神は貴方の逆しま、貴方は邪に一か八かと笛を吹く
人は不完全である。それを自覚しながら厚顔無恥に欠けた部分を、完全たる主と預言者ア=ステラで補おうとする星教を私は軽蔑する。なにより過去、その傲慢たる信心を善きこととして盲信していた蒙昧白痴たる私自身を私は蔑如する。
神の国アルスタシアにおいて人は自らの不足を他者に求めない。不完全であることが普遍であり、完全とは不可逆的な過去である。我々は常に無秩序の方向に拡散し、それが進化であると受け入れるのだ。
故に、新しき信仰による正しき神は自らの内に宿る。その神こそが自己啓蒙であり、不完全であるが故に歩み続ける神である。
ヴァンデン・グーデンライヒの日記 連邦文部研究省オンライン資料館より引用
「亡命?」
朝7時、いきなりヴァンデンに呼び出されて昨日と違う貴賓室に呼ばれた。机は一つであり、ソファに座り向かい合う形である。
「はい、亡命です。貴方は哀れですが、それはそれとしてその思想と覚悟は評価されるべきだ。ですから教育を受け、世界を見定めるべきです。そうして初めて自分の役割というものが理解できるのですから。」
「意外に甘いんだな。しかし、その小根は私の不在の状況を横目に政治的有利を勝ち取るつもりだろう。」
「面白いことを言いますね。政治的有利?そんなもの必要無い。もとより私が何枚も上手ですから。」
「それ行くのは貴方と貴方の愛玩動物2匹だけです。ゴーゼスには私の元で働いてもらいます。もちろん彼もその間に自らの陣営を作ろうと画策するでしょうが、目を瞑ってあげましょう。」
渡された書類、そこには亡命先と偽りの身分が記してある。亡命先はガリア王国、身分はラ・ソレイユ国立天文台魔法学校に通う学生、名前はなんの偶然かユーキ・ルーデンタッド。
「本当に甘いんだな。」
「貴方の事は嫌いです。ですが私はアルスタシアの赤子たちに笑われぬよう生きたいと思っていますので。」
立ち上がり部屋を去ろうとする。奴は本質的には優しい人間かもしれない、それを悟られるのがこそばゆくてあの態度なのか?
「最後に伝えておきますが、ラ・ソレイユ魔法学校には第一王子アルバルト・ラージャナヴァも身分を偽り亡命ながらに在籍しています。彼に限って無いでしょうが、刃物には気を付けなさい。」
1人取り残された俺を朝日が照らす。
戦から遠ざかって教育を受け世界を見定める。正しい事だ。理論ではわかってる。でも彼らは、それを許すだろうか?俺1人、戦いの場から逃れる、それが許されるのだろうか?彼らが享受できなかった平穏を私が享受する?冗談では無い、そんなことでは一生彼らは慰められないし、俺は許される筈がない。
故に俺は一時たりとも平穏を享受してはならないのだ。だからいずれやらねばならぬ事を、やってしまおう。
「アルバルト・ラージャナヴァを暗殺する。」
声に出して覚悟を決める。だが左腕の幻肢痛も右手の震えも止まっていないではないか。卑怯者め、自分が傷つくことがそんなにも嫌か?責務も果たせず1人死ぬ方がよっぽど嫌だろ、理解しろよ。
「ずいぶん早いご起床だこと。」
「勝手に貴賓室に入るもんじゃないよ。ミリシア。」
彼女1人か、珍しい気がする。ユスティナが全盲である関係、彼女のそばには常に彼女がいたが、まだ寝ているのだろうか、ユスティナは。
「泣いてるの?」
「ファントムペインだ。」
「ふーん。」
「あんたが泣いてるのを見ると、あんたもただの人間なんだなって感じで心底腹が立つ。
「...なぁ、君は君の父を殺した俺が学校に行ってさ、平穏な日常を送ったらどう思う?」
「そしたら貴方を殺したくなるでしょうね。」
さっきの書類を彼女に手渡した。本来、見せてはいけないのだろうが、この際どうでもいい。
「...ユーキ・ルーデンタッド、気に入らない。なんであんたが...」
