御霊荒魂宛ら骸カラカラ鳴り響く
骸がカラカラ鳴り響く。海辺の貝殻如く積み上がる。その全てが懐かしい友の匂いがする。私の腹に背骨の大剣が突き刺さる。肋骨は痛みを与えることに適した形で、肉は動くたびに裂け、砕けた骨と滴る血が彼らに混ざる。
そんな夢さ。思考では理解しているのだ。私は彼らの夢も怨嗟も受け止めねばならない。そしてその過程で私の器に注がれる死の分も果たすつもりだ。私は私が生きている内にできる限りのことをしよう。そして死後は私の骸を、魂を貪り砕いて焼いてくれればいい。恨みが晴れるまで、ずっと。
しかし、もし死後の地獄が存在しなかったら?彼らの怨嗟はどこに消えるのだ?俺の罪は消えてしまうのか?俺には、それが怖い。恐ろしくて、堪らないのだ。
サルヴァ・ラージャナヴァの告白
ケール星教会の日々より 著 ライニー・ハインツ
眼下には凡そ300の兵。景色は雪、月は新月灯なく、耳に入るのは風の音と河の瀬せらぎ。
さぁ、やるのだ。私自身が生き残るために。この300人に死亡宣告をするのだ。
「我が声を聞く勇ましい兵達よ。我ら300の数、このローレラ河を渡りアイリーン城に突入し、そしてユーティリナを拘束する。」
「2月のローレラ河は冷たく、流されれば孤独に凍える。」
「戦力乏しく敵将手強く、河を渡れば撤退不可能。しかし雪は深く月いと暗く、状況は最高である。」
「我が麾下の兵よ、私に続け。攻撃を開始する!奇跡を我が旗本に捧げよ!」
昔から、こう言うのは得意だった。虚勢を張って人を動かすのはな。だが、今回ばかりは違う。人が死ぬのだ。味方も敵も、もしかしたら自分さえも。そう恐れるほど、皮肉にも虚勢は本物になる。
「檄はまぁ、及第点でしたね。どうせ徒花を散らすだけとしてもできるだけ豪華絢爛と散らすことが君主の務めですよ。」
ボートは3台、乗れるのは一つにつき10人。つまり270人ほどは泳ぎだ。獣人や鳥人などを中心としてボートに乗せ、その他の種族は泳ぎだ。おそらく、魚人と人以外の種族は死ぬだろう。それ程までにこの氷点下の世界は厳しい。
「死亡診断書をデコレーションするよりも、誠実に状況を述べた方が正しいと感じただけだ。」
蟲人、爬人が最初に沈む。水底に堕ちる。水面に堕ちる雪のように影が溶けて消える。祈る暇もなく、誰かを想う暇も無く沈んでいく。存外人の死は呆気ないもので、私はそれについて意外にも何も感じれなかった。だが責務だけが募っていく。これだけ命を捨てたのだ、それも私のために。ならば私は、その命に対して報いる責任と義務がある。
「人を想わぬ誠実さは美徳ではないでしょう。それはただの独善だ。」
「だとしてもだ。今更雄々しく述べたとて、空元気が見透かされるのなら最初から事実だけを述べよう。」
「だとしてもです。強い組織に所属することがアイデンティティである私達にとって、その象徴は強大で無くてはなりません。」
肉体の簒奪者である俺が言うのもなんだが、サルヴァ・ラージャナヴァという人間は不幸な運命の下に産まれたな。強さを演じ続ける人生、そこに自分というものが介在する隙ないだろう。生まれながらにして人柱だ。いっそ悪名高き放蕩者になって、情欲に耽けて人々に恨まれる方がマシだろう。
「目を背けるのなら前を見ろ。受け止めるのなら目を背けるな。慕われる者は慕う者の最期をしかと受け止める、それが責務です。」
沈む人々の目を見る。そうだ、彼のいうとおり、申し訳なさなんて表面に出してはいけない。彼らは私の為に死んだのだ。なら、私が彼らの選択を後悔させてはならない。
