第3話 合い挽きハンバーグ
「いや~、ほんまにありがとうな、悠樹くん」
僕と赤森さんは、姉のアパートの近所にある洋食屋に来ていた。落ち着いた内装に、少し暗めの照明。手書きのメニュー表にこだわり食材の料理名が並ぶ。店内はそこまで広くないが、細部にまで気を遣って運営していることが見て取れる店だ。
赤森さんはテーブルに肘をつき、右手の薬指にはめた銀の指輪を眺めながら言った。
「凛花ちゃんと買ったペアリング、もしあったら形見にしたかってん」
赤森さんは最初から指輪を形見にしたいと思っていたようで、姉の部屋に入ってすぐ姉のアクセサリー入れから見つけ出した。
赤森さんは左手の薬指にはめていたもう一つの指輪と合わせて、優しい笑みを浮かべた。
赤森さんいわく、姉の死はニュースで知ったという。出張から帰る日になっても連絡が付かず、アパート近くで事故があったと聞いて嫌な予感がしたらしい。それでニュースをチェックすると、死傷者として姉の名前が挙げられたのだそうだ。たしかに、姉が指輪を付けたまま事故に巻き込まれていたら無くなっていたかもしれない。そういう意味では思い出の指輪が無事で幸運だった。
「あ、料理来たっぽいで」
ウエイターさんが食事を運んできた。僕は合い挽きハンバーグ定食、赤森さんはミックスフライ定食である。赤森さんは箸でエビフライをつまみ、豪快にかぶりついた。もぐもぐと咀嚼し、満足げに頷いた。
「この店、凛花ちゃんとよく来てん。雰囲気ええやろ?」
「ええ、そうですね」
僕はナイフとフォークでハンバーグを切り分けながら答えた。
改めて目の前の赤森真彩さんを見る。ゆるふわの茶髪。快活そうな表情。小柄な体躯。ヒラヒラした清楚な服装。この人が、姉の恋人だったのだ。
赤森さんは、急に僕が見つめてきたので、
「ん? どしたん? 口元に何かついてる?」
「あ、いえ、すみません、何でもないです」
ふーん、と赤森さんは何かを考えるように言い、
「もしかして、うちが凛花ちゃんと付き合ってたのがまだ信じられへん?」
「……」
赤森さんは少し目を反らしつつ、小さく笑って言った。
「まあそうやんなあ。上京した美人で頭良くてカッコいいお姉ちゃんが女と付き合ってよろしくやってたらちょっとびっくりするわなあ」
「あ、いえ、そういうことではないです」
「あ、そうなん? あんまり偏見とかない感じ?」
そう。偏見どうこうの話ではない。
僕は、姉が他人と親密な関係を築いていたという事実に驚いているのだった。
僕は生まれてから今日まで、姉に親しい友人がいたという話は聞いたことが無い。もちろん愛想良く振る舞っていたが、休日に特定の誰かと遊びに行ったり、誰かと付き合ったりしていたという記憶は全く無い。
「ええ、誰かと遊んでいる姉を見たことが無かったので」
「そうなんや。……学生時代は寂しかったって言ってたのはほんまやったんやなあ」
赤森さんは大粒の牡蠣フライにタルタルソースを山のようにかけながら言った。それを一口で口に収め、もしゃもしゃと口いっぱいに頬張る。
「じゃあ、もしかして悠樹くんも凛花ちゃんとはあんまり話したりする機会なかったん?」
どうだろう。話す機会は普通にあった気もするが、本音で何かを語り合ったりすることはなかったと思う。姉がいつから同性に好意を寄せるようになったのかは知らないが、早い段階からそうだったとすれば、心のどこかで家族に遠慮していたということもあるかもしれない。
「どうでしょうね。でも、中身のある会話をした記憶はあまりありません」
「ふーん、そうなんや」
赤森さんはカニクリームコロッケの中身をこぼさないよう、慎重に箸で半分に切り分け、そのまま口に運んだ。無言で咀嚼する。
僕も視線を下げてハンバーグに集中した。焼き加減も良く、ジューシーで美味い。やはり合い挽きに限る。
「……」
静かに肉の旨味を噛みしめていると、赤森さんが唐突に言った。
「なあ、悠樹くん」
「はい」
「大学生やんな? 大学楽しい?」
「はい? ええ、まあ、それなりに」