予想通り心底嫌そうな顔だ。当然だ、父親を殺した男が自分と同じ性を名乗るのだ。仕方がないとはいえ、これほどまでに嫌悪感を感じるものはないだろう。
「アルバルトを殺そうと思う。」
「それは必要な事?」
「世界を正すには必要だ。彼は利口で聡明な人物であろうが、その思想と思考の根底は現行の社会に準えている。国は変えられても世界は変えられない。」
「それでお父様が慰められるの?」
「正しい世界を築く為だ。」
「殺しでしか作れない世界に正しさなんてあるの?」
「誰かが犠牲になるほどの衝撃がなければ人は変わらない。」
その言葉に心底失望したのだろう。軽蔑する眼を向けて彼女は部屋を出ていった。
「だからと言って誰かを犠牲にしていい理由にはならないでしょ。」
それが捨て台詞だった。だけどそれは俺の胸に深く突き刺さる。
「神様にでもなれば君は、君達は私を許すだろうか。」
誰にも聞こえぬ呟きを囁く。もしも俺が神なら、俺の行いは全て赦免されただろうな。もし俺が災害なら、死んだ人達は俺ではなく巻き込まれた不運を呪うだろうな。
人であるが故に責任を享受し、責任を求め、責任に苦渋する。そして人であるが故、責任を放棄した先にある罪悪感に刺されて死ぬのなら、責任によって生かされる方が幾分もマシである、と想像してしまう。結局、そんなものなくても生きてはいけるというのに。
3日ほどの滞在を終えてガリアに向かう。ゴーゼスとの別れは済ませた。その期待に叶うほどの賢王になると誓って。そして奴は奴はの陣営を築くと、ヴァンデンに対抗できるほどの兵を束ね政治的影響力を拡大させると誓う。
そして馬車に残されたのは僅かな護衛と姉妹だけである。
正直、ヴァンデンなら俺を神輿にせずとも己の力だけで王に届く気がする。ゴーゼスはあいつを過小評価し過ぎだ。あいつは小悪党なんかじゃなくて大物だぞ。
故に、この僅かな護衛は、お前の今の価値はそれほどしか無いぞというヴァンデンからのメッセージなんだろう。
ならしかと受け止めよう。私の価値はそれくらいだと。必ず私は奴のお眼鏡に叶う王、いや、奴を利用し、北西州全てを支配する王となろう。そして私の器に全ての怨嗟と怨恨と絶叫と絶望と過去を注ごう。最後に残るものが希望と明日になるまで。
故に地獄で劫罰に処されるまで私は正義の名の下の犠牲を払い続けるだろう。
馬車に揺られて12時間、辿り着いた先はガリアの都市ハグナウ。この都市は交易都市というよりも軍事都市という側面が強く、そこら中に兵隊がいる。そして彼らは私を影から指を差し、こう嘲笑する。ドラゴンと。だがこんなもの、何も痛くも無い。むしろ私は彼らに申し訳なさすら感じている。何故なら私の理想とするものの為には、ガリアはアルスタシアの前に首を垂れ無くてはならない。そして首無しの身体で私に跪く。その過程において彼らか、彼らの愛する人も犠牲となるだろう。大いなる大義の名の下に、理不尽に失われていく命達が憐れでならない。
「サルヴァとかいうのはお前か!?」
行手を阻む老人、頭に布を巻き、作業着のような姿と手袋をしている。しかし浅ましく無礼で不用心な事だ、これが大名行列だったら今頃斬首していたぞ。
「何者か貴様!」
案の定付きの者も声を荒げ、剣を抜く。最悪の事態は避けなくてはならない。愚かで浅ましく思慮がないことが死ぬ理由にはなるが殺される理由にはならないだろう。
「待て!御老人も下がってくれ!」
緊迫する状況をできるだけ穏便に終わらせる為、対面する両者に静止を促す。姉の方は固唾を飲み、杖を強く握り締める。妹の方は眉を顰めて冷静に見つめる。
「儂はゴーゼスから書簡を受けておる!」
「...ゴーゼスから?確認させてもらおう、御老人。」
「と、その前に無礼を詫びよう。」
老人はぶっきらぼうにその書簡を投げ捨てた。確かにエルセンディッヒ家の封蝋がある。なかの筆跡もゴーゼスの物だろう。