「わかっている。彼らの全てを受け止める覚悟はとっくにしている。」
河を渡り切る。300あった数は実に60になった。五分の一が死亡したのだ。凍える水底で泣いている、魂達が寂しいと。
アイリーン城が見える。雪と暗黒がヴェールのように城を隠す。また城自体にあまり灯は無く、建築物本来の姿が重く残る。
「アイリーン城は防衛の考慮に入れた設計していません。その上ヴァンデン将軍との小競り合いに忙しく、兵も少ないようです。ざっと見積もって120でしょうか。」
「こうなると本人が居るか心配になるな。特に裏面に見張りがないとなると、相当手薄いぞ。」
2倍の兵力差、加えて攻城戦。奇襲であることを加味してもこの差が埋まるだろうか。まぁ今更考えても無駄だ。
「獣人部隊と鳥人部隊を全面に出せ。その次に私と近衛兵が突入する。最後尾が残りの奴らだ。」
「ふむ。それが一番正しいでしょうね。突破力のある獣人と鳥人に前を張らせて、次に貴方様、最後尾は囮。合理的です。」
先にユーティリナに辿り着くか、もしくは俺が死ぬかの勝負。なら俺の位置は二番手であるべきだ。
「さて、戦端は私が開かせて貰いますよ。」
右腕を捲り、掲げる。土と鉄の属性の奔流、微かに風と、そして俺が知らない属性が見える。いや見える、というより聞こえるが正しいだろうか、感じるという方が正しいだろうか。頭に直接情報が入ってくる感じだ。多分、この角の機能だと想われる。
「大山羊の名をこの戦に再び。」
「老狼水面の月掴め、霞月朧」
巨大な土の団子が鉄球となり、そしてそれが輝き満月となる。その満月はどこと無く不定形で、水面に映る月だ。
「投げた!?」
彼はそれを万力の力を持ってして投げる。実に10mは飛んだだろう。見事に城の4階部分をぶち抜いた。鈍く激しい音。そして数秒後、鐘の音が激しくなった。
「梯子を掛けろ!この瞬間を無駄にすれば負けるぞ!全てを迅速に遂行するのだ!!」
大梯子が大穴にかかる。幸いこの城の内観は設計図として把握してある。改装している時間は無かったはずだ。それに何より勝ち続けることだけを考えているのであれば、支配域の中央に座する城に改装を加える必要はない。そして何よりユーティリナは攻めの将だとゴーゼスは言っていた。
梯子を上がり、広い廊下に出る。無惨な光景だった。筋力で勝る獣人や鳥人に人は勝てない。吹き飛ばされて壁に臓腑を撒き散らすだけだ。血の海を進む。臓物を踏みつける。そうだ、私はこの景色も、ここに眠った彼らの命の代償も抱えなくてはならない。これほどの死が、撒き散らす最後の瞬間の叫びが、無駄になっていい道理などあろうものか。
「人間性を捨てたか!ユーゲスト!!」
ゴーゼス爺が叫ぶ。前方から轟音、獣人が毛を散らし、鳥人が羽を散らした。そして倒れ伏す。そこにいたのは、巨大な老獅子だった。
目が合った、そう思った時には遅かった。獣の一閃、爪が5本線になって見えた。咄嗟に左腕で顔を隠す。鉄の鉄がぶつかるような音を上げた。気づいたら頃にはすでに地に伏せ、そこに倒れる獣と鳥の仲間入り、二の腕から下はもはやぶら下がりだ。
痛みを堪え、起き上がる。力の奔流がそこに見えた。
「皮肉なものだ、ユーゲスト。その在り方は貴様が最も忌避した在り方ただろう。狼狽して獅子として吠える、ならその立髪ごと愚かさ浅ましさを斬り捨てるのみだ。」
土と鉄、そしていくつかの微弱な属性。土の刀を鉄で覆い、その鉄は影のように暗く、そして揺れた。まるで影だけで構築された刀だった。その刀だんだんと短くなり、最終的に脇差くらいの長さとなった。