友人と呼べるような人は思いつかないが、授業はそれなりに興味深いし、楽しくないことはない。友人から過去問が得られないことだけがネックではある。
「ほんまに?」
ちなみにサークルなどはどうせ行かなくなるからと思って初めから入っていない。
「……なんでそんなこと聞くんですか?」
「いや、うーん……」
赤森さんは歯切れ悪く答えた。
「なんか、悠樹くん、凛花ちゃんに似てる気がしてん」
「はあ、一応姉弟なので……」
「いやそういうことではなくて」
赤森さんが言いたかったのは、顔の造形などではなく、雰囲気のことだった。
「なんか、めっちゃ遠慮しいやん? そりゃうちとは初対面やから当たり前っちゃそうなんやけど、凛花ちゃんと初めて会ったときもこんな感じやったなあって」
赤森さんはお冷で一服して、その澄んだ黒い瞳で僕を見つめた。
「勘違いやったらごめんな? ただ、誰に対してもそうなら、似とるなあって」
赤森さんは僕から視線を外し、プレートに残ったフライのカスを箸でちまちまと摘んで一カ所に集め始めた。
「凛花ちゃんはちょっとだけ殻の内側から手が伸びとったから、うちが引っ張り出して連れまわしたけどな。でもなんか、悠樹くんは一ミリもうちに興味無さそうやし。まあたぶんそれがデフォルトなんやろうけど。今だってうちが誘わんかったら指輪渡して御終いやろ?」
「まあ、それは、そうだと思いますが」
赤森さんは顔を上げずに、それそれ、と言いつつ、
「凛花ちゃんがそうやってん。自分の言動で相手がどう感じるか分からん、とか、相手の背景が分からんから踏み込まんとこ、とか。色々考えすぎる感じ。頭良いねん。この世に色んな背景の人がおるのが分かってて、気ぃ遣えるのは悪いことではないとうちも思うんやけど、やりすぎたら当たり障りのないことしか言えんし、できんくなるねん」
「……」
そう言われてみれば、そうなのかもしれない。姉は、元々周囲に気を遣いすぎていて、きっと家でも気を遣いすぎていたのだ。そしてそのうち同性に好意を持つようになり、両親の思う理想の娘になることはできないと判断したのだ。それでどうにか環境を変えたいと思い、頑なに上京することを望んだのだろう。これが赤森さんの言う「ちょっと殻から手が伸びていた」ということだろうか。
黙ってハンバーグを食べ続ける僕に、赤森さんは言った。
「うちはそれすごいもったいないと思うねん。せっかく誰かと仲良くなれるチャンスを全部逃すことになるねん。もちろん誰かとクソみたいなケンカするきっかけにもなるけど。それでも仲良い人おる方が楽しいやん? 無理やったら別れたらええし」
「まあ、そうですね」
「やろ? 凛花ちゃん、最初はそんな感じで気ぃ遣いやってんけど、うちに全部任しとき! て言うてうちからコクって付き合うようになってからだいぶ変わったんよ。元から変わりたいとは思っとったらしいから、変わるのも早かったわ」
「……そうだったんですね」
正直、姉がそんなことを考えていたなんて思いもしていなかった。昔から完璧だったこともあって、そういう風に完璧に振る舞うのが普通だと思っていた。
そういえば、赤森さんに出会った時に見せてもらった写真の姉は、見たことのない表情をしていた。学校の行事などで写真を撮るときはいつも決まったパーフェクトスマイルだったが、あれは撮られるとき用の作り笑顔だったのだろう。
「ほんで、今悠樹くんも似たような雰囲気を感じたんよ。間違ってたらほんまにクソ失礼でごめんやねんけど」
「いや……まあ、間違っては無いです」
僕が答えると、赤森さんは「やっぱり似た者姉弟やなあ」と言い、
「悠樹くん、明日ヒマ?」
と唐突に聞いてきた。
「え、はあ、まあ……」
ゆっくり観光でもしようと思っていたので時間はある。時間はあるが、用件は何だろう。
赤森さんは悪戯っぽくニヤリと笑い、そして言った。
「明日、うちとデートしようや」
「……え?」
僕のフォークから、ハンバーグの最後のひと欠片がポロリと落ちた。