親愛なる我が友、鍛治狂いデンガク。どうせ貴方は長ったらしい文は読めないでしょうから簡潔に伝えます。
サルヴァ・ラージャナヴァ様の義手の製作を依頼します。代金として金貨一袋を払いたいですが、どうせ貴方は不要と地に叩きつけると思うので、貴方が求めてやまない物を用意致します。
サルヴァ・ラージャナヴァ様は全ての種族の要素を持つ龍人であり、全ての属性を先天的に持ちます。貴方のいけず後家の剣も喜ぶしょう。
追記 義手の寸法及び設計につきましては同封されているもう一枚の方に記しました。
「そんなもんはいらん!とにかく着いてこい!」
失礼な奴だな、だがまぁむしろこういうタイプの方が信頼できる。目の前のことで精一杯で悪意を持つ余裕すらない、そんな生き方ができれば素晴らしいと思う。だってああいう人間にとって、神が定めたこの汚れた下界は清らかなる天国よりも愛おしい物なのだから。
奴に連れられて辿り着いた場所は工房街。鍛治と芸術の街だ。左を見ればアトリエ、右を見れば鍛冶場だ。アトリエの絵を遠目に見る、滑らかな人間、自然主義的な写実性を持っている。元の世界の言葉で言えばまさしくルネサンスだ。となるとそろそろこの世界でも銃が実用化されるのだろうか。いや、魔法という個人の戦力を向上させる要素がある以上、あれの発明はまだなのかもしれない。だが、例えこの世界のドクトリンが個人戦力に偏重するようなドクトリンだとしても、民兵でも熟練した騎士を殺害し得るあの兵器の登場は現状のドクトリンを確実に覆すだろうな。
「お前達はここで待っていろ。」
そうこうしているうちに彼の鍛冶場に着いた。護衛の大部分と姉妹を外に待機させる。中まで来させた護衛は2人だけだ。
中にいる彼らは弟子だろうか、数人の男達が汗を垂らしながら鉄を打つ。火床の火に鞴で風を吹き、そのほとばしるを加速する。金槌の上の未だ赤い直剣を鍛える。刃先を伸ばし、刃先だけを水につけて冷やす。刃先は鋭く、されど刀身はしなやかに。
最後に魔石を埋め込む。これは属性を剣に纏わせる為の石である。今回の場合は土属性、魔力を込めることで起動し、鋭利な刃は純粋な鈍器となる。
「腕を出せ。」
指示された通り俺は左腕を向ける。彼が持ってきたのは黄銅の義手だった。高級な、というより耐久性重視という感じだ。
「うぉ、重...」
装着すると左腕に明確な重みを感じる。当然だ、鉄の塊をぶら下げているのだからな。
「風の属性を流せ、そしたら軽うなる。」
指示通り風をイメージする。するとその重しは軽くなり、肉体のバランスがとれる。それはそれとして、常にこれをやらなくてはならないのか?であるのならば構造上の欠陥だとしか思えないぞ。
「親指は土、人差し指は光、中指は水、薬指は鉄、小指は草の属性を流すことで動かせる。」
は?はぁ?こんなややこしい操作できるかってんだ。できても握り拳つくって設計者をぶん殴るくらいだぞ。理論上可能を実用可能と履き違えるなよ。
「善処はするが、慣れるまで時間のかかりそうな設計だ。」
「あぁ?んなぁどうでもいいんだ。本題はこっちだこっち。」
デンガグは厳重に縛られた箱から1本の剣をとりだす。デザインは6本の鉄の棒が螺旋状に捻れて刀身となり、その根本には6つの魔石がある。刀身の形状だけ見れば刺剣と言った所だろうか。
「こいつは六属剣二式改、性能をフルに発揮できるやつがこの20年見つからなくてな。あいつはいけず後家にあやかっていけず後剣と呼んでいた。」
そりゃ、混じり事態珍しいのに6種の混じりなんてなかなかいないよな。
「魔力を流してみろ。」
指示された通りに流す。魔法はイメージ、いつも通り草と土と鉄と光と水を想像するのだ。そうすれば自ずと火になる。そう、それは故郷の話。俺の生まれは静岡の田舎でも都会でもない所だった。だから近所の川で夏に水浴びをしたっけ。河川敷の草、雨が降った後にしか流れない枯れ川、湿った土、トラクターが川にかかる橋を渡る。