「邪刀日影流貴様が最も得意とした戦魔法だ。だがその姿ではわかるまい、理性なき、獣の様相ではな。」
老獅子が飛びかかる。爪がゴーゼスの目を穿つその時、その老体は姿を消していた。見えなかった、ただ、その脇差の影が急速に伸びて、老獅子の肉体を一刀両断したことだけは認識できた。
「お前の死骸の頭蓋が獅子とはな。貴様がそこまでするとなれば、我らの勝ちだ。」
「よく、やったな。ゴーゼス。」
宙ぶらりんの左腕を右腕で支える。アドレナリンとは不思議なもので、さっまでの激痛はもはや少し打ったぐらいの痛みに変わっている。
「いえ、それよりもこちらです。時間がないので応急処置程度しかできませんが...」
土の棒を作り、死体の布を切り取って添木と腕吊りがわりを作った。
「回復できる魔法とかあればいいんだがな。」
「それは奇跡の域ですよ。さ、もう勝ったも同然です。」
前衛があの獅子に全滅させられたからか、最前列はゴーゼスと俺と近衛兵になった。だがそこから目的の場所までは戦闘は一切なく、特に危なげも無かった。その目的の場所とは6階の小さな調理室だった。
そこには背の高い金髪の女性が1人だけいた。
「この場所だけは設計図にありませんでした。あなたの趣味でしょう、ユーティリナ・ルーゼンヴォルガ将軍。」
香ばしい、ストロベリーの香り。そこに合ったのはイチゴのホールケーキだった。
「その通りだ、ゴーゼス・エルセンディッヒ。」
「なぜ、ケーキを作ってるんだ...」
その意味不明な状況を理解できず、その言葉を漏らした。
「な...サルヴァ様か。あなたは白紙児であったはず、症状の改善なんてあり得ないのに...いや、もはや些事だな。」
「なぜ、と言っていたな。答えよう、詰んでいたからだ。」
「詰んでいた?」
「あぁ、欲をかいて戦力の殆どをヴァンデンの方に回していたからな。ここに戦力と言える戦力はない。だから明日にはここを発とうとはしていたが、言い訳だな。」
「むしろ窮鼠猫を噛む、その言葉通りになってしまった自分の愚鈍さを反省するべきだ。河を渡る覚悟と矜持、そして兵を死地に送れるカリスマと狂気と無関心さを持ってる奴はいないと、高を括っていた点も。」
慣れた手つきでホイップをのせる。食欲を唆られる、誠に美しいケーキだ。
「それとこのケーキに何の関係が?」
「ない。ただ、どうせ詰んでいるのならやり残したことをやろうというだけだ。」
最後にチョコレートをかける。彼女の顔はどこが満足そうだった。
「さぁ殺せ、サルヴァ・ラージャナヴァ。このユーティリナに敗将の恥をかかせてくれるなよ。」
帯剣していた剣を抜く。刃に自分の顔が映る。酷くやつれて疲れ果てた顔だった。
「最後に一ついいか?なぜ、そう簡単に命を諦められる?」
「逆に問おう、命を捨てる覚悟無くして、どうして他人の命を捨てれる?」
剣が彼女の首先に触れる。この肉体はどうにも力強く、たとえ片手であってもこの細い首如き容易に両断できる。今は、それに感謝しよう。
「そうか、ありがとう。」
「どういたしまして。」
第一頚椎の足は砕かれ、頭(星)は床に堕ちる。小さな調理場は一瞬にして屠殺所を彷彿とさせる空間となった。
女性は花と似るとよく言うが、世迷い言だ。真に似るのは散る儚さだけではないか。
「終わりだな。」
その日初めて、人を殺した。アドレナリンと痛みの中でも、感触は覚えている。だが不思議と罪悪感はなかった。多分、その時は必死だったんだと思う。だってそれは後から降りかかるのだから。
「勝鬨は私が上げましょう。あなたは少しだけ、ここで休んでいても大丈夫です。」
硬い床に倒れた。目を閉じた時、意識は消えた。