エピローグ - 約束の翼
STRIXの表彰台は、ドバイの夜景を一望できる、ブルジュ・ハリファの特設ステージに設けられていた。
中央に立つのは、少し戸惑ったような表情でトロフィーを抱く、初代チャンピオン、ステラ・シルヴァーシュテーン。
その隣、2位の表彰台にはAIのロゴだけが映し出され、3位の表彰台には、ドミトリー・ヴォルコフが静かに立っていた。
レックス・マーベリックによる陽気なインタビューが続く中、ドミトリーは、ステラにだけ聞こえる声で呟いた。
「見事な飛行だった、小娘。だが、覚えておけ。俺が追い求めているのは、伝説の首、ただ一つだ。次はない」
それは、彼なりの最大の賛辞だった。ステラは、静かに頷き返した。
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数週間後、日本の最先端医療施設。
ガラス張りの無菌室の向こうで、ルーカスは、穏やかな顔で眠っていた。彼の身体には、彼の未来を創るための遺伝子治療薬が、静かに投与されている。
「…本当に、良かったのか」
病室の外の廊下で、ビョルンが、隣に立つステラに問いかけた。
「賞金は、君が命懸けで勝ち取ったものだ。ルーカスの治療費1億円を差し引いても、まだ9億円も残る。君が、受け取るべき金だ」
STRIXの後、ステラは、賞金の権利のほとんどを、ビョルンに譲渡していた。
「いいえ。あれは、ルーカスが作ってくれた翼で掴んだ勝利。だから、あれは彼のものよ」
ステラは、ガラスの向こうの幼なじみを見つめながら、優しく微笑んだ。
「それに、私には翼があれば十分。また稼げばいいもの」
その表情には、かつて「ヴィーナス・ウィング」で勝った後の、冷めた光はどこにもなかった。
ビョルンは、そんな彼女の横顔に、亡き親友ゼノの面影を、そして、彼をも超える、真のパイロットの姿を見て、静かに目を伏せた。
「…ありがとう、ステラ。君は、息子だけでなく、どうやら俺の魂まで救ってくれたらしい」
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一年後
スウェーデンの飛行場は、11年前のあの夏と同じ、穏やかな日差しに包まれていた。
そこに、一台の車椅子がゆっくりと近づいてくる。自分の足で、それを押しているのは、すっかり元気になったルーカス・リンドベリだった。
滑走路では、最終調整を終えた「フェンリル」の改良型が、太陽の光を浴びて輝いている。その翼に寄りかかっていたステラが、笑顔で彼に駆け寄った。
「もう、そんなに歩いて大丈夫なの?」
「ああ。リハビリは順調だ。…それに、早く身体を慣らしておかないと、な」
ルーカスは、いたずらっぽく笑うと、ステラにまっすぐ向き直った。
その瞳には、1年前の病室にあった儚さは、もうない。パイロットだった頃の、挑戦者の光が宿っていた。
「最高のメカニックとして、君をチャンピオンにした。約束は果たしたよ」
彼は、そこで一度、言葉を切った。
「でも、次はパイロットとして…僕自身の翼で君に挑戦する。だから、それまで世界最強のチャンピオンでいてくれ、ステラ」
その言葉は、新たな挑戦状。そして、11年前に交わした、空への夢の続きだった。
ステラは、太陽のように眩しい笑顔で、力強く頷いた。
「望むところよ、ルーカス」
二人の夢を乗せた約束の翼が、再び大空へと羽ばたこうとしていた。
果てしなく続く、青い軌跡を描くために。
- FIN -