第4章 - 禁断の飛行
『――以上、全世界が注目する市街地飛行機レース、STRIXの出場者、トップ6名をご紹介しました! AIは人間の天才を超えるのか! 伝説は復活するのか! そして、紅一点のダークホースは、この怪物たちにどう立ち向かうのか! 決戦は、一週間後です!』
レックス・マーベリックによる公式発表の配信は、世界中の熱狂を最高潮へと押し上げた。
運命の6人のパイロットとそのチームは、決戦の地、ドバイへと集結した。空港に隣接された、このレースのためだけに建設された最新鋭のハンガーエリア。そこに、それぞれの想いを乗せた6機の異形の機体が、静かにその時を待っていた。
ステラ・シルヴァーシュテーンのハンガーは、静寂に包まれていた。
ルーカスが最終チェックを行うノートパソコンのタイプ音だけが、無機質に響いている。ステラは、ハンガーの大型モニターに映し出されるニュース映像を、腕を組んで見つめていた。
画面では、専門家たちが予選6位である彼女を「幸運なシンデレラガール」と評し、AIやドミトリーの完璧な飛行データと比較して、彼女のタイムがいかに「人間的で、ムラがあるか」を分析している。
「…ルーカス」
ステラが、静かに口を開いた。
「分かってる。見るなよ、ステラ。雑音だ」
「違う」
彼女は、モニターを睨みつけたまま言った。
「あの数字が、シミュレーターの中の私が、今の私の全てだと思われているのが、我慢ならない」
フラストレーションだった。予選を突破した安堵など、とうに消え失せていた。このまま、あの「6位」という数字を背負って、ぶっつけ本番のレースに挑むことへの、耐えがたい屈辱感。
「飛ばせて、ルーカス」
その言葉に、ルーカスの指が止まった。彼は、ゆっくりと車椅子を回転させ、ステラに向き合った。
「…正気か?今ここで問題を起こせば、失格どころの話じゃない。僕たちの夢が、ここで終わるんだぞ」
「このまま飛んでも、夢は終わるわ。私は、シミュレーターの私じゃない。あの空で、それを証明したい。私自身のために」
その瞳には、懇願ではなく、決して折れない意志の光が宿っていた。
ルーカスは、しばらく彼女の目を見つめた後、深く、深くため息をついた。
「…本当に、君は昔から変わらないな」
彼は諦めたように笑うと、ノートパソコンに向き直った。画面には、ドバイの詳細な航空監視データが表示される。
「ポイント『ジェベル』のコンテナは、いつでも動かせる。…ただし、ワンパスだけだ。データを取ったら、すぐに戻る。約束できるな?」
「ありがとう、ルーカス」
ステラの顔に、ようやく硬さが取れた笑みが浮かんだ。
---
その夜
砂漠の夜を切り裂く、掠れたジェットエンジン音。
星屑を撒き散らすような煌めきを放ちながら、漆黒の機体「フェンリル」がドバイの摩天楼群に忍び寄る。コクピットに座るステラは、顔全体を覆う漆黒のヘルメットバイザー越しに、眼下の光の海を睨んでいた。
(…やっぱり、全然違う)
肌で感じる夜風の冷たさ、機体を包む微かな振動、そして、鼻腔をくすぐるオイルの匂い。シミュレーターでは決して感じられない、「本物」の情報が、彼女の五感を満たしていく。
「高度、予定通り。風速、問題なし。…ステラ、軍の定期パトロール機が接近中だ。あと3分」
ルーカスの声が、彼女を現実に引き戻す。
「十分よ」
ステラはスロットルを僅かに押し込み、機体を滑らかに加速させた。目指すは、ドバイ・フレーム。
違法改造のセンサーが、軍用機のレーダー波を捉える。警告音が鳴り響く。
「目標、シェイク・ザイード・ロードへ進入!繰り返す、進路を変えろ!警告に従わない場合、撃墜も許可されている!」
通信機から響く警告を、彼女は笑って無視した。
そして、建設中の巨大な橋の、複雑に入り組んだ橋脚の間を、まるで縫い物のようにすり抜けていく。常人ならGと恐怖で意識を失うほどの、精密すぎるマニューバ。
橋を抜けた先は、ジェベル・アリ港。
クレーンに吊り下げられ、ぽっかりと口を開けたコンテナが、彼女のゴールだった。
F-16が体勢を立て直し、再びレーダーで彼女を捉えた瞬間、フェンリルの機影は、コンテナの壁の向こうに…ふっ、と消えた。
ゴウッ、と耳元をF-16が通過していく音が遠ざかっていく。
コンテナの中に滑り込んだフェンリルは、衝撃吸収材に機体を沈め、静寂に包まれた。コンテナの扉が、ゆっくりと閉じていく。ヘルメットの中で、ステラは初めて、深く息を吐いた。
シミュレーターが刻んだ「6位」という数字への鬱憤は、消えていた。
代わりに、彼女の心には、確かな自信と、ライバルたちへの静かな闘志が、炎のように宿っていた。
(待ってなさい。本物の空で、本当の私を教えてあげる)