ほら、火になった。
「おぉ!」
螺旋の剣は火を纏う。
弟子達も作業がてらにこちらを見る。そして何よりもその光景を望んでいた技術屋の目に涙が溢れる。
「やっと、やっとか...」
剣を生業とし、誰よりも剣と向き合った彼らにとって剣は我が子のような存在なんだろう。そしてデンガグは今、その我が子本来の姿をやっと見れたのだ。
「あぁ、その剣、持ってってくれ。」
「いいのか?」
「あぁ、いいんだ。設計も古けりゃ効率も悪い。それでも何年も待ってたんだ、番をな。そして今見つかったんだ、よろしく頼む。」
まるで結婚の申し込みだ。だがそれほどの熱量が込められているんだ、これが粗悪品であるはずがあろうか。本物には情熱が宿るのだから。
「ありがたく頂戴させて貰う。」
専用の鞘まで頂戴し、その鞘に剣を納める。デンガグに対して深く礼をし、そして工房街を後にした。
本来の目的地に急ぐ。そう、そこにはなんと鉄道がある。そう、鉄道があるのだ。銃すら一般的でない時代に機関車が存在するのだ。
驚くべきことだが、一般普及はまだのようだ。実際ガリアにおける鉄道は首都ラ・ソレイユを中心として首都からハグナウ、エリエスラム、トロウス、ライルの4本しかない。そしてこれも戦時における兵力の緊急移送用という側面が強い。故に、鉄道に乗れるのは富裕層と兵隊のみである。
「大きい音...びっくりしました。」
機関車の汽笛が鳴り響く。まるで陸の鯨だ。そしてその歌にユスティナは驚く。当然だ、彼女にとって、音の全ては前触れ無く起こるものなのだから。
「あぁ、すごいな。水を沸騰させただけであんなでかい音出せるんだもんな。」
俺がもし記憶を持ったまま元の世界の14、15世紀に産まれたとして蒸気機関を利用してエンジンを作れるか、否である。要因としてその時代の鍛造技術では破裂しないボイラーは造れないだろうし、気密性の確保も難しいことがあげらろる。
しかし、この世界ではそうではなかった。鍛造技術もパッキンも魔法で解決したのだろう。工房を見たからこそ、そう確信できる。
「水を沸騰させてですか?」
「水は空気になると体積がデカくなるからな。それを一気に解放すればあぁも鳴くさ。」
実数値で言えば約1700倍だ。そりゃそれだけの数値を弾き出せるのならあんな鉄の塊も動かせる。
「お詳しいのですね。」
「まぁな、これから人を導こうと言う人間が無知じゃいけないさ。」
ミリシアは俺たちの会話を冷かに、されど疑問を感じつつ聞いている。なぜ姉はこうも父を殺した男と楽しそうに話しているのか、そう思っているんだろう。やはり君は優しいな、姉を咎めるでなく理解しようとしている、本当に君は優しいな。
だから私はミリシアよりもユスティナの方が怖い。貴方は表面上俺によくしてくれるが、貴方も彼女の姉、であれば怨みは同じはず。貴方はその心に何を隠している?何を封じている?それとも何も感じてないのか?俺には貴方がわからない。
「殊勝な心掛けですね。」
機関車から車窓を眺める。
王なき世界、緩やかな連帯の元に歩む北西州、それは鉄道整備の先にあると言わざる負えない。国の垣根を越えて、その組織に属する人が所詮人であり、そして友人にも敵にもなり得ることを理解すれば、戦いに躊躇も生まれる。そのためには人と情報と物が気軽に行き来しなくてはならない、物理的な距離を超えなくてはならない。そのためには鉄道整備が必要不可欠である。それも全て、踏み潰した先の世界の後にあることだが。
汽車に揺られて2日、ガリア王国首都、ラ・ソレイユに辿り着く。
私にとって世界を見定める時である。だがしかし、一時たりとも私は彼らを忘れてはいけない。幻肢痛が私に理解させてくれる、彼らは私を見ていると。