ありがとう
いや、二日と少しというわけでは、ないんじゃないか。
丘に向かう道中、そのことを考えていた。
二日と少しというわけではない。考えてみれば、織枷校長が七日で【シーヘン】を発見したとして、その報告が来て、その後、誰がそこまでリティエルリを【シーヘン】まで護送するのか? ――ほぼ確実に俺と律織だ。
【シーヘン】は移ろう。目を離すわけにはいかない織枷校長自らが護送を請け負うわけにはいかないから、必然的にそうなる。
織枷校長が戻るまで、というのは実際として正しくなかった。織枷校長が俺たちを呼ぶまで、が正しい。なんだ、まだ会える時間があるのか、と少し安心していた。
「こんばんは、リティエルリ」
「こんばんは、セーシロー!」
今日は雲もたなびいて疎ら、晴れた夜空から降る月の光に照らされた彼女の笑顔を見て、自然と口角が緩んだ。
「今晩は良い天気ね。月と星の光が綺麗で、夜風が気持ちよくて、静かだわ……」
「本当に。――優撫さんが告げたリミットまで、あと二日に迫ったな」
「……そうね。うん、ユウナという人は、苦労なく無事かしら……?」
「さすがに苦労はしてるかもしれない……、でも必ず無事ではあるだろう」
「そう……! 心からの信頼の言葉を聞けて、安心したわ」
「それで、リティエルリ、考えてみたんだけど、俺たちがこうして会えるのは、おそらくあと二日ばかりってわけではないよな。つまり優撫さんが金色の妖精世界の【シーヘン】を発見したあと、リティエルリを護送する人間が必要になるわけで。まあ【固有因果律】から考えても抜擢されるのは俺と誰かだろうから……それからもまだ会えるってことに気付いてさ」
「あ――っえ、ええ、そうね……」
歯切れの悪い答えを聞いた瞬間に。俺の希望的な予測は、間違ったものであったのだと、そのことを知った。
僅かの沈黙の後。
リティエルリは表情に影を落とし、俯いて、語った。
「…………妖精は。特に王族など魔法に秀でた妖精種は、【移動の方法】の魔法を備えていることが多いの。汎用的で強力な手段であるし、魔法力が高ければ、自然とそれを備えることになる。例えば私であれば、【鈍色の杖】という印地点への瞬間移動を可能にする伝説の武器を創生することで、それを行うことができる。妖精が魔法を使うにあたって、外郭世界へ影響を与える現象影響力の臨界値は、実数値で8700~9200。少し場所を移動して魔法を使用すれば、影響は起こり得ないでしょう。…………そんなことは誠実じゃないから、きちんと明かすわ。私がその方法を使って、見つけてくださった【シーヘン】へ移動するのが、一番、確実で……波風の立たない方法だと思う」
「――――そう……かぁ――」
そうか。
――――そうだと、いうのなら。
じゃあ、マジで、あと二日しか……会えないのか。
そうか。
月の光を見上げて、二人、しばらくお互い言葉を発さないまま、夜の景色を視界いっぱいに望んでいた。口を開き、少しだけ湿り気を帯びた空気に触れる。
「…………あのさ」
出会えるのがあと僅かだというのなら。
今、彼女に、伝えなければいけないことがあった。
感謝を。
「【事象透過】なんつう、本当の地獄を覗くみたいな魔法を持って生まれたら、……まあやっぱり、おかしくなるわけじゃん? 一月に一度は精神の調子を酷く崩して、醜い姿を見せて……、そのたび、なぜこんな咎を負って生まれたんだ、なんてことを、ずっと考えていたりした。でも、地獄をもたらすばかりではない、寄り添った魔法は幸福をもたらすこともあるのだと、聡い人に言ってもらえたから……、それが俺の魔法にまつわる運命の全てじゃないと言ってもらえたみたいで、救われたみたいに嬉しかった。ありがとう……」
「――――セーシロー」
俺の腕を掴んで。
リティエルリは俺を見上げて、告げた。
「あなた一人で、妖精の世界に来る?」
そのような、俺にしては、突飛というわけでも、ないことを。
