。
(車……?)
そう言えば、窓が光ってからブレーキ音が聞こえたような、そうでないような。
もしかして、車が突っ込んできたのだろうか。瑞希は目の前の白い、車だと思われる大きな塊を見つめる。
「誰かいますか!?」
遠くから呼ぶ声が聞こえるが、声を出す気力さえ湧かない。
バリバリと響くなにかの音を聞きながら、瑞希は宙を見つめる。
(死んじゃうんだ)
手足の感覚が消えていく。もう、体中が痛すぎてどこが痛いのかわからない。
どんどん痛みさえ感じられないほどに体中から命が流れ出ていくのを感じて、瑞希の中にある命の灯火が消えていく。
(かんそう、いえなかったな)
ふと、小学生の時、「漫画を出したら読書感想文を百枚書くから」と兄と約束したのを思い出して、瑞希は小さく微笑む。
口の中の液体が飲み込めなくて、ぼたぼたと目の前の白い塊を赤黒く汚していく。
(まあ、いっか)
普通の人生を送ってきた自分の最期がこんな結末だなんて、ちょっと面白いかも、なんて考えていると、視界がどんどんぼやけていく。
(ねむくなってきた)
多分、ここで寝たら全てがお終いなのだろうとは思うが、落ちてくる瞼には抗えない。
瑞希はゆっくりと目を閉じて、最後の睡眠を始めた。
初投稿です。よろしくお願いします。
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