妖精
「妖精が現れた」
彼への怒りは吹き飛んだ。
ついに狂ったか、というやるせない悲哀が、大きな不安の津波となって俺たちに押し寄せた。
思わずゴクリと息を飲み込む。
「迷い妖精らしい」
だが律織の目つきはいつも通りであったし、表情は真面目だった。
支部長直々に案内された、Ainsel支部の奥部屋での密会でよかった、外でこんなシュチュエーションに遭ったら混迷に陥っていたかもわからん。
隣で雪灘が恐る恐る手を挙げた。
「ん」
「律織、妖精って……実在するの?」
そう、文献などには確かにその存在は散見される。しかしいかんせん、存在が伝説じみていて、じみすぎていて、律織が狂ったとしか思えなかった。親だけどサンタクロースは実在するよね、とか、そういう話か……?
だが律織は頷き、事もなげに言った。
「いるよ。過去の仕事中に、出会ったことがある」
「――まじか」
「さ、さすがだなぁ……! 見聞が広い……歴代最年少の階級【Double】の取得者は伊達じゃないねぇ……」
登録者の《実に九割以上》が階級【Free】である中、律織の階級は超越者とされる【Double】。織枷 優撫の実子という立場であるとはいえ、世界均衡を託される依頼を請け負うことも可能になる。……だから学業に従事しろよ。
雪灘は階級【Single】の登録者。第一の大きな壁、Ainselの権限を本格的に行使できるのはこの階級から。【Single】の称号があれば、Ainselを利用し働いて食う分には一生困らないだろう。
ちなみに……、こいつらの雑事をたびたび手伝ううちに、俺も【Plus】の階級を取得するに至っていた。親に合わせる顔がない。
「それで、妖精が現れたことによる問題点なんだがな。それについて知識がある奴は?」
今度は、俺が手を挙げた。
空想としか思えなかった書の記述になら、覚えがある。
「文献によれば――……、妖精の種族によっては、こちらの世界に存在するだけで、障りを及ぼしてしまう、ということだったはず――」
「その通り。彼等はな、その内包した高すぎる魔法力故に、存在するだけで周囲に影響を及ぼしてしまうんだ」
「存在するだけで……? そんな個々が実在するなんて……少し現実味が無いな……」
「長期間、一所に留まれば、天災を引き起こす。地震、豪雨、火山噴火諸々の、洒落にならない災厄を。これだけは、この警句だけは、確固たる形をもって伝えられてきた。街一つ消えた災厄、その残骸。野を炎で埋め尽くした、その惨状」
……悔しいことに、そのような伝文は学び得る機会がなかった。|野駆け山駆け、街を駆けての《フィールドワーク》学習じゃなければ知り得ない知恵もあるか。
いい機会かもな。
「何をすればいい?」
「まずは各々での学習から、お伽噺の存在、その認識を改めるところから初めてほしいんだが、その前に俺が知り得ている知識をいくつか伝えておこう。前提として、今回現れたのは天災を引き起こす種類の妖精だ。もうすぐ、発見されてから最初の一週間が経つ」
「一週間。妖精はどのくらいの期間で天災を引き起こすの?」
「大体、一か月を超えるとアウト。と、多くの文献には記載されている」
「短いな……!」「ほ、ほんとに……? それは、【Sirius】級の依頼なんじゃない……?」
「存在自体が天災を引き起こすって意味じゃ、もっと長い。が、妖精がその力を発揮すれば即天災が起こるって意味のリミットは、一月だ」
「ああ、なるほど。……いやそれにしても――」
妖精の影響によって世界が変質した状態で、妖精が本気の力を解放すると許容量を越えますよ、という意味だとしても、話が本当なら彼等の存在自体が致命すぎる。
彼等はどこから来たんだ? 別の世界に住んでいるというお伽話的な文献節なら読んだ記憶があるが、それすらも本当なのか……?
姿、生態、生き様、言語は……? 知り得ないことしかない未知の学習領域――。
「――その力を発揮。戦闘とかか?」
「その通り。もうかなりヤバめだ」
「ふぅん……」
ここで律織は一旦話を切り、拝むように手を合わせながら、俺たちに指示を飛ばした。
「言った通り、まずは個々の学習で認識のすり合わせを。それから改めて、妖精に関して、俺の知ってることを話したい。頼むわ」
「了解」「了解だよ」
「明後日にまた落ち合おう。その間に、できる限り妖精に対する認識を深めてくれ」
「確かに、一日じゃ学習はできても認識はできなさそう……。それも了解……」
また仕事で居残りするらしい律織を置いて、雪灘と二人で、学校への帰路についた。
「律織がシキに頼った理由が分かったよ、この仕事はまさに適任だもんね」
「ああ、考えてみればそうか。まあ何にしても……文献から、妖精という実体をイメージしてからだな」
「そうだね。正直、ぜんぜんピンとこない……。――どんな容姿なんだろう? 記述に描かれた挿絵では、羽が生えていたり生えていなかったり、人間と容姿が変わらなかったり微妙に差異があったりするけれど……」
そう、まったくイメージできない。
でもだから、興味が湧く。……インドアの学習なら、好きなんだけどな。
「シキはどんな方法で妖精のことを調べる?」
「俺は図書館に行って、比代実先輩を頼る」
「そっか。俺は夕焼先生を頼ろうかな、夕焼先生が知らなければ、ツテを辿って講義をお願いするってカンジにしようと思う」
「いい考えだ」
ただ、できることなら、比代実先輩を頼ったほうが確実だろう。しかしそれを実行できるやつは学園でも少ない。
レーヴィアに着いて、雪灘と別れ、これからの勉学を考えて気持ち、足取り軽くなりながら図書館へ向かった。
そういえば。
比代実先輩、あの人のことを、「図書館に住む妖精みたいだ」と考えていたこともあったな。