彼女は俺の瞳を真っ直ぐに見つめて、金色の瞳をなお一層輝かせながら、言葉紡いだ。
「人間はどうだか分からない。けれど妖精は、お互いに付き合う意思確認に、特別な了解の言葉を必要としないの。言霊で、言葉を交わすお互いが、思いの丈が、いつだって分かり合えるから。――あなたの言葉は、いつも……、触れれば焼けそうなほどに、熱かった。きっと、その――私の言葉も、また……っ! 人間が妖精の世界へ訪れることに問題はないはず、セーシローにその意思があれば……」
想いを見通していた彼女の提案は、とても魅力的に思えた。
輝いて魅力的な未来。幸せを求めるならその未来を追いかけるとすら思えるような、奇跡みたいな展望。
しかし。
「――それはできない」
惹かれた末に出したはずの答えはしかし、最初からそう決めていたように揺れない言葉だった。
「俺はこの世界に生れ落ちて、与えられるばかりで生きてきた。傍にいてくれた大切な人たちに何も返さないまま、この世界を離れることは……、筋が通らない」
つまらない、言い分。
リティエルリは、俺を見つめていた瞳を寂し気に伏せると、見上げた月夜に視線を向けて言った。
「そっか……」
俺はといえば、そんな彼女から、視線を逸らせなかった。
「セーシローらしい答え」
そして、――とても嬉しそうに微笑んだ彼女を見て、情けないことに、涙が溢れてきた。
乙女か。
「マジでお別れなんだなぁー……」
「そうみたいね……。寂しいなァ」
きっと俺のほうが寂しいと思う。
月を見上げるたびに思い出すだろう、今まで出会った誰かの中で、一番理知的で、誠実であった妖精を――。
リティエルリと出逢えて八日目。織枷校長が戻るまで、残り約一日。
少しだけ恋心を抱いていた友との別れを、明確に予感した。
どれだけ一緒にいたいかという強い思いを、言葉にはできない。もっと一緒にいたいと願うことが恋だというのなら、これはきっとそうだったのだろう。
他のやつにはなかなか分からないだろう、自分の魔法に、確かな手を添えて、きっと大丈夫! と言ってくれた、その無限大みたいな嬉しさが。本当に、本当に……、嬉しかったんだ。
「ねえセーシロー。……気付いてた? 私は一つ、誤魔化しを口にした」
「誤魔化し……」
「私の言葉のほうが焼けそうな熱を持っていたことを、黙っていたのよ」
「……――踊ろうか、リティエルリ」
「ええ、セーシロー、喜んで!」
彼女ともっと共に在りたいという思いは、生まれて初めて抱いた感情だった。
その相手がリティエルリであったことが嬉しかった。
「ねえセーシロー。私はこの景色見たさに、こちらの世界に足を踏み入れて、迷った。でもね、セーシロー。私はその愚かさを、少しも後悔していないの。それは恥ずべきことだけれど。でも――静かな月夜、暗い空に瞬く輝き、星の川、夜に吹く風は特別なもので、自分が吐く吐息さえ、どこか違ったものに感じて、そして――あなたと手を繋げる景色があった。この景色を見て、後悔なんて浮かぶはずもないわ。……――ありがとう、セーシロー」
彼女は輝くような笑顔で、踊りながら、涙を流していた。
このときばかりは。
彼女の言葉にあった熱と同等の情動が、俺の中にも灯った。
それをしっかり言葉にして、彼女へ伝えた。
「ひと時でも傍にいられたことが、この上ない幸いだった。お前に認められたことがあったならよかったんだけど。――君の誠実に恋心を抱いていた、ありがとう、シィ・リティエルリ・ロウエグ」
とめどない涙を流す彼女はやはり美しくて、もう一度だけ……、言葉だけで告げられた、先程の誘いに揺れる自分があった。
あと一日。彼女とこうして会えるのは、あと一日しかない。
そのことを思うと胸に穴が空くような心地になった。でも――。
俺たちは最後まで、笑って共に踊るだろうことは、知るようにそれを信じることができる。




